今回の喧嘩稼業 「お前」の考察
ヤングマガジン2016年44号 [2016年10月3日発売]【電子書籍】[ ヤングマガジン編集部 ]
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文学による煉獄が継続中で、とどめとして使われる「第3の」技がなんなのか、というのが次回の見所なのだが。
正直、まったく思いつかない。
ただ言える事は、それが決まるにせよ決まらないにせよ、それでアッサリ勝負がつく漫画ではないという事だ、喧嘩稼業は。
なんにしろ、櫻井の御殿手設定が、まだ何も活かされていない。
最後の文学の台詞、「お前を喰らって確かめてやる」は、ワタクシも解釈が分かれる変な書き方だなと思った。
普通に考えれば、目の前に居る敵・櫻井を喰らってという事である。
櫻井が死線を越えて強くなったというのなら、お前=櫻井との戦いという死線を越えて、そんな事があるのか確かめてやる、という意味である。
ところが、この語りかけが「櫻井……」で始まっているならなんの問題も無いのだが、語りかけを「十兵衛……」で始めてしまったために、「お前を喰らって」というのが三回戦での対十兵衛戦の事を言っているように解釈できるようになってしまった。
今一度、台詞だけを抜き出してみよう。
十兵衛……
死線を越えて強くなるような事があるならさ
お前を喰らって確かめてやる
こうなると、どう考えても十兵衛を喰らってやるという意味になる。
弟子であろうと、生死の戦いになるぞという語りかけである。
しかし、画面では「お前を喰らって」の部分が櫻井に殴りかかる瞬間なので、「お前」は眼前の櫻井と考えるのが、文意からしても自然だろう。三回戦、対十兵衛戦の最中にその台詞ならハマるが、ここではちょっとおかしい。
今度は、その部分の絵だけを抜き出してみる。
これなら、自然に「お前」は櫻井という事になる。
要は、台詞と絵の噛み合わせが少々おかしくなっているのだ。
ここは、「お前」が櫻井であるなら、「こいつ」とか「櫻井」と書けば混同が無かった。或いは最初の語りかけを「櫻井……」にしても良い。
で、もしも「お前」を「十兵衛」の意で書いたのなら、「お前との戦いが実現したら」を間に入れるべきなのだ。
ただ、その十兵衛との戦いが実現するまでに、まだ幾つもの段階を経なければならないこの状態で、この「お前」が十兵衛の事だと解釈するのは、やはり不自然である。
これが次の仕合が十兵衛戦なら、「お前」=十兵衛説もかなり強まるが、それは眼前の櫻井の事を眼中に入れていないという事になるので、これだけの強者を相手にその言い草は、やはりそもそも有り得ない。
とにかくいずれにせよ、金剛を放ってドヤ顔から逆転負けした梶原のように、第3の手が仮に決まったとしても、入江文学の死は避けられないだろう。
入江文学を愛する者たちの嘆きを更に強めるために、木多が一時的な希望を持たせている。
第一回麻雀プロ団体日本一決定戦が終わっていた
あら、いつの間にか終わってたのね。
サイバーエージェント、及び藤田晋氏には、これだけの大舞台を麻雀に作ってくれた事に、昭和時代からの麻雀ファンとして、お礼を申し上げます。
ただ!
