長谷川豊炎上問題に絡めて我が身の回りを語ってみる
所詮はガキに過ぎなかったのか長谷川豊
なんと、ワタクシにとっては驚愕の展開となった。
エッ!となってしまった。
念の為、長谷川豊の年齢を調べてみた。
41。
おいおい。四十にして惑わずで不惑だぜ。
四十過ぎた中年があんな事を書いて、あげくの釈明文がこれですか。
ワタクシは、彼は「紙一重」なのだと思っていたが、単に「ガキ」なのだな。
所詮は小林よしのりと同類だったのだ。
勝手に不特定多数に喧嘩を売るような文言を使っておいて、不特定多数に喧嘩を買われたら、今度はその不特定多数が理解力が無いと言い出す。
でも、小林は、その「ガキ」である要素で魅せてきたのだから、元の世界に戻れればまだ救いは有る。
あのね。不特定多数には、圧倒的多数の「理解力の無い人々」がいるのです。
それ自体は悪い事ではなくて、そういう人々もきちんと社会を構成している人が多い。
うちの両親もそうだが、難しい事なんか何もわからないが、きちんと何十年も勤め上げて、社会に資している。そういう人間が殆どなのだ。
「死ね」とか「殺せ」とかは、確かに理解力の無い人にまでも届く言葉でしょう。
だけれども、理解力の無い人にそうした言葉が届いたら、いい反応、理想的な反応をするはずがないでしょうが。
事をネット炎上に限って書けば、あまりに酷い事を書いた人間には実生活でも制裁しようと考える人間は出て来ますし、前例もいっぱい有ります。
ワタクシはそんなものは絶対に認めない立場だけれども、現実、そういう連中はいるわけです。
そして彼らだって、きちんとした文章は認めたりしますし、喧嘩を売っていない文章にまで噛み付く事も、あまり有りません。
むしろ、おかしな言い分で噛み付く奴が逆炎上する場合だって多いのです。
べつにネットに限らず、現実世界だって、誰がヤクザかわかったものではありません。
だから正常な人は、相手がどんなに大人しそうな人間でも、どんなに馬鹿に見える人間でも、決してナメた態度は取らないものです。少なくとも、目に見えるようには。
それを不特定多数を相手にナメた言動したら、どんな帰結が待っているかは、誰にも想像など出来ない事なのです。
小林よしのり一派もこの辺の想像力があまりに甘くて情けなくなりますが、彼らはきっと、オウムと闘った誇りが、今は慢心となってしまっているのでしょう。
きっとワタクシのこの言葉も、慢心した連中には届かないと思います。
自分は大丈夫でも、影響が及ぶのが自分だけとは限らないのですよ。
長谷川豊はその辺の想像力が全く無かった。ただの愚か者だった。
ワタクシは、彼が或る程度は覚悟して傾いているのかと思って敬意を表したりしたが、やはり、ただのお利口さんで、世の中にどんな悪意が潜んでいるかも知らないお坊ちゃまに過ぎなかったのだ。
みんな、「ガキ」を苛めちゃいけないよ。
とも思うが、当の長谷川自身がこの後に及んでああいう態度だから、まあ、まだ火種は燻り続けるだろうね。
一番理解力が無いのは、実は長谷川自身なんだね。
ワタクシの知る男
本当は、今日は長谷川豊が述べたかった本当の論旨に反論を書こうと思っていたのだが、最初から、炎上目的の文章にあまり乗り気でなかったところへ、当の長谷川が戦闘意欲を無くして矛を収めようとしてしまった以上、結構な時間を使ってそんな事をする意義も減ってしまった。
だから、自分の身の回りの実例を挙げて、彼の論旨に少しだけ異を唱えるだけにしておこうと思う。
かなり私的で卑近な話となるので、ほとんどの人は読む必要の無い話だ。なんて言ったら、そもそも最初からだが。
ワタクシのかつての同僚で、四十代で透析となってしまった人間がいる。
お定まりのブクブク体型で、正に長谷川が叩いている、典型的な人物像と言って良いだろう。
彼は元々が飲食店勤務で、そのためか、或いは趣味嗜好で職を決めたのか、食い道楽だった。
