無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

絶対強者不在の時代

 ワタクシの大嫌いな事が弱い者いじめ。

 中でも最低に許せないのが、女性に暴力を振るう輩だ。

 なんらかの精神疾患としか思えないが、いずれにしても、そういう奴は理解できないし、許す事が出来ない。

 従って島田紳助とか顔を見るだけでむかっ腹が立つし、噂の次元だが、長渕剛だの玉置浩二だのなんて連中も気に入らないし、事実だとしたら、芸能的にも認める事が出来ない。

 人間として最低以下の奴が何をやったところで認めるわけにはいかない。

 

 ま、こんな木っ端どうでもいいのだけれど、なんだか近年、ワタクシが子供の頃は普通だった価値観を混ぜっ返したがる阿呆がそこここにいて、漫画描写でも男が女を平気で殴ったりとか見るようになっているのが気に掛かる。

 ワタクシが子供の頃は、そういう創作物の世界では、強い者は弱い者に絶対に手を出さないというのが、子供相手の創作物では必ず守られていた。そういう事は最も恥ずかしい事だと、我々は知らず知らずに教育されていた。

 文字でもそうだし、漫画もそうだし、テレビもそうだった。特に道徳教育のテレビ放送が大きかったと思っている。

 決して正解を規定せず、これからどうなるのだろうという所で番組は終わり、あとは見ている者たちに考えさせる作り方をしていた。これにより、物語をより深く自分の中に取り入れなければならなかった。

 

 だからなのかは知らないが、少なくともワタクシの学校にイジメという事は無かった。

 勿論、細かい諍いは有ったし、何故か女生徒に嫌われていて、よく生きてるなというくらいの嫌がらせを受けている奴とかはいた。

 けれども、そういう事が有った時には、必ず誰かが非難の声を挙げた。大体は女子だった。

 「先生に言いつけるから」が、彼女らの必殺技だった。

 また、女にいびられていた奴も、男は普通に接していた。

 不良はいたが、同じ校内の不良ではない人間に暴力を振るう事は絶対に無かった。それは彼らの中では恥に繋がる事だった。

 今思えば、非常に恵まれていた学校生活だった。

 

 今や、ワタクシが子供の頃は「強者」の立場だった者が、平気で弱い立場の者を攻撃する。

 そこに強者の「誇り」は無く、強い自分は徹底的に恵まれて当然だという、貪りの意識が奥底に有るのだが、おそらく連中は自覚していまい。

 それでいて東京都知事という首相にも並ぶ本来の絶対強者が、自身の不手際、公金浪費で叩かれるのがイジメだなどと戯言が罷り通る。

 もう、これからは政治家を徒や疎かに追求できなくなるだろう。

 なにしろ民衆が政治家を攻撃すれば、それは「イジメ」になるのだから。

 木の葉が沈んで石が浮く世だから、もうそんな事くらいでは驚きもしないが、舛添を擁護するにとどまらず、民衆の方を攻撃した連中は一生忘れない。

 その連中は二度と政治家に偉そうな事を言うなよ。それはイジメなんだからな(笑)。