無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

恥痴呆談「帝政電電」ほか

 

訂正でんでん

Gさん(仮名)「やらかしましたねえ、安倍さん(苦笑)」

ごいんきょ「帝政電電な。NTTに誰かワンマンな経営者でもいるのか?(笑)」

 

G「なんで、ああなりますかねえ」

ご「これってさあ、麻生総理大臣当時の”みぞゆう”と違って、ただ揚げ足取りの話ではないからな。おかしいだろ、”でんでん”って(笑)」

 

G「おかしいですねえ(笑)。おかしいと思わなかったんでしょうか」

ご「そこが問題なんだよ。有り得ないわけ、”ていせいでんでん”なんて発音が。誤字の問題ではないんだよ。下読みした時に、おかしいなと思わなかったのか、或いは実際に読みながらでも、ここで”ていせいでんでん”って発音は、なんかおかしいなと思わなかったのか?って話なんだ」

 

G「政治家として、言葉のプロとしての話ですね」

ご「そう。知らない、読めないというのは、たしかに仕方無い。だけどさあ、あんだけ生きていて、”ていせいでんでん”って言う場面は無いって、使ったら変だって感じるだろうと。そうしたら、その場で変えられないと。”訂正どうこう”とかな。或いは恥を忍んで、その場で読み方を確認してもいいじゃないか」

 

G「それも恥ずかしいですが、ドヤ顔で”でんでん”とか言い放っちゃうよりは、数倍マシですね(苦笑)。でも、本当に”ていせいでんでん”と言うのだと思ってたんでしょう(笑)」

ご「おかしいって、言語感覚が。言うか?、”ていせいでんでん”(苦笑)。これは歴史に残る言葉だよ(笑)」

 

G「我々は、いつ”云々”って言葉を覚えたんでしょうね」

ご「わしの場合は、評論家とかがテレビで”うんぬん”ってよく使っていたし、文字でもよく目にしたしなあ。昔は普通にルビを使っていたからな。最近は面倒なのか、あまりルビを使わなくなっている。だから、こういう悲喜劇を生むんだよ(苦笑)」

 

G「そうですねえ。ルビ付き漢字で自然と覚えた言葉って、多かったですね。安倍総理も麻生さんも、読書できなかったんですよ。子供の頃から自由になる時間が限られていたんでしょう」

ご「わしだって本の虫って程でもなかったがなあ。しかし、あれを”でんでん”と読む発想は無かったわ。”でんでん”なんて言葉、絶対におかしいからなあ。おかしいと思ったら調べないと、思わぬところで恥を掻くという教訓だな」

 

 

稀勢の里 横綱昇進

G「ようやっとの稀勢の里横綱昇進ですが」

ご「最近は相撲もほとんど見んよ」

 

G「日本人なんか殆どいませんもんねえ(苦笑)」

ご「なにが”伝統”だって。能だろうが歌舞伎だろうが、こんなに外人ばかりになったら、それはもう”伝統”を謳い文句にはできないだろ。相撲も”伝統”を返上して、プロ競技として再生を図るのが真摯な姿勢だと思うよ」

 

G「そこまで開き直れば、若い奴が嫌がるフンドシ姿なんかも変えられるようになりますしね」

ご「稀勢の里の話で、”日本出身力士”って言葉が差別的なんて指摘する人間がいたけどさ、実際に日本出身力士として久しぶりなんだから仕方無いじゃない。また、そういう売り文句を使わせてやれっての。見ろ、相撲人気が出て来ているだろ。当たり前だよ。日本人が活躍しない相撲なんて、誰がわざわざ見るんだよ。サッカーとは違うんだぞ、立ち位置が」

 

G「ああ、”伝統”を返上しろという事ではないのですね(笑)」

ご「そらそうだろ(苦笑)。本当に伝統を返上して、タイツ姿で太った外人たちがくんずほぐれつしてるの見てお金払いたいか?(苦笑) わしは、そんな劣化レスリングなど見る気も無いわ」

 

G「やはり、ああまで外人力士を増やしてしまった協会の罪は大きいですね」

ご「移民政策は禁断の魔技なんだ。それで一時を凌げるように錯覚するが、実は止めを刺す愚策なんだな。”とどめをさす”だぞ(笑)」

 

G「わかりますって(苦笑)。”とめをさす”って言葉は無いですからね。あれ?こんな言葉は無いな、変だなと思ったら、調べるようにしようという話ですよね(笑)」

 

 

 アパ本の増刷

G「アパホテルの例の本が、増刷って話なんですが(笑)」

ご「そうなるねえ。あれは格好の宣伝になったよな」

 

G「800円という価格も、まあまあ手頃感が有りますかね」

ご「あるねえ。わしも読みたくなってきたよ(笑)」

 