ワタクシが入社した頃、彼は仕出し弁当にまったく手を付けず、店屋物ばかり食べていた。ずいぶん金を持っているなと驚いたが、ワタクシは、その頃は食には無頓着で、会社の弁当を不満一つ無く食べていた。
だが、その男は現場では結構な発言力を持っており、弁当を替えようと言い出した。ワタクシは今のままでもいいと思っていたが、入社したてだし、とても異など唱えられるものではない。
ま、実際、年寄り臭いおかずばかりで、ワタクシも食べられる部分は少なかった。
新しく取った弁当屋の弁当には、だから、目からウロコが落ちた。
こんなに美味い弁当が有るんだーと感激した。寸胴の味噌汁まで付けてくれていた。もう、ずっとこの弁当でいいよと思った。
だが日が経つと、弁当屋の歓待期間も終わり(笑)、普通の弁当になっていった。でもワタクシは、前の弁当に比べてもはるかに美味かったから、まったく不満は無かった。
だが、件の男がまた文句をつけだした。
寸胴鍋の味噌汁まで付けてくれる弁当屋なんて、世の中にどれだけ有るのだろう。
彼は、それでも不味いと文句を言い、また弁当屋を替えた。
とにかく食には異常に五月蠅い男だった。
だが、それも元々が食の専門家だったのだから、仕方の無い、と言うか、当然の部分が有るのだ。
次々と弁当を替えては弁当屋に文句を言い放つその男が、ワタクシには不遜に映ったし、付き合いで満足している弁当を替えられてしまう事に辟易もしていたし、弁当屋の営業に正面から「不味かった」と言い放つ彼が堪らなく嫌だったが、彼の来し方を思えば仕方ない事なのだと思うようにしていた。
私生活でも、やたら昨日は何々を食べたとか言っていた彼は、一目で周りの関心を引くくらいの太鼓腹だった。
そして彼は、ワタクシに対して辛く当たる部分が非常に多かった。
この辺は、きちんと描写しようとすれば自伝になってしまい(笑)、とてもブログの一記事では書き切れないのでかなり端折るが、仕事に関してだけでも、彼はかなりの部分をワタクシにやらせようとしていた。
実は彼は筋の世界とも繋がりが有り、ワタクシは必ずしもそれにビビっていたわけでもないが、ワタクシ自身がそれまでの人生をかなり不真面目に過ごし、きちんとした人々に多大な迷惑をかけていたのを反省しての底辺労働選択だったから、これも罰なのだと甘んじて受け入れるようにしていた。
その男がなぜ堕ちたか
ワタクシが底辺労働を選択した直接の切っ掛けは、NHK総合だったか教育だったか、底辺労働に体験入社した若者と、そこの社員たちとの触れ合いを描いたドキュメントを見て、涙して、これまでの人生をやり直すにはこういう所から始めるしか無いと思ったというのが有る。
ワタクシも若く、まだ無防備に甘かった。
底辺こそが、人間の最も底辺なのだ。
そこにいた人間は、決して美しくもなんともない、むしろ正反対の世界である。
彼のそれまでしていた仕事の大部分をワタクシに回され、ワタクシは精神には自信が有ったが、肉体はヘロヘロだったので、先ず肉体的に極限となった。
金もむしられだした。
反抗しようと思えば出来たが、敢えてしなかった。
第一には、当時のワタクシは人間的に実際に最低の奴で、その男にも不快な思いを多大にさせた自覚が有った。
第二に、そういうそれまでの自分への罰を自分で科した。
そして、これが恐ろしい事なのだが、その男にも思い知らせてやろうと思ったのだ。
ワタクシが彼の分まで仕事をする。底辺だから、完全無欠の肉体労働である。
正直、かなり大変だったし、ワタクシは今もその時の後遺症で、原因不明の体調不良を抱えている。
それでも文句一つ言わず黙ってこなし、会社を辞めるという選択肢も採らなかったのは、明言化する事の出来ぬ自信が有ったからだ。
こんな事をしている奴には、いずれ報いが来るのだという。
それは、ワタクシ自身も受けたものだったから。
そんな生活は、二十年ほど続いた。
こうして言葉にすれば一言だが、二十年間、そのような生活というのは、まあ普通の人間には絶対に出来ない。