試合規則がいけません。
仮にもプロと名乗る者が一千万もの金額を貪り合うのであれば、アルシャルにせよとまでは言えないまでも、常識的な運要素を排除した規則を採用して下さい。
それから、なるべく見逃しの無いような方法を思案して下さい。
少なくとも決勝くらいは、日祝にやらないでどうするんですか。
それにしても、プロ雀連が一度も譲らずに一位を守り続けたか。
そして最高位戦がずっと二位。
団体としての結果だけを見れば、なんと第一回に相応しい、納得できる結果であった事よ。
しかし個人成績で、なんと金子正輝が最下位。
べつに年齢的な衰えでない事は、今季予選も二位で決勝進出という事でわかりきっている。
金子正輝は、史上最強の雀士である。
と言うよりも、ワタクシが真の麻雀プロと認められる実績を持つ者は、金子以外にはいない。
その彼が、よりにもよって最下位。
もって規則変更を銘ずべしである。
いかに現在の規則が、実力を反映し得ないかの証明役を彼が買って出てくれたようなものだ。
長谷川豊炎上帰結続報 と 9/30朝生「象徴天皇と日本の未来」を見ての感想
長谷川豊続報。
可哀想だが仕方無い面は有る。
読売テレビ総合広報部は「長谷川氏のブログ、およびその後の患者団体による抗議への長谷川氏の対応などから総合的に判断した」と説明した。
あの釈明文では火種は燻るだろうなと思ったが、案の定だった。
BLOGOSって、なんの金銭的やり取りも無いんだ。
そこまでして、あんな炎上文を広めたがる理由がサッパリわからない。
なんの工作資金も貰っていないのだったら、どれだけの大損なんだ、炎上活動。
それも、少なくない日本人に無用の嫌悪感と対立感情を植え付けて。
傍目から見たら気違いそのものである。
公式生番組で、サッチャーのやった透析患者の実質殺しまくりを日本でもやらないと駄目だと訴えていたが、それならそれで、ただでさえ刺激的な内容なのだから、記事題は控えめにするくらいの頭は使って欲しかった。
どれだけ控えめに書いても、どれだけ畏まって書いても、BLOGOSあたりなら必ず炎上する話題である(笑)。
様々な面で、方策を誤ったとしか言い様が無い。
これからの巻き返しは、かなり難しいと思う。ネット文化というのは、大きな躓きは取り返すのは非常に難しいから。
かなり良い面をいっぱい持っているのだから、次はそういう面をきちんと利用して、つまりテレビの仕事をしているのと同じ緊張感を持って(炎上志向にせよ)やっていくしか無いだろう。
今回は、全体的な感想としては、とても面白かった。朝まで生テレビという番組としては、よく出来た方の回だったと思う。
だが、不満も有る。まずは不満から書く。
大体、冒頭の視聴者アンケートが気に入らない。
皇統に関して何も知識が無い人間に「女性・女系天皇を認めるべきか」どうかと聞けば、そりゃ認めるべきが多いに決まっている。
だが、小林よしのりや高森明勅は卑怯千万にもまったく触れないが、小林も出たネット番組での直接アンケート(つまり投票もし易い)では、賛成と反対が完璧に互角の票数だったのだ。
つまり、わざわざそういう趣旨のネット番組まで見るくらいの知識を持っている人間では、それだけ女性・女系天皇反対派が増えているという事である。
悠久の日本史を知れば知るほど、歴代天皇の思いに至れば至るほど、女系天皇など容易に認められなくなる。
だから小林・高森はなるべく歴史的な事を語らない戦略を取り、今上天皇(と、せいぜい昭和天皇)のお人柄ばかりを強調するのだ。
だが、例えばマザー・テレサにこれだけの日本人がここまでの敬意を持つだろうか。
個人の人柄や行為の尊さを越えた悠久の英知の積み重ねが有るからこそ、そして日本人の多くはそれをなんとなく肌身で感じるからこそ、簡単に語れない一種の禁忌を感じるのだし、単なる尊敬とか思慕とか敬愛などという言葉で表しきれない思いで天皇を捉える事になる。
だから、小林が率先して尊皇心尊皇心と口にする事に、非常なる違和感をワタクシは持っている。
小林・高森がそういう戦略を取るのは当然なのだが、それを破折すべき男系派までがそうした皇統に関してまったく語らないのはどういう事なのか。
竹田恒泰は、若さも有るから、まだそういう思いに至らないのだろう。
八木秀次は歴史的な知識は少ないのだろうか。番組でもそういう言葉は少なかった気がする。尤もそれ以前に、とにかく「器」の重要さにばかり視点が行っているのだろう。