G「あれ? べつに独自の視点じゃないから読む気は無いとか言ってませんでしたっけ?(苦笑)」

ご「でも、もし、これでそのまま消えさせてしまったら、なんか悔しいじゃないか、外人にいいようにやられっぱなしで(笑)」

 

G「たしかにねえ。何も知らないくせに中途半端に口を突っ込んで、一方的に日本を悪者にするって外人は腹立ちますね」

ご「そんな奴らの思い通りにさせてはなるものかって気になるもんな。アイツら、本当はアパが雇った自作自演要員だったんじゃないか?(笑)」

 

G「有り得ないです(苦笑)」

 

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(50)

天才バカボン

 赤塚不二夫の代表作である作品ですが、この最初のテレビ化では提供会社である大塚グループの意向が強く働き、遊び人であるはずのパパが植木屋になっていたりと、原作世界とは少しだけ違っていました。

 赤塚はそれが不服だったようですが、この4年後に日本テレビで制作された『元祖天才バカボン』は、わざわざ「元祖」と付けただけあって本来の姿に近い形でテレビ化されています。

 

 こちらの方は、同じ系列でも関西・読売テレビの制作で、三年半ものあいだ社会的にウケた『巨人の星』の後番組でした。同じ週刊少年マガジンの顔である作品とは言え、随分と路線をガラリと変えたものです。

 それが災いしたのか、はたまた提供会社のいらぬ介入が災いしたのか、この最初のテレビ化では視聴率が伸びず、2クールで終了となりました。

 しかし、関東地方では夕方の再放送の度に20%を超える高い視聴率を獲得し、先の『元祖』制作へと繋がる事となります。

 

 音盤としましては、テイチクがユニオンレーベルで発売しました。

 これまで全くテレビまんが音盤と関わりがなかったに等しいテイチクが、何故いきなり主題歌を獲得できたのかはわかりません。

 『いじわるばあさん』でのフィリップス起用と併せて考えると、読売テレビの担当者が、敢えて従来のテレビまんがとは違う路線を求めたのかという気もします。

 

 或いは単純に、歌唱のアイドル・フォーがテイチク専属だったという事なのかもしれません。

 アイドル・フォーは、当時としては珍しい、コミックソングを吹き込んでいる実力の有る4人グループでした。

 また、朝日ソノラマが従来のソノシートで発売しています。

 

 

ふしぎなメルモ

 娘を遺して交通事故で死んだ母親が、天国の神様の計らいで、娘にふしぎなキャンディーを授けるという、手塚治虫による漫画が元となった作品です。

 赤いキャンディーを食べると若返り、青いキャンディーを食べると年を取るというのが基本的な用法で、その他にも、赤と青を幾つか同時に食べる事に拠り、人間以外の生物になれたりもしました。

 ”メタモルフォーゼ”が語源ですが、元々の題名は”ママァちゃん”として、小学館の学習雑誌などに掲載されていたものです。

 

 この当時、手塚治虫が雑誌でも展開していた”性教育”を扱った作品の一つで、テレビまんがとしては、この手のものはこれ一つだったでしょうか。

 時代背景としましては、永井豪の『ハレンチ学園』が世間から糾弾されたものの、エッチまんがは大当たりするという事が判明し、その軟着陸地点として性教育ものが出て来たのでしょう。また、”進歩的知識人”が北欧などを形だけ真似て、性教育を肯定的に扱う空気が有ったというのも有ります。

 テレビまんがの企画実現に、大人の視聴者も考慮するという目線が、この作品にも感じられます。

 

 音盤としましては、レコードのコロムビアとシートのソノラマという、いつもの体制でした。

 手塚作品ではありますが、この番組は虫プロではなく、虫プロの商業展開に嫌気の差した手塚が、虫プロから離れて独自に興した手塚プロダクションの作品です。

 制作会社は替わっても、音盤の付き合いはそのまま引き継がれたと考えて良いのでしょう。

 

 

さるとびエッちゃん

 『魔法のマコちゃん』に続くNET月曜19時の不思議少女枠で、石森章太郎による”おかしなおかしなおかしなあの子”をテレビ化したものです。

 但しエッちゃんは、過去作のような魔法を使う少女ではなく、”さるとび”の名の通り、忍者のような身体能力で活躍するものでした。

 

 ”ハッチ”以来の母恋路線迎合の空気に合わせるかのように、エッちゃんが”おっかあ”を恋しがる場面も挿入されていました。

 音盤としましては、これもレコードのコロムビアとシートのソノラマという組合せです。

 

昭和唱和ショー「フラフープ」

Gさん(仮名)「いやー、とうとう来ましたね、この手の昭和回顧で必ず出るネタが(笑)」

ごいんきょ「まあ、そう言うな(苦笑)。先日、知り合いのアルバムを見ていたら、フラフープとダッコちゃんの写真が有ってさ(笑)」

 

