無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

蓮舫とは印象通りの恐ろしい女

 結局、こういう事なんだよね。

 蓮舫その者は「帰化」ではなく、今回の問題は二重国籍という事だが、本人はあまりに国籍に無頓着だった事が窺い知れる。

1:誕生〜大学入学 | 蓮舫 | れんほう 参議院議員(魚拓)

1985年
台湾籍から帰化
帰化するまで謝蓮舫という名前で、今でも謝姓に愛着と誇りを感じている

 

 「謝」姓に愛着を持っているのは、当然だと思う。ただ、「誇り」というのがよく解らない。国際人ではないからその辺の感覚は理解できないが、普通、自分の姓に「誇り」という感覚を持つかね?

 そこにはどうしたって、中華系である「謝」という姓に誇りを感じているという、「国」を背負った感覚が有るのではないか。

 とても「日本人である事に誇りを持っている」とまで思い詰めているとは思えない。単に党代表、総理大臣になりたいというだけの事だろう。

 

 その点、こちらの意見はまだ判り易い。

 小学生ならばいざしらず高校生にもなって、国籍変更という人生の一大事を覚えていないということがあるだろうか。「ガラパゴス島国の日本人には国籍は後生大事な存在のようですが、外国人の感覚は違います。国籍放棄を忘れるなんて日常茶飯事。とがめだてするような話ではない云々」としたり顔で擁護する人もいるようだが、実際に国籍放棄の経験がある私から言わせれば馬鹿げた話だ。 

 

 このくだりを読んで、蓮舫氏がウソをついていると確信した。日本の国会議員である彼女が照会すれば半日もたたないうちに確認ができるはずだ。それどころか台湾の官報はネットで公開されているため、検索すれば10分で答えはわかる。それを下手なウソで時間稼ぎを図っていたのだ。

 なんのための時間稼ぎなのか? その答えは民進党代表選だろう。党員・サポーター・地方議員は葉書によって投票する。締め切りは12日必着だ。それまでの期間、のらりくらりと二重国籍を認めずにやりすごそうと考えたのではないか。果たして、締め切りの翌日となった13日に蓮舫氏は記者会見を開き、二重国籍の事実を認めたのだった。代表選では503ポイントと過半数を獲得して新代表に選出されたが、党員やサポーターが二重国籍問題についての結果を知らずに投票先を決めたことを忘れてはならない。重要情報が明らかにされない中での投票だったのだから、やはり代表辞任が筋だろう。 

 

 つくづく蓮舫とは恐ろしい人間である。

 なにがなんでも既成事実を作るために、党員たちの投票締め切りを過ぎてから事実を認めていたのだ。

 よくもまあ、こんな人物を当たり前のように党代表として送り出すものだと普通ならなるが、民主党時代からこの手の体質は知られているので、脱力感しか無い。

 それにしても、こんな人物をまったく問題が無いとして擁護する感覚は理解しがたいものだが、そういう顔触れを見るとまず例外なく、「日本は多様化すべき」とか「移民を推進すべき」という主張の持ち主なのである。

  「グローバル」な基準でも、今回の問題は小さいものではないはずだ。当たり前だ。事は「政治家」の「国籍」なんだから。ほんの一ヶ月前には、こんな報道も有ったようだ。

 

 まあでも、色々と使えるからこのままで行った方がいいのかな。

 そういう問題でもないようにも感じるが。

 

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(31)

 昭和42年放送開始のテレビまんが主題歌を見ていきましょう。先ずは番組題を並べてみます。

 

悟空の大冒険

 『悟空の大冒険』は、テレビまんが第一作である『鉄腕アトム』が、丸4年の放送を遂に終えての後番組です。同じく明治製菓の提供で、明治からED主題歌「悟空が好き好き」を竜子という登場人物が紹介する形で収録した葉書シートが出されました。

 OP主題歌もED主題歌以上に非常に弾けた歌だったのですが、恐らくこれは、或る一定時期から視聴者にED主題歌の替え歌詞を募集するという企画になったようですので、その際に出されたシートだったのではないかと思われます。

 どちらも作詞は吉岡治、作曲は宇野誠一郎ですが、宇野を推薦したのは橋本一郎だったようです。これは、ラジオ番組の『もぐっちょちびっちょ』を橋本がシート化した際からの関係でした。

 

