無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

恥痴呆談「天皇退位制度問題で有識者懐疑による最終報告」

Gさん(仮名)「いよいよ有識者会議の最終報告がされたようですが」

ごいんきょ「“由々しき者懐疑“な。しかし、上皇后とかいう言葉が両陛下の意向でもあるっていう朝日の報道は本当なのかね」

 

G「宮内庁と相談しながらやってるっていうんですがねえ。本当なんでしょうか」

ご「”特別法”だしなあ。とても相談しながらやっているとは思えないんだけど、その言葉に限ってって事なのかな?

  大喪の礼を行うって事も、陛下は了承されたという事かい。俄には信じられんが」

 

G「なんにせよ、これを受けて来月には本格化するようですね」

ご「しかし、高齢化時代の皇室に備えた陛下の発議を、根本から踏みにじったな、コイツら。畏れを知らぬ連中だ」

 

G「一応、民進党が異議を出しているようですが」

ご「官僚がよく用いる言葉の詐術でな。”天皇”と書くと一般化されるが、”天皇陛下”と書くと、今上陛下に限った話になってしまう。よく、こんな事を思いつくというか、餅は餅屋というか」

 

G「一般人には、何が違うのか、よくわからない人が多いでしょうね」

ご「それにしても民進党も、蓮舫なんかを代表に選んだのが運の尽きだったな。あの時点で既に二重国籍云々あったわけだけど、それ以前にしたって、あれで人気を呼べるか考えたらわかるだろ(苦笑)」

 

G「なんか潤いが無いというか、ギスギスして嫌な感じします」

ご「可愛げが無いんだよな。確かに女性政治家ってキビキビしてるけど、土井たか子にしたって小池百合子にしたって、可愛げ有ったのよ。そういうのがまるで無くって、あの顔とか声だけで不愉快になっちゃう。自民党石破茂もそんな感じだけど(笑)」

 

G「反面、安倍さんはどこか愛嬌も有るんでしょうね」

ご「反安倍の連中は、そういう所もきちんと分析しないと、ただ国民を呪ってたってなんの進歩も無いし(笑)、天に唾するだけだな。

  ま。蓮舫にやらせている限りは伸びる事は絶対に無いね。また、野田幹事長ってのも新味を殺したし。政界の常識として、時計の針は逆回しさせては絶対にいけないんだよ」

 

G「でも、安倍さんも二度目ですよ」

ご「総理総裁を、だろ。野田代表っていうなら、まだ支持者はいたんじゃないの。幹事長って党の実質的な顔だからさ。そこに野田佳彦を置くって時点で、まったく感覚がおかしいのよ。そりゃ細野豪志も愛想を尽かすよ(笑)」

 

ご「あなたが嫌いな、剽窃家の細野さんですね(笑)」

 

 

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(62)

エースをねらえ!

 山本鈴美香週刊マーガレットに連載していたテニス漫画を原作としたもので、主人公の岡ひろみが、憧れのお蝶夫人に引けを取らない名テニスプレイヤーへと成長していく話です。

 制作が関西・毎日放送だったため、本放送はNET(現テレビ朝日)でしたが、昭和50年のネット局総入れ替えによって毎日放送がTBS系になりました。

 それにより毎日放送制作番組がNET=テレビ朝日での再放送がされなくなり、また、逆に朝日放送制作の番組も本放送当時のTBSで再放送されるのが難しくなったため、この番組を始め、この時期の朝日&毎日放送制作テレビまんがが、大量に日本テレビ系で再放送される事となりました(ジャングル黒べえ空手バカ一代ど根性ガエル等々)。

 その夕方再放送枠は視聴率20%を越える人気枠だったため、『宇宙戦艦ヤマト』『ルパン三世』を始め数多くのテレビまんがが再生されたのですが、この『エースをねらえ!』も本放送ではパッとしなかったのが、この再放送で人気を呼び、後に『新エースをねらえ!』制作となりました。

 