渡部昇一はもう年か。でも、田原総一朗だって出てるんだからな。事の重大さに思い至れば、身を押して出るべきではないのか。
とにかく男系派に小林のような人材が居ない事は、大きな不利である。
そして、きちんとこれまでの皇統の本質を多くの日本人に知らしめて、その上で女性・女系天皇を認めるか問うべきなのだ。
これこそが今般、最も大事な事であり、その結果での女性・女系天皇容認派が8割、9割という事になれば、これは確かに、日本に於ける「象徴天皇」という事になる。
ワタクシは以前から言っているが、小林や高森が女性・女系天皇を進めるために皇統を実質的に侮蔑する戦略は、絶対に認めない。徹底的に指弾し続ける。
何故ならば、そんなものは本当の「尊皇心」ではなく、人柄が民衆に納得できない天皇がお出ましになった際に、容易に瓦解してしまう概念であるから。
日本人に薄くなってきた「尊皇心」を再構築する、非常なる好機が今なので、これは正に歴代天皇のご英知なのだとワタクシは拝している。
そのために、「皇統」の周知は、絶対に外してはならない。
そんな皇統無視の戦略は、原発は絶対に安全と言って、とにかく設置だけを進めた連中と同じ振る舞いなのである。
議論そのものは、番組単独としてみれば最初に書いたように、まあまあ面白かった。特に、話が女性・女系に至る前は整然と進み、なかなか内容が濃かったと思う。
それが萩谷麻衣子が竹田恒泰を茶化すあたりからおかしくなり、竹田も暴走してしまい、なんと男子誕生を丁半博打に例える始末。あれは失態である。戦略を練り直さないと駄目である。
そもそも博打に詳しいワタクシから言わせれば(笑)、半が何回続こうと、次に半が出る確率は2分の1である。
そこで一時的にウンザリしたが、その後はまた話が締まってきて、最後に田原総一朗の功績を称える締めで終わったのも、番組として考えれば上手いまとめだった。
あくまでも慎みを持ちながら天皇について語るということは、特にこの似非民主主義の時代にある天皇制にとって、とても大事な事だと思う。
今上陛下が民心を掬う事にお心を砕いていらっしゃる事も、流石に英邁な陛下なればと拝する。
そんな陛下が欲していらっしゃるのは、小手先の策を弄して民衆を誑かした結果ではあるまい。
知識人たちには可能な限りの知識を披瀝し合ってもらい、その上で糾合された民意を陛下に捧げたいものである。
勿論、それを陛下がお受けになるかどうかは、ご叡慮次第である。
小林よしのりは、今回は大いに魅せていた。
ワタクシがよく見ていた頃の朝生時代から出ている唯一の存在というものを見せつけた感じだ。
養子に関する話で、ここだとばかり竹田との一騎打ちという感じになって、テレビ的にも面白くなりそうだったのに、そこで横から萩谷が茶化してしまって、ダレてしまった。
彼女も途中まではきちんとしていたのだが、どうも小林に加勢したいという意識が強いのではないか。
大体、あそこは小林と竹田の場面なのだから、やり合わせるくらいの場は読めるようになってもらいたい。小林が適度に竹田を揶揄するくらいまでは、テレビ的にも絵になるのであるから、あそこは任せておくべきだったのだ。
高森はいつも通りの安定路線だが、八木秀次が安定していたのが、良い意味で非常に意外だった。
小林一派(道場)からは徹底的に罵倒され、読んでいる方が吐き気を催すくらい醜悪な揶揄をされ続けているのに、それを知ってか知らずか(笑)、きちんと論じ続けている様は、小林一派と違った大人の居住まいというものだった。
竹田恒泰もごく一部で暴走したが(笑)、全体的に今回は、非常に傾聴すべき発言が多かった。
だが、やはり核心での論理構築がまだ弱い。国民の多数に皇統の大事さ、本質を説明する戦略を構築しないと、現在の劣勢を跳ね返すのは難しい。
しかし今回は、八木・竹田は、少なくとも失点というものは無かったろう。
竹田に関しては得点微増、八木に関しては、それまでの印象に不安が有っただけに(笑)、今回で大幅増という評価だ。と言っても、ようやく原点という所だが。以前が悪すぎたので(笑)。
杉田水脈は、ちょっと、まだ脆弱な印象だ。
三浦瑠麗と青木理は、天皇制の是非を論じる時には意味のある人材だと思うが、今回は正直、話を引き戻す役割で、ちょっとまどろっこしい部分が有った。
