挿しす世相史「南極観測隊が”昭和基地”と命名」
昭和32年1月29日(火)20時57分(現地時間)、南極観測船・宗谷が、南極のオングル島に上陸した旨の報告電が、永田観測隊隊長より発せられました。
そして、同島を含む周辺域を『昭和基地』と命名して日章旗を掲げたとの報告が有りました。
これにより、この年は一月から大いに南極隊の話題で持ちきりとなりました。
ところが翌年2月、悪天続きのために観測続行が不能となったばかりか、隊員達さえビーバー機での救出となる極限状態となりました。
そのため、同行させていた樺太犬15匹を置き去りにする事となり、世間はこの行為への非難と救出嘆願で喧しくなる事となります。
一年程の後、15匹のうち2匹の生存が確認され、また国中で注目される事となりました。
この事柄は昭和58年に映画『南極物語』として制作され、当時の興行収入記録を打ち立てる程の人気を呼んだものですが、この実話に関しましても、いずれ機会が有りましたらまた採り上げる事も有るでしょう。
*1:昭和32年1月30日付読売新聞夕刊