昭和唱和ショー「ステテコ」
Gさん(仮名)「ステテコってのも見かけなくなりましたね。自分の父親なんかは普通に履いていたんですが」
ごいんきょ「股引、猿股、ステテコなんてとこは、わしらの頃から見た目が悪いと敬遠されだしたからな。また、タイツとか色んなズボン下が出て来たし」
G「それらの区別って、どうなってるんですか」
ご「猿股ってのは、ステテコよりもピッタリしているものだな。裾が膝上まで来ているブリーフみたいな感じだ。股引(ももひき)ってのは、それが更に膝下、くるぶしの辺りまで来ているものだな。だから、その2つはどちらかと言えば寒い時に着るズボン下。
ところがステテコってのは、もっとゆったりして薄地の、膝下まで裾の有るズボン下だな」
G「すると、薄手の股引って感じですね」
ご「薄いし、ゆったりしている。だから、むしろ夏場に用いられたズボン下だな」
G「暑い夏場にズボン下を着たんですねえ」
ご「昭和時代の夏って、今みたいに亜熱帯のような暑さではなかったからね。もう少し柔らかかったし、気温だって30度を超える日なんか年に数日だったし。
だからステテコのようなズボン下は、ズボンを汗から守る中間肌着として機能していたんだろう」
G「今の気温じゃ、例えステテコでも余分に身に付けたくないですね、夏場は」
ご「でも、帰宅してすぐズボンを脱げば、そのまま寛げる服装でもあったんだな」
G「ああ、そう言えば、昭和時代の親父キャラってステテコ姿が多いですよね」
ご「多い多い。なんと言っても筆頭は、植木等がスーダラ節を披露した時の姿だな。あれでギャグ親父の姿はステテコと決まった(笑)」
G「クレージーキャッツの後継だったドリフターズでも、加藤茶さんが植木さんのやってた姿のままで親父になってましたね」
ご「腹巻きステテコ眼鏡にチョビ髭。全てが踏襲された。加トちゃん独自だったのは東北弁だけ。この二代の関東喜劇王が演じ続けたことにより、ステテコは不動の位置を獲得したのよ(笑)」
G「でも、最初にも言いましたけど、一般人でも普通に着てましたよね。それも単なる下着としてだけではなく、今で言うジャージ姿みたいな、寛いだ外出着にもなってたような」
ご「薄手で見た目にも涼しいし、膝下まで有ったから、極端に不快感を与える下着姿というものでもなかったんだろうな。特に夏場の軒下なんかでは、普通にそういう姿が見られたっけ」
G「羽田空港でステテコ姿の日本人がいるのが問題になったんですね」
ご「流石に空港で下着同然の寛いだ服装ってのもどうかと思うがな(笑)。
でも、この執筆者は、ステテコは問題無いって擁護しているのよ。上がランニングシャツっていうのは不味いけど、外着用のシャツと組み合わせてなら高温多湿の日本に合ってるって」
G「うーん。今なら外着にしてもおかしくない物も有りますけど、あの頃のステテコって、白い下着っぽいのばかりでしたよねえ」
ご「この執筆者の名前を見てご覧」
G「石津謙介……って、VANの? アイビーの!?」
ご「なあ(笑)。石津さんも、洋風信奉者ってわけではなかったのよ。そして、見た目至上主義でもなく、実用性も重視してたんだな」
G「石津さんがステテコや下駄を擁護しているなんて、これは面白い文章が見つかりましたね」
ご「ああ。どんどん徒花が増えるよ(笑)」
*1:昭和39年8月30日付読売新聞