 『もぐっちょちびっちょ』のシートは、その絵を藤子不二雄が担当しており、残存枚数も少なめのため希少価値も出て、現在入手するには数万円を要する物となっています。

 橋本が珍しくラジオ番組のシート化を思いついたのは、脚本の井上ひさしに注目していたからでした。

 井上も、宇野も、更には藤子も、橋本一郎とは後に幾つも大仕事をする事になる訳ですが、その端緒となったのが『もぐっちょちびっちょ大冒険』でした。

 

 夏場になると、『オバQ音頭』で大当たりした夢をもう一度と、『悟空音頭』なる歌が作られ、新ED主題歌として流されました。

 『ジャングル大帝』以来、虫プロ作品の音盤は朝日ソノラマのシートと日本コロムビアのレコードという住み分けが出来ており、最初の主題歌も、この新ED主題歌も、両社からそれぞれ音盤化されました。

 作詞は、『もぐっちょちびっちょ』でも宇野誠一郎と組んだ井上ひさしで、歌は中山千夏が担当しました。この三人組は、『ひょっこりひょうたん島』で幾つも楽曲を吹き込んだ、息の合った組合せでした。

 『ひょっこりひょうたん島』の音盤も、橋本一郎が手掛けた朝日ソノラマのシートが最初の物です。『もぐっちょちびっちょ』の音盤から、これだけの世界が広がっていったのでした。

 

黄金バット

 『黄金バット』は、前年の昭和41年に東映で実写映画化されており、その際に既に主題歌がその映画でも使われていました。作詞は第一動画となっていますから、第一動画も既に制作に入っていて、その主題歌をそのまま流用したのでしょう。

 音盤は、その映画の時に朝日ソノラマがシート発売し、テレビまんが化の際にはソノラマの他、お馴染みのコロムビアに、更にビクター、コダマプレス、ミュージックグラフがシートを発売しました。

 どうも『たたかえ!オスパー』のクラウン独占で何か問題になったのか、日本テレビもTBSのように、一社独占という形での音盤発売がされなくなっておりました。

 ただ、TBSの日音のような音楽出版社である日本テレビ音楽は、まだ設立されていないので、どのような形態で管理していたかは不明です。

蓮舫を党首に選ぶ民進党への不信感が増大

 いやー、本当に蓮舫を党首に選んだわ。それも大差で。

 民進党って、維新も加わってるんだよねえ。なんでそうなるかね。

 まあワタクシは、そもそも橋下維新の頃からロクなもんじゃないと思っていたけれど。外国人参政権も認める方向だったしね。

 日本も「国際化」という流れなんだろうね。

 それを多数の日本人が納得して進めて行くなら、それは、もうどうしようもない事なのだが。

 つくづく、未来の「(元)日本人」が可哀想だと思うね。

 改めて言っておくが、蓮舫の個人はどうでもいい事で、日本という国柄に関わる問題なんだよね、これ。

 

 小林よしのり高森明勅が「女系」天皇へと盲進するのもそういう流れだし、その小林も長谷川豊(移民推進派)というお利口さんも、思い切り蓮舫支持表明。

 長谷川みたいな外人招来派は、むしろ(彼らにとって)邪魔な日本人のお年寄りを平気で「バカ」と公然と罵る。

 あんなお利口な人がテレビに携わる仕事をしている現今の世ですからね。如何にテレビがお利口な人ばかりか窺い知れるというものですが、そんないかがわしい連中の口車に乗って、またぞろ小泉政権時代のように、日本人が自ら墓穴の中へと身を投じていくのか。

 少なくとも目の黒いうちは、ワタクシは抗い続けるし、それを未来に託していくけれども。

洗濯板

 記事題を見て、ドキッとする女性も少なくなったろう。

 昭和時代には、胸が豊かではない女性の代名詞でもあった言葉である。

 何故ならば、こういう外観だからだ。今でも普通にAmazonとかでも売っているのが意外だった。

 段々になっているのが肋骨のように見えて、しかも全体は平らだからそのような表現となる。男でも、痩せっぽちには使われていたかもしれない。

 

 タライに水を張り、この板の上で洗濯物をゴシゴシと洗っていたのである。

 洗濯機が普及していない時代は勿論だが、昭和40年代中頃までは、結構な家で洗濯機洗いと手洗いを使い分けていたかと思う。だから,その頃までは大抵の家にこの板が有ったはずである。

 

 こんな段腹の板に布を擦りつけるのだから、生地もけっこう痛んでいたのではないかと思う。

 だが、その頃までは電気代や水道代を少しでも節約したいという家が有ったので、手洗いも廃れていなかったのだ。

 『ど根性ガエル』の中でも、ピョン吉は必ずタライと洗濯板で洗われていた。洗濯機だと目が回ってしまうからだ。ひろしの家とタライでの手洗いは、よく合っていた。

 

