無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「もく星号墜落事故」

昭和27年4月9日(水)、日本航空の東京・福岡間定期航空機マーチン202型(通称:もく星号)が、午前7時33分に悪天の中で出発した後、同57分に千葉県館山を通過したあたりで通信が途絶え、静岡県舞阪沖で遭難しているのが見つかりました。

 結果的には、乗員・乗客37名の全員が死亡する、非常に痛ましい事故となりました。 

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 まだ飛行機旅行などが出来る人間が非常に限られていた時代ですので、乗客には社会的影響力の大きい人が多く、八幡製鐵社長の三鬼隆や、漫談家大辻司郎ら多くの著名人が巻き込まれた事も、事件の衝撃を広げました。

 

 上記見出しで”37名救助”となっておりますが、これは大誤報で、当時は保安庁も航空庁も全国的な通信網を持っておらず、日航も含めた全員が希望的な情報に飛びついたために起きた失態でした。

 この日航側による楽観情報のため一時は帰宅した家族もいたほどでしたが、時間の経過と共に楽観情報に根拠の無い事を日航社長が認め、家族は激怒の様相となり、現場は混乱しました。

 

 原因については、当初は機体故障説が流れ、すぐに計器故障説が有力視されましたが、事故調査会の最終報告では、操縦士の錯誤により最低高度以下を飛行したためと結論づけられました。

 この報を受けて日本航空と、整備・運用を受け持っていたノースウエスト航空は直ちに、アメリカではこの様な場合は航空管制士にも20乃至40%の責任を負わせるので、操縦士に全責任を負わせるのは不当であると抗議しました。

 現在では、誤操縦説と誤誘導説の両説併記で語られているようです。

 

 

*1:昭和27年4月9日付読売新聞夕刊