ワタクシのように精神が頑丈で、かなり自分自身に負い目が有って、それを浄化しようと懸命に足掻いている人間か、それこそ神か仏のような人間でなければ。
演歌歌手がよく苦労苦労と言っていたけれど、たかだか十年も辛抱すれば誰かが救ってくれる苦労だった。歌謡曲全盛のあの頃は。それも、成功すれば巨万の富と地位を得られる世界での話だ。
こちとら、いつ終わるかとも知れぬ日々で、しかも所詮は底辺労働の職場での話で、ワタクシのような生来能天気の人間でなければ、発狂するのが普通だと思うような環境だった。
でも耐えられたのは、ワタクシ自身がそれまでロクでも無い人間だったのを精算したかったのと、その男には、堪らない美点も数多く有ったからだ。
ワタクシには真似の出来ない、素晴らしい美点が彼には沢山あって、そうしたところにもワタクシは籠絡されていた。
決して聖人君子ではないが、無上の善人だった。
あの明るさ、場を作る上手さ。誰人にでも有る美点ではない。
無上の善人である彼には、ロクでもなかった頃の名残が色濃かった当時のワタクシが癪に障るのだという事も理解は出来ていた。
そうして理解できてはいても、大変な日々だった。
だが、変換点は知らぬうちに着々と来ていた。
その男が、目に変調を訴え始めたのだ。
ワタクシにはなんの知識も無かったから、ただ狼狽えた。
後から得た知見を元に端折って言えば、その男は美食による栄養過多でだろうが、目の毛細血管をやられてしまった。結局、片目を失明した。
肉体労働の過半を宛がわれ(実は金銭的な面でも多大なるものが有ったが割愛)、ワタクシ自身も体調を少なからず変調させられながら、「見てろよ。いま俺がこうやっている事が、いずれ形になるから」と思っていたワタクシは、彼が「いずれ失明するかも」とワタクシに打ちあけた時、どう思ったか。
溜飲が下がったか。そういう人もいるだろう。
この世に神様はいると思ったか。そういう人もいるだろう。
ワタクシもきっと、彼がかつてのワタクシのように真底ロクでもない人間だったら、そのように感じて、めでたしめでたしだったに違いない。
だが、先にも言ったように、彼には美点が非常に多かった。あまりに多かった。
ワタクシは涙した。
彼を哀れんでではない。
彼を呪ってしまった自分自身の思いを激烈に後悔して。
不幸中の幸いというか、彼は片目の失明だけで済んだ。
それでも彼は、働きたがった。なんとか勤められるように社長と間を取り持ってくれと言ってきた。
ワタクシもお人好しだし、色々と面倒なのも嫌なので、ご希望通りにした。
だが、とうとう彼は透析を受ける身となってしまい、復職は決して叶わぬ身となった。
正直、その点に関してはワタクシはホッとした。
人の真価は人生の最底辺でこそ問われる
なにしろ二十年にわたる人間関係だから、とても一つのブログ記事で書き切れるものではない。
だから煎じ詰めて書いておきたい事は、彼は非常に美点が多く、大多数の人間から愛される部分も多かった事。
それでもワタクシがその様な関係になってしまったのは、そもそもワタクシがロクでもない生き方をしていた碌でもない人間だったという事。
ここいらは今後、機会が有ったらおいおい書くことも有るかもしれないが、基本的には読む人がけったくそ悪くなるだけの碌でもない生き方をしていたので、永久に書かないかもしれない。
とにかく、彼がワタクシに碌でもない行動を執ったのは、ワタクシ自身が当初は碌でもない人間だったからだというのは、彼のためにも、ワタクシのためにも、書いておかないとならない。
彼も他の多数の人間とは、濃密に良好な関係を築いていたのだ。
筋がかった人間というのは、そういうものなのだ。
そんな彼には子供が三人いた。みんな可愛い子だった。
当然、綺麗で気の利いた奥さんも居た。
片目を失った彼が、それでも働きたがったのは、もう働き始めていた長男や次男、奥さんたちだけに苦労はさせられないという思いだった。
