昭和21年4月10日(水) 戦後初の衆議院総選挙
見出しに謳われなかった初の女性参政
なんと、戦後初の総選挙は水曜日に行われていたのでした。
そしてこの選挙は、アメリカ主導によって日本でも初めて女性に参政権が認められた選挙だったのです。
それ以前にも非常に限定的な土地、期間だけ認められた例が有りましたが、この時は完全に男女平等での選挙でした。
ですが、その選挙を報じる新聞一面には、そうした特別な文言は無く、ごく普通の選挙報道となっております。
きょう投票日 新日本生み出す一票
世界注視のもとに悔いなき権利の行使
打ち立てよ民主の礎
見出しにも有りませんし、本文にも見当たりません。
初の女性代議士も誕生
ではどこにも書いていないかというと勿論そんな事は無くて、一枚めくった二面で少々触れられております。
坊や背に母も出かける投票日
棄権してまたも招くなあの犠牲
なんでいちいち川柳調になっているのか不明ですが、標語のような意味合いを持たせていたのでしょう。
この時の選挙結果は、概ね13日中に、東京二区は15日に決まるとありますから、今から考えると確定までかなり時間がかかっています。
そして39人の女性代議士が誕生したのでした。
なぜ一面では触れられていないのか
それにしても、日本の国政選挙史上未曾有の出来事であった婦人参政が、どうして一面で扱われなかったのでしょう。
本当の所は当時の読売関係者に聞かなければ解りませんが、やはり心のどこかにわだかまりが有ったんでしょうかね。女なんかに政治なんてとかいう感覚が。
でも、それよりも見出しに有るように、「新生日本」の選挙という事がやはり大きくて、その事は男女の別は無いという事だったのでしょう、きっと。
当時の女性達はまだ生きる事そのものに懸命な時代ですし、また、参政という事がよく解っていなかったでしょう。参政権よりも米一升の方がずっと助かるという切実な言葉も聞かれたのでした。