 主題歌音盤は、東宝レコードから出されました。

 朝日ソノラマもパピイシリーズで出していますが、『侍ジャイアンツ』などと同様に、十八番のドラマ収録が無く2曲収録のみとなっています。

 制作費の問題なのかとも思いましたが、同時期の実写作品などは普通にドラマ入りなので、東京ムービー側が番組音源を貸し出さなかったのでしょう。

 かと言って、ソノラマが独自に一からドラマ制作する力は、かなり以前に無くなっていました。

 

 

冒険コロボックル

 小人のコロボックルの男女三人が人間世界にやってきて、せいたかくんという男の子と交流する様を描いたものでした。

 『おんぶおばけ』の後番組で、やはり住友生命が有力提供企業のため、児童文学を元にした名作調路線が堅持されています。

 この番組でも勿論、すみせいテレビメイトは発行されていました。

 

 音盤も引き続きキングレコードが手掛けていますが、『おんぶおばけ』では挿入歌レコードを多発したのに対し、この番組ではシングルは一枚ながら、LPレコードを出すという英断を行っています。

 しかも、劇中BGMで構成されており、こうした形式のテレビまんが音盤はこれが初めてとなります。

 この時期に曲を沢山作ってLPを出すというやり方だったコロムビアを向こうに回して販路を開くには、様々な権利者懐柔策が必要だったのでしょう。

 それが功を奏したのか、この番組では完全独占となっています。

 

 

侍ジャイアンツ

 父親が鯨に飲まれたため、デッカイ奴が大嫌いという番塲蛮(ばんば・ばん)が、忌み嫌っていた読売球団に入団して、結局は活躍するという野球漫画です。

 元々は梶原一騎の原作で週刊ジャンプに連載されており、『巨人の星』を焼き直したような人物構成となっています。

 また、荒唐無稽な魔球や打法は更に強力化しています。

 テレビ版は、漫画版を更に明るくした設定で、特に最終回は全く違った結末となりました。

 

 音盤は、ワーナー・パイオニアから超縦長ジャケで出されました。

 『空手バカ一代』と同様、梶原一騎の作品ですので、渡辺プロと梶原一騎の繋がりによるものだと理解できます。

 但し、こちらはソノラマもパピイシリーズで音盤化しています。

 ソノラマお得意のドラマ収録が無いのは『エースをねらえ!』で書いた通りですが、『空手バカ一代』『柔道賛歌』はWPの完全独占となっていたのですから、何故この番組ではソノラマも出せたのかは気になるところです。出版社の違いでしょうか。

 なお、番組後期に開始・終了時とも主題歌が変更され、そちらの音盤はワーナー・パイオニアの完全独占となっています。

 

 
キューティーハニー

 如月博士の発明による空中元素固定装置を備えたアンドロイドのハニーが、パンサークローという悪の結社とやり合うもので、永井豪原作らしいお色気描写が話題となりました。

 『デビルマン』、そして『ミクロイドS』の後番組となり、従って両作品と構成が同じで、キー局では終了主題歌や予告編は放送されませんでした。また、開始主題歌も1番だけの短いものでした。

 

 音盤は、NET・東映動画作品ですので、コロムビアのレコードとソノラマのパンチシートといういつもの並び。

 コロムビアは超縦長ジャケのSCS500系です。

 ソノラマの方は、きちんとドラマ入りとなっています。

 

昭和唱和ショー「夜鳴蕎麦」

Gさん(仮名)「夜鳴きソバって、♪ パララ~ララ パラララララ~の、チャルメラ吹きながら回ってる屋台のラーメン屋さんですよね」

ごいんきょ「ああ。もう、暫く見てないねえ」

 

G「最後に見たのって、いつ頃ですか?」

ご「ん~…… 40年くらい前かあ…」

 

G「だは(苦笑)。かなり前の話ですねえ」

ご「と言っても、わしが食べたのはって話で、それが最初で最後。夜鳴き自体は、その頃、毎晩ではないけどウチの周りにはちょくちょく来ていたな」

 

G「チャルメラを聞いたら家を出て呼び停めるんですよね」

ご「そうそう。それで、その場で食べても良いし、ウチの場合は家から丼を持って行って、それに入れてもらったっけな」

 