ゴーマニズム観戦歴(2)

今回の喧嘩稼業

 文学がメタメタにやられすぎ。しかも、あの体勢から桜井が目を突かないって、稼業世界の描写としては温すぎだろう。

 そして上杉の手から学んだ耳ちぎりからの煉獄。

 つくづく富田流も梶原柳剛流も、パクリ一派なのだった。

 三手以上入ってしまっているので、これで普通なら文学がかなり優勢となるのだが、なにしろメタメタにやられた後なので時間も短くなるだろうし、桜井はまだ動けるだろう。

 

 一方の文学は、メタメタのところに煉獄を繰りだして、当分はまともに動けない。

 そこで後の先の桜井が、いよいよ御殿手の技を繰り出す。

 シラットを想定していて、しかも動けない状態の文学は、まともにそれを喰らってしまうだろう。

 入江文学を愛する者たちの嘆きの時が、刻一刻と近づいている。

 

 

ゴーマニズム観戦歴(2)

 改めて見直して少し意外だったのは、初期のゴー宣では、まだ絵が下手だったのだ。

 但し、まだ年齢も若く考え方も今よりも幼稚だったので、その分、迫力と言うか訳の解らない勢いのようなものが迸っている。

 力業で読ませていた当時と言って良いだろう。

 

 ワタクシが初めて雑誌で『ゴーマニズム宣言』を読んだのは、「部落差別」に関して描いた回だったと思う。

 『朝まで生テレビ!』で禁忌を切り拓いてから、少しずつ雑誌媒体ではその手の記述が出ていた頃だった。

 ワタクシは、テレビの再放送から様々な音声が消されていくのが我慢ならなかったし、その手の情報を求めていた。だから、多分、表紙に「差別」どうこうでゴー宣が紹介してあったのが目に入って、コンビニで立ち読みしたのだと思う。

 ほどほどなら、立ち読みも害悪ばかりではないという証左と言える。その様な出会いでも、十年、二十年という読者が育ったりするのだから。まずは中身が目に触れないと、出会いの機会は狭まるばかりだろう。

 

 その差別の回は、凄まじい内容だった。

 話が悪い意味で出来過ぎで、とても完全に信じることは出来なかった。そのままドラマに出来るような話だ。

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 上のようなコマで締められているのだが、まだまだ絵も、表現力も、構成も、陳腐なものと言わざるを得ない。

 では、小林よしのりは、どのように技量が上達したのだろうか。

 先ず、どうしたって読者という存在が大きく関わっている。

 

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 普通、漫画家というのは事を荒立てたがらない人間が多く、抗議を受けると大体は一も二も無く引き下がってしまう。

 ところがこの男は、流石にゴーマンだった。悔しきゃお前も好きなこと言って楽しませる才能を身に付けろと言い放った。

 但し、次のような覚悟も有ってのことだ。

 

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 後に読み返した時だと思うが、上のコマにもホロリとしてしまった記憶が有る。泣いたな、多分(笑)。

 だが、ホロリとする必要なんかなかった。だって、「その日」はもう、絶対に来ないのだから。

 小林が消える日が来るとすれば、自分で「退位」を決意した時になるだろう。

 

 とにかく、こうした異論反論脅迫に立ち向かう事により、彼の客観性が磨かれていった。

 客観性が磨かれるという事は、絵や文字の上達とも密なる関連性が有るとワタクシは思っている。

 これは、先ず形から入れという事で、例えば習字を習わせると落ち着きが出るというような事も有る。

 絵や字を上手く描くためには、構成を考えなければならない。全体を俯瞰して見なければならない。

 

 客観性が磨かれていれば、或る程度は収まりの付く字や絵の配置が考えられるし、逆に訓練で配置能力を身に付けさせることにより、客観性を身に付けさせることも出来るわけだ。

 ワタクシ個人を考えてみても、高校くらいまでの自分しか目に入っていなかった頃は、自分でも恥ずかしい字しか書けず、かなりの劣等感が有った。

 だが、その後に社会で揉まれ、客観視が出来るようになると、自然に字の収まりを考えて書くようになり、決して達筆ではないが、以前の様な子供じみた字ではなくなった。

 勿論、どのような事にも例外は有ろうが、納得できる人は多いのではなかろうか。

 