しかし三浦は、前回、ちょっと人(竹田)をからかいながら話すようなところが不愉快だったが、今回はそれがあまり無かったのが良かった。
また、発言の中に幾つもの問題提起は有った。そういう回であれば、出て来ても面白い人材であろう。
それにしても、皇后に男子誕生を期待する事を「吐き気がする」とまで三浦が言ったのも、そこからかよという感じで不愉快だった。
あのな。普通の家庭でも、男子を期待する家も有れば、女子を期待する家も有って、そういう「圧力」から女性が逃れる事はできないの。
なぜ皇室だけを異端視するのかが、まったくわからん。
これは小林一派にしても同じで、仮に女性・女系天皇が認められても、彼女たちに出産への期待が無くなるわけではない。
そこを否定してしまったら、王族・皇族とはそもそも成り立たないものなのだ。
つまり、この話はまだまだ論点が尽きない。
天皇と(似非)民主主義、天皇と人権という観点まで話さない限り、各論者の性根を暴く事はできないのである。
これは、朝生天皇論として毎週やっても良いくらいのもので、きっと小林も出てくれるはずだ(笑)。
「象徴」という事で言えば、悠仁殿下のお立場は、まさしく少子化時代の日本を象徴したものだと思い至る。
皇位継承者が実質的にお一人しかいないというお立場から、見事に国民の期待にお応えになり、再びの皇室繁栄の礎を築かれた時、日本人全体も、再びの拡張時代への夢を紡げるようになるだろう。
朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(33)
マッハGoGoGo *1
テレビではボーカル・ショップ歌唱による疾走感あふれる歌がOPで流され、冒頭からワクワクさせられたものです。
テレビと同じ歌手に拘る朝日ソノラマが、このボーカル・ショップ版でシートを出し、勁文社は上高田少年合唱団、コダマプレスはザ・エスカイヤーズという正体不明の歌い手で、それぞれシート音盤化しています。
レコードは、ソノラマと共にもう全テレビまんがの音盤化に走り出したようなコロムビアが出しましたが、歌手は独自の高橋元太郎でした。
高橋は昭和30年代にスリー・ファンキーズの中心歌手として、元祖男性アイドルとして活躍の後の、この路線です。そして、更に数年後、ドラマ『水戸黄門』で、うっかり八兵衛として長年親しまれた事は、ご記憶の方も多いでしょう。
コロムビアは同じ高橋歌唱でコロ・シートも出しています。
結局、テレビのボーカル・ショップ歌唱が楽しめるのはソノシートだけで、ソノラマの完全独占という形は激減しましたが、それでも様々な形でソノラマの優位性は、まだ抜きん出ていました。
リボンの騎士
『リボンの騎士』は手塚治虫作品で、もちろん虫プロ制作でしたから、ソノラマの橋本一郎が手掛けました。
虫プロから富田勲の起用を打診された橋本は、『ジャングル大帝』での印象がどうしても残っていたため、また歌えない歌を作られてしまうという警戒から、かなり強く難色を示したようです。
しかし、恐らく手塚御大の意向なのでしょうが、虫プロ側が富田勲起用で押し切りました。そして出来上がった主題歌を聞いた橋本は、自らの不明を大いに反省したといいます。*2
しかし、『リボンの騎士』は低視聴率で、提供会社が1クールで撤退してしまいました。番組は存続の危機に立たされましたが、なんとか局を説得して、時間帯を変更しての継続となります。
橋本は、少しでも番組の宣伝になるならと、敢えて低視聴率のこの番組の音盤第二弾を出しました。「ウルトラブックス」と言われる、マニア垂涎の極稀少ソノシートブックの一作です。
しかし、やはり番組人気は向上が見込めなかったようです。
また、この番組もソノラマよりやや遅れてですが、コロムビアがレコードで発売しました。
冒険ガボテン島
TCJ(現エイケン)制作ですが、TBS放送という事で、独自路線かつ音盤は申し込み各社がどれも出せるという事で、これも数多くの盤が出されています。
シートは、朝日ソノラマ、コダマプレス、勁文社が2種、ふらんす書房のミュージックグラフが大小2種。
レコードは、コロムビア、ポリドール、東芝、テイチク、キング。更にクラウンもキャプテンウルトラとの抱き合わせですが出しています。
そしてビクターが、恒例のミュージックブックによるシートに加え、「ハイカラーレコード」と称した、美麗なカラー絵盤面のレコードも発売しました。