G「ああ、そういう食べ方も出来るんですか。家でも食べられたんですね」

ご「出来たよ。と言うか、都会ではむしろそれが自然な形だったんじゃないの。どこでも屋台を止められるわけじゃないから。ウチの周りは、当時はまだ車の通行量が少なかったから良かったけどね。まして夜10時とかは死んだような静けさだったから、当時は」

 

G「あれって、いつ頃から有るんでしょうね」

ご「発祥は江戸時代とかになるんだろうけど、その頃は当然、文字通りの蕎麦、日本ソバだったんだろうからな。ラーメンの夜鳴きとなると、明治時代って話と、大正時代って話が有るな。どうも明治かもしれない。それで、震災後に発展したようだ。元は、やはり中華街だったようだが」

米沢そば・らーめんの歴史|おいしい麺!米沢麺業組合

 

G「当時は支那ソバと呼ばれてたでしょうね。で、戦中は当然、そんなものは無くなったんですよねえ」

ご「そりゃそうなんだろうな。それが戦後に露天商が栄えだして、夜鳴きソバも増えたようなのだが、衛生面の理由から締め付けが強くなって、一時的にまた消えたらしい。それが昭和30年頃に緩和されて、また増えたと。わしらが知っているのは、それ以後のものだな」

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G「実際、美味しかったんですか?」

ご「味はねえ、当然、それだけ取れば美味しいなんてものではないわけ(笑)。ただな。木枯らし紋次郎だかを見て一家で布団の中だったと思うけど、突如聞こえたチャルメラに揃ってソワソワしだして、食べようかとなって、わしが止めに行って全部の丼一個ずつ持って帰って、それで全部揃ってから家の中で食べたという夜の風景ね。これが格別の味なのよ。ファミレスなんかでは味わえない。

  あの頃の、なんにも無い夜、遊び事も少ない中で、鮮烈な光を放ったように聞こえた夜鳴き。幾らお金を積んでも、どんな高級料理店に行っても、あれは味わえない。我が人生最高の食事の想い出だな。

  思えば、一家揃って外食なんかした事が無かったわ、我が家(苦笑)。それが唯一の”外食”だったんだな。だから、わしにとって特別な想い出だったんだ。この年になって初めて気がついたわ」

 

G(本当に寂しい人生だよなあ、コイツ……)

 「衛生面は問題無かったんでしょうかね、当時はもう」

ご「いやあ… 屋外だから、丼の洗浄だってどの程度きちんとやっていたか…。ウチは器持参だったからいいけど。

  で、それよりまた後になると、器がプラ容器になるのよ。それだと使い捨てで、洗わなくて良いし、衛生面も問題が無くなった」

 

G「カップラーメンとかが大いに普及した後での話ですね」

ご「尤も、器が使い捨てになったら屋台が止まらなくなって、客だけポツンとその場で器持って啜らなければならなかったなんて話を何かで読んだな」

 

G「そりゃ災難ですね(苦笑)」

 

*1:昭和30年9月11日付読売新聞

心を鷲掴みにされる動物動画集

カワウソ

 カワウソって、こんなに頭いいとは吃驚。

 人間の玩具をこんなに意図通りに使う動物って、あまりいないのでは?  


知育玩具で夢中になって遊ぶカワウソ「きなこ」

 

 

小猫

 本当、人間の乳児と同じ感じ。

 動物の子供も遊ぶの大好きだよね。 


【悶絶注意】子猫の空をこちょこちょしたら可愛すぎた ( Surprised Kitty)

 

 

 いい表情(かお)するね~(笑)。 


Cat Viciously Attacks Sleeping Dog

 

漫画投句「プレイボール(ちばあきお)その2」

Gさん(仮名)「ちょっと間が開いてしまいましたけど、プレイボール2も始まったみたいで丁度いいかもしれません。作者のインタビューが有りました」

ごいんきょ「作者? 剽窃家だろ(笑)。プレイボールの作者は、あくまでも ちばあきお。『クレヨンしんちゃん』だって臼井儀人の名前で続けてるだろ。作者の死後も続けるっていうのは、わしは認めがたいけど、もしやる場合、それは最低限の礼儀。なんで剽窃家が作者面して前面に出て来てるんだか。

  新作の話はいいよ。不愉快になるだけだから。

  勝負? いやいや、まったく相手にしてないんで(笑)、勝負は前作を知らない連中として下さい。それに負けたら承知しないよというのは有るけどね。それは編集部に」

 