G「あらー。ベタですねえ(笑)」

ご「ベタもベタなんだけど、当時の日本人は一般人に写真が広まりだした頃というのが有って、まだ写真慣れしてないというか、撮る時、場所、場合なんかが大体決まっていたんだよ。

  子供の日常的な写真だと、フラフープ、ダッコちゃん、そしてシェーというのが三大定番だったな」

 

G「今の人間にわかる物って有るんですかね」

ご「おそ松さんがウケてるみたいだから、シェーはわかるんじゃないかな。どうだろう。あと、フラフープって現役なんだぞ」

 

G「え? まったく見かけませんけど?」

ご「街中では見かけないけど、今はダイエット用品として注目されてるみたいだな」

G「あらー。でも、昔は体に悪いって言われてませんでしたっけ?」

ご「そこがよくわからないところなんだが、現在では問題無いって事になってるのかもな。でも、昭和のブームの時には実際に子供が内臓を悪くしてたんだけどな」

 

G「そもそも、いつ頃のブームだったんですか」

ご「これはハッキリしていて、昭和33年10月に、デパートが売り出したら馬鹿売れしたんだ」

 

G「元はアメリカなんですよね?」

ご「そう。アメリカでリズムに合わせて回して踊っていたんだけど、日本でも売れ出してすぐにフラフープソングが作られたんだ」

 

G「商魂たくましいですね」

ご「逞しいなんてものじゃないよ。10月29日に吹き込まれてるんだぞ」

 

G「は? デパートで売り出したのも10月って言いましたよね? 一ヶ月と経ってないじゃないですか(苦笑)」

ご「なにしろ、映画会社から主題歌にしたいと注文が有ったらしいが、それで一週間で書き上げたって話だからな(笑)」

 

G「えー。まあ当時は日本映画も全盛期で、次から次と作ってましたからねえ。ちょっと目を惹きそうなものには飛びついていたんでしょうが」

ご「それで、コロムビアが中島そのみに吹き込ませたんだよ。

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  これはアメリカのフラフープソングが元なんだが、片面には服部レイモンドによる”まわせばまわる”という日本独自の歌も作られたんだ。伴奏はスイング・ウエストだぞ」 

 

G「それにしても出来過ぎた話ですね」

ご「なんかな(笑)。日本で発売してすぐブームになって、歌もたちまち作られて。その頃はマスコミが火を付ければ、民衆も大抵は乗ってしまっていたんだな」

 

G「いつ頃まで続いたんですか、そのブーム」

ご「これが異常に短い。年内で終わるんだ(笑)」

 

G「え? 10月に火が付いて、年内に終わったんですか?(苦笑) 3ヶ月足らずって事ですか」

ご「ああ(笑)。これもハッキリしてるんだ。

  先ず、凧揚げの時にも書いたが、当時は自動車が急激に増え出した頃で、子供の警戒心がまだ薄かったんだな。フラフープに夢中での事故が増え出して問題になった」

 

G「あらー。でも凧揚げは残りましたよ」

ご「一番響いたのが、体を悪くする子が何人も出た事だ。11月16日に、荒川の少年がフラフープで遊んでいるうちに胃を破ってしまったんだ」

 

G「えっ!」

ご「尤も、元々胃潰瘍を患っていたらしいがな。だから、それだけだったら”体の悪い子は注意”で済んでいたかもしれないのだが、11月20日に、奈良で小六の少女がフラフープをやっていて卵巣破裂、あわや命にかかわるという事が起きて、12月5日に大和郡山市が全面禁止を打ち出すんだな」

 

G「えぇーっ! そんな事故が実際に有ったんですか」

ご「だから、子供にはあまり良くないのかもしれないな。大人は大丈夫なんだろう、今でも使われているんだから」

 

G「でも、動画サイトを見たら今もやっている子供が結構いますよ。そのわりに、今はそういう話を聞きませんね」

ご「うーん。医学的な因果関係は認められないって説が有力みたいだしなあ。でも実際に、当時はフラフープをやっていて内臓を壊す子供が複数出たんだよ。どういう事なんだか。

  とにかく間違い無いのは、交通事故が急増して警察が全国に禁止を呼びかけていたのも有るし、その大和郡山の事件で急激にブームが冷え込むんだ」

 

G「それって12月6日の報道っていうんですから、実質2ヶ月のブームじゃないですか(苦笑)」

ご「そうなんだけど(笑)、でも、半端なブームじゃなかったわけ。その二ヶ月の濃密ぶりが物凄いんだよ、当時は娯楽だって少ないし。新聞記事にだって、その二ヶ月の間だけで数十件もなってるんだぞ、たかがフラフープの事で」

