無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「力道山の断髪が報じられる」

 昭和25年9月11日、当時、将来有望とされていた関脇力士の力道山が、2日に自分で断髪して相撲協会に別れを告げたと報じられました。

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 一部で、この断髪を9月11日の事としておりますが、恐らくこの記事の掲載日をそのまま書いてしまったのだと思われます。

 力道山が自身で断髪したのは、記事中では同月2日の事として報じられております。

 

 上記の記事では、6月に自分の船から出火したのを保険金詐欺と伝えられたらしいですが、その記事は見つかりませんでした。

 どこかの雑誌の記事と思われますが、現在までその事件については、何故か触れられた事が無いと思います。

 

 辞めた理由については、二十三年の冬場所以来肺ジストマに冒されて、一向に回復しないからだとなっております。

 しかし、5月の夏場所が終わった後の6月に事件が起き、17日から次の秋場所が開幕するという直前になって、突如として自分で髷を切っての三行半という事で、どう考えても事件がなんらかの影響を与えている事は間違い無いと思われるのですが、今に至るまで全くこの点が検証されないのも不思議です。

 力道山はその後、翌26年11月18日に読売新聞が企画したジョー・ルイス(ヘビー級最多連続防衛記録を持つ元ボクシング王者)の模範試合に、プロレスラーとして華を添えるという場を持って、新たな道への転身を満天下に示す事となります。

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 その前哨戦として14日に遠藤幸吉とタッグを組んでアメリカ人プロレスラーと模範試合を挙行、引き分けを善戦と報じられました。

 そして18日の本番でも引き分けて、善戦と報じられました。

 

 ところがこの後、角界への復帰問題が取り沙汰される事となります。

 元力士がプロレスラーになる事を協会側が嫌悪したのでしょうか。いずれにしてもこの動きは、引退していた元大関の増位山の復帰と同時に議題に上り、どちらも結局は頓挫しております。

 力道自身は12月30日に記者会見を行い、角界復帰の意志が無い事と、年が明けたらアメリカに行ってレスリングを本格的に行う事を告げました。

 力道山が日本に凱旋し、一大プロレスブームを巻き起こすのは、およそ二年後の事となりますが、この時に誰が、後に日本を代表する英雄となるかを予見できたでしょうか。

*1:昭和25年9月11日付読売新聞夕刊

*2:昭和26年11月10日付読売新聞