G「話を振って失敗だったかな(苦笑)。とにかく本家の話をして下さい(笑)」

ご「プレイボールで一番記憶に残っているのはね、確か谷口が一年の時にシード校の東実に善戦しながらも負けた後の残念会だったのかな、それなんだよ」

 

G「試合ではなくて、残念会ですか(笑)」

ご「そこがさあ、やっぱり、ちばあきおなんだね。普通の野球漫画では有り得ないと思うよ(笑)」

 

G「残念会の何が?」

ご「全体的にだけど、特に歌だね。或る三年だったか二年生が、余興に ♪ おっいら岬の~ とか歌い出すのよ(笑)」

 

G「喜びも悲しみも幾歳月(笑)」

ご「わしはその頃、そんな歌は知らないんだけど、古めかしい場違いな歌って事はすぐにわかるのね(笑)。ああいうのが本当に上手い」

 

G「なんか、ジュースとか飲んでましたね」

ご「あれも流石でね。ジュースとか、華美でない食べ物とかを部員たちがガチャガチャと準備する、そこからきちんと描くから、ちばあきおは(笑)。

  あの瓶ジュースが眩しくてなあ。あの頃、ジュースなんて頻繁に飲むものではなかったから。喉が渇けば水道の水を飲んでたから」

 

G「OBが買ってくれたものでしたよね」

ご「確かそう。万年一回戦敗退だった墨高が、三回戦まで進んで、しかも東実に善戦したって事で、OBが喜んでカンパしてくれたんだと思ったけど」

 

G「当時キャプテンの田所が、そういう弱小時代のOBとの接着役として、卒業後もよく後輩の面倒を見てましたね」

ご「田所は『キャプテン』での丸井の役回りだな。電器屋で、卒業後は車で洗濯機の修理とか回ってたっけ。なんか野球の場面よりも、そういうのが記憶に残ってるな(苦笑)」

 

G「それまで野球漫画って、とにかく試合試合でしたからねえ。『巨人の星』はちょっと違ったけど」

ご「『巨人の星』は、色々と独特だったからな(苦笑)。

  ま、そうなんだ。水島新司にしても試合の場面が最優先で思い出されるのに、ちばあきおの場合、必ずしもそうではないのね、わしは」

 

G「試合で覚えてる場面は無いんですか?(苦笑)」

ご「試合で強烈に覚えてるのは、谷口が指を故障していた頃、予選一回戦か、相手が谷口の弱点に気付いて、最後の最後で外野にいた谷口の所を狙って、谷口はホームに送球が出来ないから呆然としちゃうのね」

 

G「はあはあ」

ご「で、相手は一回戦の大して強くないとこだし、その時点でサヨナラだと喜んじゃってバンザイして小躍りしながらゆっくりホームに歩いてて。谷口は悔しさのあまりにボールを地面に叩きつけちゃうの。そうしたら、猛烈な、正に地を這うようなバウンドでホームに届いちゃうんだよね」

 

G「谷口はピッチャーもやってましたからね」

ご「キャッチャーの田所が構えたのを見て、気付いた相手が慌てて走り出すんだけど、アウト。

  それから、墨高ナインが谷口のゴロ送球を捕球する練習を延々とするのよ。それが墨高の守備を鍛える事になるという、非常に合理的な展開」

 

G「練習をあんなに描いていた野球漫画も、それまで無かったですよね」

ご「無いねえ。水島新司の漫画だって、みんないきなり上手いから。殿馬なんて、なんであれだけピアノに打ち込んでてあんなに上手いんだよ(笑)」

 

G「やはり、練習場面を描いても面白くならないという意識だったんでしょうか」

ご「そういう怖さは絶対に有ったはず。漫画家も、編集部も。別冊ジャンプ時代の『キャプテン』だから出来たの。だって、一気に100ページとか載せてたんだから」

 

G「”別冊”時代は、目玉になる漫画が無かったって言ってましたね、あなた」

ご「無かった。週刊ジャンプに広告が出てたけど、ちっとも読みたくならなかった(笑)。ただ、『キャプテン』がいつも80ページとか大々的に宣伝されていて、週刊じゃ有り得ないなあと思ってたけど」

