無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

漫画投句「男一匹ガキ大将」(本宮ひろ志)


 

喧嘩漫画の系譜(3)「男一匹ガキ大将」 

 『夕やけ番長』登場の翌年、まだ発刊したばかりで隔週刊だった少年ジャンプ誌上に、えらく絵の下手な少年喧嘩漫画が掲載された。わざわざ「少年」と付けたのは、描かれていたのは本当に稚拙な、ガキの喧嘩だったからだ。

 第一回を読んだ時に、この漫画がその後にどんどん大きくなっていく事を予見できた人間は、多分、一人もいなかったろうと思う。

 とにかく内容はチンケで、絵もすこぶる下手だった。

 

 ワタクシが初見したのは、例の「れすらマン」掲載号だったかと思う。後にして思えば、万吉が28人衆を長屋に集めて何やら発破をかけている回だったが、当時は何が何やらわからず、面白くもなんともなかった。

 その前だったか後だったか、親父の女性同僚の家に遊びに行った時に、その家には受験生の姉弟がいて、子供だったワタクシと遊ぶ暇が無くて、代わりに本を宛がってくれたのが、これだった。

 これも後にして思えば、あの富士山麓での東西対決で、万吉が腹に竹槍を刺されて終わる巻だった。

 異様な迫力に続きが読みたくはなったが、その巻だけ宛がうと、二人は猛勉強で、二度とワタクシの前には現れなかった。

 

 そこのおばさん(親父の同僚)は、教育ママの系統だった。

 しかし、女性同僚の家に子供連れで遊びに行けるなんて、いま考えても親父が居たその会社は、本当にいい人が集まっていたいい会社だった。

 他の男の同僚達も、みんなワタクシは好きだったし、社長も、社長夫人も、その娘も息子も、みんないい人だった。時代だとしか言い様が無い。

 みんな地方から出て来て東京で身を寄せ合って生きていたから、繋がりは今では想像が出来ないくらい密で、素朴だった。

 ちなみに、件の教育ママさんの倅さんの方は、その後ご希望通りに某国立大に合格し、これもご希望通りに東武鉄道に入られ、ずっと後年にはどういう経緯か、スカイツリーのお偉いさん(社長だか取締役)になられた。

 

 余談が長くなってしまったが、この漫画は、『ハリスの旋風』のちばてつやと『夕やけ番長』の梶原一騎が合作した『あしたのジョー』と、殆ど同時代の漫画である。

 梶原の『夕やけ番長』も続いており、言ってみれば初期暴力まんが全盛期と言えるだろう。少し後には、やはり梶原一騎による空手漫画に名を借りた暴力漫画?『虹を呼ぶ拳』も出て来ている。

 だが、この漫画はそれらと一線を画したものが有った。

 それは、本宮の父親が倅に施した助言、「万吉に株をやらせてみろ」から始まった。

 そして、単行本で言えば第二巻という初期の頃に、既に終生の宿敵とも言える水戸のばばあこと水戸正江、乗っ取り屋・水戸のおばばが登場する事になる。

 掲載第一回で万吉が救った少女・友子は岡野建設の社長令嬢だったが、その岡野建設が、この水戸のばばあに乗っ取られてしまう。

 猛然、抗議に行く万吉に、おばばは招待したモーターボートで振り回しながら、こう諭す。「これは大人の喧嘩だ」。

 

 こうして、この漫画は、子供の喧嘩、つまり体を使った取っ組み合いと、大人の喧嘩、頭を使った仕手などの戦いとが並行して描かれるという、今日までも類例が無い特別な世界を現出した。

 子供の喧嘩と書いたが、それも万吉が成長するに従って、幼稚な取っ組み合いから本格的な喧嘩となっていく。

 元々は小さな部落で一番を争っていた万吉が、徐々に勢力を広げていくのだが、その過程で大人の喧嘩相手、日本有数の相場師・白川宇太郎の秘書と揉めて、子分一同を引き連れて山ごもりする事となり、それが官憲との戦いとなって、結局、特等少年院に入る事ととなる。

 この辺は、明らかに『あしたのジョー』の影響を受けているだろう。

 だが、この漫画は喧嘩漫画としての発展を迎え、特少で「男」を知った万吉は、日本全国に「男」がいるはずだと思い至り、配下の者に、そういう「男」を自分の元へと連れてこいと命じるのだ。

 ここからが喧嘩漫画としての最高峰とも言うべき、万吉一家28人衆編ともいうべき展開となる。

 万吉は、日本全国の番長たちを自分の元に集合させるべく動き出したのである。

 

 清水一家28人衆に着想したであろうこの展開を思いついた時、本宮は、「これで最低28週は話を考えなくていい」と思ったという。

 とにかく過酷な週刊連載に、本宮の引き出しは常にカツカツ。

 道行く若者がこの漫画がこれからどうなるのか話し合っているのを聞いたときに、「俺がわからないものがお前らにわかるわけないだろう」と思ったというくらい、ギリギリの制作状況だった。

 しかし、そうしたギリギリの重圧が上手く作用した典型的な例で、この漫画は、ここから異様な熱気を帯びて展開していき、日本中の若者を引きずり込んでいった。

 これは決して大袈裟な表現でもない。

 かの少年漫画誌の雄・少年ジャンプも、先に言ったように、当時は最後発の弱小誌だった。それが100万部を伺う大雑誌へと成長したのは、紛う方無く『ハレンチ学園』と当作の功績なのである。

 受験勉強に邁進していた後のスカイツリー・トップが熱中していたのも、むべなるかなだったのだ。 

男一匹ガキ大将 第1巻

男一匹ガキ大将 第1巻