そして何より、自分自身の誇りだった。
「俺もまだ、こんなことで終わりたくないんだよ」と何度も言っていた。
だが、透析の身となってしまえば、もう復職は物理的に不可能である。
人工透析というのは、患者にとっては、長谷川豊が言うような利権では決してない。
聞いただけで気の遠くなるような、この世の地獄とも思えるような責め苦が半永久的に続く。とワタクシには思える。
だから彼に「大変ですね」と言うと、サバサバと、「でも、これが俺の仕事と思えばな。寝てれば終わるんだから楽だろ」と言ってのけた。
その時ワタクシは、真底まいったと思った。自分ならきっと絶望していただろうに、こう言えてしまうその男を、その部分に於いて真底尊敬した。
長谷川豊への助言
ま、正直、ワタクシには長谷川という人間はわからない。
わからないのにこんな小題をつけてしまうというのがワタクシの浅さという事にしておこう。
これまで長々と書いてきたが、書き始める前は、ここまで長くする気は更々無かった。
ワタクシは土曜も出勤だから、午前3時になってもまだ書き終わらないこの事態に途方に暮れている(笑)。
しかし、一人の人間の人生をいうものを書こうと思ったら、最低限の低で済ませようと思っても、どうしてもこのくらいは書かないと気が済まない。
ワタクシも高慢な人間だが、どれほど高慢であろうとも、他人の人生には高慢でありきれない。
それが出来てしまうなんて、「私は人生四十年以上すごしてきても、いまだにガキと同じくらいのバカなんですよ~」と世界中に公言するようなものだから。
とても恥ずかしくて、まともな大人なら出来ないはずなのだ。
件の彼は、たしかに何も考えずに美食に耽り、運動もせず、きつい仕事すら後輩に回して、その結果として透析の身となった。
彼が職場からいなくなった後、「罰が当たった」と言った人が複数いた時、みんなそういう風に観ていたのかと意外にも思った。
人はワタクシより冷徹で、彼の美点を今でも称える人は、ワタクシの職場ではそう多くはない。
だが、そんな彼も、紛う方無く人の親なのだ。
美点もワタクシより多く持った、或る意味どこにでもいそうな、ごくごく普通の人の親なのである。
子供がいる前で、「お前の親は自業自得でそうなったのだから死ぬ事が世の中のためになるのだ」と言えるか。
或いは、極限状況ではそう言わねばならぬ時も有るかもしれない。
だが、今の日本がそこまでの極限状況だと捉える人間は、これは躊躇無く断言するが、「気違い」である。
他の大多数の人間に悪影響が顕著な形で及ぶ前に、自身で(もしかしたら)と考えられるうちに、心療内科なりに相談なさるべきである。
そのくらいに異常な事を、長谷川豊は書いていたのだ。
インターネットは、子供も若者も見ているのだ。そういう人間に少しでも胸を張れる仕事を増やす努力をすべき立場なのではないか、40も過ぎているのなら。
炎上狙いも、ワタクシは完全否定はしない。
むしろ、その役割に徹せられるなら、やり方と論旨によっては惚れてしまうだろう。
SPA連載時の小林よしのりには、そういう魅力が有った。彼も若かったというのも有るのだろうが。
けっこう前から気になっているのだが、そもそも長谷川は、日本の財政状況を過分に問題にしていて、殊更にがなり立てる。
まるで財務省の代理人としか思えないが、論点はけっこう多いので、その事はおいおいとやっていく事としよう。
長谷川豊への助言としては、肩の力を抜けよと。
万万が一、仮に日本が破産したとして、たかが金の問題じゃないか。
(ワタクシを含む)年寄りはその時、本当に地獄を見るが、あんたが心配しているらしい若者には、むしろそういう時こそが好機じゃないか。
世界の歴史を見て、国家破産で若者が絶滅した事例が有るかい?
あまり無用の絶望を大衆に押しつけて、作る必要の無い軋轢を作るものではないよ、あなたが何某かの工作員でないのなら。という事だ。