挿しす世相史「日本プロ野球が2リーグに分裂する」
昭和24年11月26日(土)9時半、日本野球連盟の顧問・代表者連合会議が丸の内東京會舘別館にて協議の結果、連盟の解体と新たに2つのリーグを編成する事を決定しました。
経緯の説明は省きますが、最終的に読売、阪神、中日、大洋、広島、国鉄、松竹、西日本の8球団がセントラル・リーグを結成し、阪急、南海、東急、毎日、近鉄、大映、西鉄の7球団がパシフィック・リーグを結成しました。これが今日まで続いているセ・パ2リーグ体制の起こりとなります。
プロ野球は昭和11年から公式戦を行ってきていた訳ですが、ずっと1リーグで運営していました。しかし、人気の上昇により参入希望企業が増え、その加盟賛否で紛糾した中で、結果としては球団数が増えての2リーグ制移行となった訳です。
野球人気がここまで盛り上がった理由としましては、先ずはなんと言っても朝鮮特需で経済復興が急速に進み始めていた事が挙げられましょう。
野球界に関して言えば、赤バットの川上哲治、青バットの大下弘という、派手な演出の強打者が活躍して子供達の人気を煽っていたという事が有ります。
球団増に関して賛否ある中、プロ野球産みの親とも言えた読売の正力松太郎氏は、元々発足当初からいずれはアメリカのような2リーグ制を実現させたかったと言われ、いよいよ宿願が叶う時局が訪れたという事だったかと思われます。
その歓びは、紙面談話にも表れています。
*1:昭和24年11月27日付読売新聞