 しかし、小林よしのりには、もっともっと強烈な難敵が立ちはだかる事となる。

 それら難敵との戦いによって、彼の客観性、いや、敢えてもっと俗な言葉で表現すれば、彼の「魂」が磨かれていくのである。

 なにしろ、その敵との戦いは、文字通り「命懸け」のものだったのだから。

 オウム真理教である。

 

コーマンかましてもいいですか

 ダイヤモンドを磨く事が出来るのはダイヤモンドだけ。

 ゴーマニズム宣言を磨く評論はワタクシにしか出来ない。

 

ゴーマニズム戦歴 (ベスト新書)

ゴーマニズム戦歴 (ベスト新書)

 

 

*1:「ゴーマニズム戦歴」KKベストセラーズ

今上陛下と麻雀

オータムハンデキャップ

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 競馬の世界ではもう「オータム」なんだな。

 今回も駄目。10番は期待に違わなかったが、やはり3番がねえ。

 

 

 今上陛下も麻雀を嗜まれた

 昭和50年代前半、月刊近代麻雀誌も部数を順調に伸ばしていてイケイケの勢いで、麻雀に市民権をという意気込みの企画特集を連続してやっていた。

 中で、皇族の麻雀を扱った時が有って、非常に貴重な、皇太子時代の今上陛下が卓を囲んでいらっしゃるお姿が掲載された号が有った。

 ワタクシはその号も持っているが、ちと探すのが大変なので、今はその写真は掲載できない。

 だが、こんな時代だから誰かしら載せてくれているだろうと思ったら、やはり検索すれば画像に辿り着ける。

 

 で、その写真とざっとした経緯は見た記憶が有ったのだが、なんと、当時も新聞記事にまでなっていたのだった。

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 これはイギリスのエリザベス女王戴冠式にご出席なさるため、当時は「竜宮のような美しさ」と形容されたウィルソン号に乗船なさり、その船上四日目の事として報じられた記事である。

 まだ19歳で学習院大学の学生当時であろうか。

 相手側も凄い。アメリカ人、中国人、フィリピン人だったというから、まるで世界大会である。

*1:昭和28年4月3日付読売新聞

挿しす世相史「力道山の断髪が報じられる」

 昭和25年9月11日、当時、将来有望とされていた関脇力士の力道山が、2日に自分で断髪して相撲協会に別れを告げたと報じられました。

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 一部で、この断髪を9月11日の事としておりますが、恐らくこの記事の掲載日をそのまま書いてしまったのだと思われます。

 力道山が自身で断髪したのは、記事中では同月2日の事として報じられております。

 

 上記の記事では、6月に自分の船から出火したのを保険金詐欺と伝えられたらしいですが、その記事は見つかりませんでした。

 どこかの雑誌の記事と思われますが、現在までその事件については、何故か触れられた事が無いと思います。

 

 辞めた理由については、二十三年の冬場所以来肺ジストマに冒されて、一向に回復しないからだとなっております。

 しかし、5月の夏場所が終わった後の6月に事件が起き、17日から次の秋場所が開幕するという直前になって、突如として自分で髷を切っての三行半という事で、どう考えても事件がなんらかの影響を与えている事は間違い無いと思われるのですが、今に至るまで全くこの点が検証されないのも不思議です。

 力道山はその後、翌26年11月18日に読売新聞が企画したジョー・ルイス(ヘビー級最多連続防衛記録を持つ元ボクシング王者)の模範試合に、プロレスラーとして華を添えるという場を持って、新たな道への転身を満天下に示す事となります。

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 その前哨戦として14日に遠藤幸吉とタッグを組んでアメリカ人プロレスラーと模範試合を挙行、引き分けを善戦と報じられました。

 そして18日の本番でも引き分けて、善戦と報じられました。

 

 ところがこの後、角界への復帰問題が取り沙汰される事となります。

 元力士がプロレスラーになる事を協会側が嫌悪したのでしょうか。いずれにしてもこの動きは、引退していた元大関の増位山の復帰と同時に議題に上り、どちらも結局は頓挫しております。

 力道自身は12月30日に記者会見を行い、角界復帰の意志が無い事と、年が明けたらアメリカに行ってレスリングを本格的に行う事を告げました。

 力道山が日本に凱旋し、一大プロレスブームを巻き起こすのは、およそ二年後の事となりますが、この時に誰が、後に日本を代表する英雄となるかを予見できたでしょうか。

*1:昭和25年9月11日付読売新聞夕刊

*2:昭和26年11月10日付読売新聞