 

G「で、『キャプテン』という前例が有るから、『プレイボール』でも練習風景とかを載せられたんでしょうね」

ご「そうだな。週刊ジャンプなんて人気人気ってガツガツした雰囲気の雑誌だったけど、ちばあきおだけは空気感が違ったな。しかも、それでも面白くて人気が有る。この凄さは当時に雑誌で読まないと伝わらない」

 

G「結局、日常風景と練習風景しか語りませんでしたね(笑)。

  しかし、そういう事にこそ ちば漫画の底知れぬ魅力が現れてもいるのでしょう」

 

酒とバカラの日々「フロム・ザ・バレル」

第77回 皐月賞

 いつも通り10通り千円の三連複で買ったつもりだったのが、何故か最後の手続きボタンを押し忘れていたようで、投票されていなかった。

 でも、お陰で千円減らさずに済んだ。

 一番儲かる馬券は買わない馬券だという、当然すぎる結果に。

 しかし、もし当たってたら悔しかったろうけど。

 

 

フロム・ザ・バレル  

フロム・ザ・バレル 500ml

フロム・ザ・バレル 500ml

 

 いつもだったら、折角の50度超を満喫するためにストレートで頂くのだが、今日はロックを試してみる事に。

 いつもながら、その名の通りに樽から出したてのような香りが心地良い。

 丸大氷に浸して一呼吸置いてから傾けると、結構な刺激で唇がピリピリ来る。

 うーん。バレルって、もう少し柔らかかった気がしたけど。

 

 氷が溶けてくると、まあ普通のロックに。

 但し、50度超は伊達ではないので、これでも慣れていない人はかなりキクと思う。

 ハイニッカの流れならロックで旨くなるかなと思ったのだが、やはりバレルはストレートだな。

 なんと言うか、コクっぽいものが無くなった感じ。

 

 しかも、酔いも遅くなるし。

 ま、チビチビと飲っているってのはあるけどね。

 ウヰスキーのように強い酒は、絶対に呷って飲んではいけない。 

 キャンディーを舐めるように、ゆっくりしっかり味わいながら頂きましょう。

挿しす世相史「マッカーサー元帥日本を去る」

 昭和26年4月16日(月)朝、極東米軍総司令官のマッカーサー元帥が、5年8ヶ月の滞日任務を終えて離日しました。

 この日の夕刊は、一面のみならずほぼ全面を用いて報道し、元帥への感謝と慈しみに溢れていました。

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  これより前の12日にトルーマン大統領によって解任が発表され、後任にリッジウェイ中将が発表されていました。

 トルーマンは、マッカーサー解任の理由として、朝鮮動乱に於けるアメリカや国連の政策に全幅の支持を与えないと判断した事を挙げていました。

 

 帰米した後、19日にマッカーサーは議会演説を行い、非常に有名となる「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」という言葉を残したとされます。

 当時20日付け新聞では、その演説全文が載るなど、まだマッカーサー解任ショックは日本を揺るがしていました。

 その言葉は締めの部分で使われたものですが、ここにその部分の当時訳を載せてみます。

 

 私は今、52年に渡る軍人生活を閉じようとしている。私はまだ20世紀にも入らぬ頃に陸軍に入ったのである。若かりし私にとって、それは少年の希望と夢の実現であった。

 私がウェスト・ポイントの士官学校入学式で感激の宣誓を行ってから幾星霜、世界は幾たびか変転を繰り返した。以来、私の希望も夢も、とうに消え去ってしまった。

 しかし、私は若い頃、兵営で友人たちと歌った「兵隊の歌」の一節をよく覚えている。それは『老兵士は静かにただ消えてゆく、しかし彼は永久に死ぬ事が無い』という意味の事を誇らかに歌うものであった。

 この歌の老兵士と同じように、私は今、軍人生活を閉じ、ただ静かに消えてゆくのである。

 神により託された義務を果たすべく努めた一老兵は今、ただ消えてゆくのである。

 諸君よ、さらば、さようなら。 

 

*1:昭和26年4月16日付読売新聞夕刊