ついに7大レコード会社が、テレビまんが音盤に揃い踏みしたのです。
のみならず、レコード針で有名なナガオカも加わってきました。
ナガオカは、『ウルトラマン』や『快獣ブースカ』など、音盤化の障害が無いような音源のみで、この頃に幾つか子供番組のレコードを出しましたが、結果はあまり芳しくなかったのか、一時的なものでした。
子供番組の音盤は金になるという認識が共通となり、凄まじい争奪戦の様相を呈し始めていました。
「独占男」の異名を取った朝日ソノプレスの橋本への工作も相当だったらしく、額面未記入の小切手を提示された事も有ったようですが、彼は決してその手の誘惑には乗らなかったと回想しています。
しかし先日のインタビューに拠れば、どうも彼のすぐ上の上司は、もしかしたら乗ってしまった可能性が有るそうです(笑)。
その辺の話は、少し前に書きましたように、別ブログの昭和テレビ探偵団の方で、いずれご報告致します。
そちらの記事化が遅れておりまして、当の橋本一郎様はじめ、皆様にお詫び申し上げます。
長谷川豊炎上の帰結 そして今夜の生チャンネルは有るのか
おやおや……
だから勿体ないって…。
今回の件でワタクシが最も意外というか、驚いたのは、彼が仕事先にブログ内容の許可を得ていなかったという事だ。
いつもなんでも計算ずくでやっているように吹聴していたから、まさかあれだけの内容をあの立場でありながら、周りに許可なく書いていたとは、本当に想像の埒外だった。
だからこそ彼の炎上芸に敬意を表したつもりだったのだが、なんの事は無い、まだまだガキの性根が残っている人間に付き合ってしまっただけだった。
長谷川豊という人間を、そこに於いて見抜けなかったのは、我が反省点である。
炎上騒動後、彼の過去ブログも全部読んでみた。
長谷川豊 【公式ブログ】 長谷川豊のAMERICAN JOURNEY FINAL
なんだか一千万だかのアクセスが有ったらしいが、たしかに言われて見ればあの当時、そんな騒動が有った気はする。
だがワタクシは平成になってからどんどんテレビを見ていなくなっていたから、長谷川豊という名前も聞いたような気がするくらいだったし、その時の騒動はあまり気にしなかった。
彼の活動や考え方などをブログで読む限り、非常に素晴らしいものを持っているように感じる。
彼の最大のぬかりは、技術的には周りの了解を得ていなかった事。
そして方策的には、ネットとリアルに確とした境界が有ると誤解してしまった点に有る。
たしかに「日本死ね」ブログは国会で取り上げられるまでになった。
だが、あれだって、もし匿名でなかったら、あの書き手はかなり実生活に支障を生じていたと思う。
よく、名前を出さずに言うのは卑怯だという物言いが有るが、そんなのは思慮の浅い人間の格好付けに過ぎない。
匿名でなければ絶対に開陳できない事というのは、それが良いか悪いかは置いておいて、人間社会には必ず存在する。
悪い面ばかりではない。匿名の良い面も間違い無く存在する。
では、なぜ一般人はネット上であのような言動を或る程度しているかと言えば、一般人には発言力が無いからである。
だから様々な形で届く言葉を振り絞るし、ワタクシ個人も、その昔は2ちゃんという場で匿名であるからこその、かなり酷い書き込みも、その効果を計算して使っていた事は有る。
しかし著名人がその名前を使いながら書く言葉に、このネット常識は通じない。
何故ならば、著名人はそれだけで、或る程度の発言力を確保できているから。
「小林よしのり」とか「長谷川豊」という、紙や電波媒体で育てて貰った名前を用いるだけで、一般人では有り得ないくらいの多大な関心を、最初から引き寄せる事が出来る。
そして利点には、必ず代償が有る。
その名前の故に、一般人や匿名の書き込みほど、奔放に書く事は許されない。
もう少し正確に書くと、「許せない」と思う人間を多数作り出す可能性が、その名前の大きさと立場に比例して高くなる。
ただでさえ力の有る者が、更に強大な力を振るおうとする時、そこに嫌悪感を抱く者が増えるのは、ワタクシは自然な感情だと思う。
そして、「ネット民」などという特別な人間などいない。
みんな、すぐ隣にいる人たちなのである。だから、
長谷川豊って言い過ぎたよね。
でも、喋りは上手いよね。
だから、仕事まで無くなっちゃったのはちょっとカワイソくない?
