昭和唱和ショー「ラジオ」
Gさん(仮名)「なんでラジオなんです? ラジオは今でも有るでしょう」
ごいんきょ「有るか、ラジオ? 無いだろう、据え置き型のは」
G「ああ。据え置きラジオの話ですか」
ご「そりゃそうだよ。こんな感じのだな」
G「”ハイ・ファイ”って、当時から使われてる言葉だったんですか。
確かに、昭和30年代前半にはこんなラジオがどの家庭にも有ったんでしょうね」
ご「きっとな。それが、ほんの5年くらいした昭和30年代半ばになると一気にテレビの存在感が出て来て、ラジオの天下は非常に短かったんだ」
G「一応、大正時代から有るんですよね?」
ご「有ったけど、各家庭に普及したのは昭和30年代に入ってからだと思うよ。民放が出来たのが昭和25年だし。
で、いよいよ本格的に普及かというその時に、テレビが普及期に入ってしまったって感じだと思う」
G「こういう据え置きラジオが鎮座していたんですよね、茶の間に」
ご「初期のテレビとか、この頃のラジオは、高級品でもあるし、凄く大切にというか、一種、崇められていたからな(笑)。その感覚は、平成っ子には想像できないかもしれん。茶の間の高い所に神棚のように置かれ、一家揃ってそれに耳を傾けていたんだから、いま思えばなんと情緒ある光景か。
尤も、わしの記憶に有るラジオというのは既にステレオと一体化したものだったが。わしの子供時代は、とっくにテレビ時代に入っていたからな」
G「それでも、一家揃ってラジオを聞く時間は有ったんですよね」
ご「ああ。日曜の朝だな。昔は週休一日だから、会社員の日曜朝は活動が遅い。で、起きたらラジオを聞きながら布団の中でグダグダしているのよ、10時頃までは」
G「昭和40年代までですかね」
ご「そうだな。だから、その頃までは日曜朝のラジオ聴取率は高かったんだ。不二家歌謡ベストテンなんて、20%有ったって話だ」
G「うひゃ。今じゃテレビでもなかなか取れない数字ですね(笑)」
ご「今は大体、カーラジオだな、働いている人間が聞くのは。わしも通勤の時に聞いているよ。
そして、今でも昔ながらの番組造りをしている番組が結構あるんだ。『森本毅郎スタンバイ』の現場にアタックなんて、よくやっていると毎日感心してるよ」
G「放送作家がきちんと仕事している番組が結構ありますね、ラジオは」
ご「垂れ流しではなくて”番組”って感じのものが多くて、そういうものを楽しんできたわしなんかは、今ではラジオの方がテレビより面白い。ラジコとかで聞き易くなったのは、ありがたい事だな」
*1:昭和30年12月22日付読売新聞