応援したくなっちゃったよ。
という人間だって、これから出てくるよ。
そこまでが炎上芸という計算なら、これは物凄いが(笑)。
とにかく、ワタクシは彼の芸は真底から認めているから、本当に勿体ないと思う。
人間、何かを失っても貫くべき事は有るだろう。
だけれど、どうしたって無料ブログなんかそんなわけないし(笑)。
ワタクシはこれからも変わらず、「たまに」読み続けるから(笑)。
取り敢えず、今日の生番組(無料)は有るのかな。
あと1時間だが……
さてさて、どんな顔して出てくるか。
アンチも、応援者も、これは見ないと損だ。
ネット生番組史上、最も旬で生ならではの番組を期待している。
ワタクシも、いつもは見忘れたりするけれど、今日は絶対に見るし、いつも通り軽いコメントも入れるから。
また皇統弥栄でない連中が今度の朝生に出演
今度の金曜深夜、土曜早朝1時25分から、先月に続けて『朝まで生テレビ!』が皇室問題を扱う。
パネリスト:
平沢勝栄(自民党・衆議院議員)
大塚耕平(民進党・参議院議員)
青木理(ジャーナリスト)
小林よしのり(漫画家)
杉田水脈(前衆議院議員)
高森明勅(神道学者)
竹田恒泰(作家、明治天皇玄孫)
萩谷麻衣子(弁護士)
三浦瑠麗(国際政治学者)
八木秀次(麗澤大学教授)
実質的には、小林よしのり・高森明勅という女系派と、竹田恒泰・八木秀次という男系派の対決という構図である。
ワタクシに言わせれば、どちらも皇統弥栄が最優先ではない、私心を投影した言説の連中であるが。
勿論、それぞれの視点から見ればもっともな言い分も有るのであり、だからこそ先の勅語でも、「摂政」は明確に否定なされた今上陛下にして皇統問題にはまったく触れられなかったのであろう。
本来であれば、有史かるく二千年そこらの「皇統」という、現に確たるものがおはすわけだから、女系派なんぞ蹴散らすのは簡単至極なのだが、これが現今の男系派と言うべき連中に、人材がいない。
今回はとうとう、八木秀次が出て来てしまった。今やお笑い種となっているY染色体論を、まさか朝生で披瀝しないよな。
なぜ所謂男系派が力を持つ言説を披瀝できないかと言えば、歴代天皇の思いに至っていないからであろう。
特に、物質的に捉える八木秀次には、そんな事は想像も出来ないし、意味の無い事なのに違いない。その辺は女系派と同じなのだ。
竹田恒泰は、旧宮家の当事者でもあり、本来であれば直接議論に加わるのは不適格なのだが、狡猾な小林よしのりの挑発に乗ってしまったのか、はたまた自意識の成せる業なのか、またご出演とか。
八木・竹田組と小林・高森組の最大の差は、女性受けするかしないかだ(爆)。だから小林はそういう人選を促している。
これはもう、圧倒的に小林・高森は女性に好感を持たれる。
そして論旨が、女性天皇を認めよなのだ。
どうしたって、八木・竹田組では荷が重い相手だ。
と言うか、特に八木は出さないように男系派でなんとかしないと駄目じゃないか!(苦笑)
女系天皇とはどういう存在なのか、そして、これまで何故忌避されてきたのか、歴史的にどういう事が有って、その時のご皇族はどのように考え、振る舞われてきたのか。
そういう事をきちんと説明しないと、なぜ女系を認めないのかが一般人には理解できないじゃないか。
歯痒いね。
実際に営まれてきた人々の思いを女系派に無碍に踏みにじられているのに、誰もそれを指弾できないのだから。
今回も、あまり期待はしないで見る。伝統芸能として。
と言うか不安だ。 八木……。やらかすなよ(苦笑)。
それにしても三浦瑠麗はいらないな。よく臆面も無く皇統問題で出てこられるな。