 

G「へえ。正に時代が生んだブームですね」

ご「で、11月下旬にビクターの神楽坂浮子が、純和風フラフープソングである”三味線フラフープ”ってのを吹き込むんだ」

 

G「それって、あからさまな忘年会狙いですよね(苦笑)」

ご「そうそう。お座敷ソングが持て囃されてたしな(笑)。ところが意に反して、アッと言う間に12月頭にブームが沈静化しちゃうわけよ。きっとビクターは頭かかえたと思うよ(笑)」

 

G「ダッコちゃんのブームというのはどんな感じだったんでしょうか」

ご「その前にお知らせをどうぞ」

 

G「昭和時代のテレビ番組みたいな繋ぎやめてください(苦笑)。来週はダッコちゃんという事ですね」

 

 

 

*1:昭和33年10月30日付読売新聞

昭和37年の憲法調査会に於ける皇室論議

 ワタクシの認識できる範囲では、まだ採り上げられていないようなので、昭和37年の憲法調査会に於ける皇室に関する議論を、時節柄、話の種にご紹介しようと思う。

 なお当ブログは、今般の皇室問題に関しては、当ブログの情報を自分の意見のように扱ってもらって構わないという姿勢である。各自の責任に於いてなら、いちいちソースを表示したりリンクを貼る必要は無いし、切り貼りコピペして使っても自由である。

 

 

 田中伊三次という政治家が昭和時代に居た。初当選は戦前で、保守合同した自由民主党に結党以来参加している。

 だが、親分の緒形竹虎が志半ばにして斃れた事により、以後は傍流として大した見せ場の無い政界人生であったと言えよう。

  そんな田中が昭和37年10月17日に、(池田勇人)内閣憲法調査会(会長=高柳賢三)での87回総会に於いて述べた改憲案に関する報道を見つけた。 

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  田中伊三次による改憲案は、

  1. 前文をわかりやすくして人権尊重を入れる
  2. 象徴天皇制ながら女帝を認め継承辞退や天皇退位を規定する
  3. 自衛権を規定し自衛軍を明記
  4. 参院全国区を辞め両院議決による推薦議員に代える
  5. 内閣の組織を改める
  6. 最高裁判事の国民審査は廃止しない
  7. 国旗(日の丸)・国家(君が代)・国章(菊)を規定する。

 となっている。

 全体的に、非常に所謂保守的な内容であるが、だからこそ一際に違和感を放っているのが2である。

 

 田中が、どのような意図でこのような提言を行ったのかまでは、今のところわからない。

 ただ、「天皇帰一の大精神を国民生活に顕現し、以て臣民思想の一大統一を計りたい」と戦前に語ったとウィキペディアに有るのだから、皇室に対する敬意は筋金入りではなかったか。

 時代背景としては、既に現在の皇太子殿下が二年前にご生誕されており、継承に関する憂いが当面は無い情勢であったので、そのような意見も大らかに出せたのかもしれない。

 

 女帝を認めるべきという意見は、それより前に神川彦松(東大名誉教授)も述べている。

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  神川は、その名も「皇道文化研究所」なるものを設立した人物との事であるから、これも皇室への敬意は並ではあるまい。

 彼らが何故、継承にまだ危機感の無かったこの当時に「退位」はともかく「女帝」まで踏み込んでいったのかは、研究者に任せたい。

 

 GHQ体制の後、内閣憲法調査会を中心とした改憲論議はそれなりに熱を帯びていたのだが、昭和39年7月3日に、最終報告が行われた。

 だが、それこそ10年以上の長きに渡って侃々諤々と行われた議論の帰結は、時の池田内閣で日本が高度成長に突入した事も有り、人心は経済的充足へと流れて改憲論議はお座なりになってしまった。

 

 

*1:昭和37年10月18日付読売新聞

*2:昭和37年3月15日付読売新聞

漫画投句「がんぼ ナニワ悪道編 (7)」

 気がついたら、6巻、7巻がもう出ていたのだった。

 いつも忘れた頃に発売になるので、ふと気付くと2、3冊読んでいないなんて事が結構あるのよね。

 で、書店が完全パックをするようになってから、これ買ったっけ?っていうのが増えて、重複買いが増えてたのよね。

 電子書籍にするようになって、そういう事が完全に無くなったのは良かった。

 

 『がんぼ』は、『激昂がんぼ』までが最高の流れだった。あそこで大団円となっていれば、これはもう、本当の名作だったと言える。

 妖怪の如き正体不明な権力を持つフィクサー、ハタ所長を呑み込んでしまおうという発想に行った事にも驚いたが、ハタ所長の力の源がきちんと設定されていて、それを神崎が逆用してしまうあたり、見事な作劇だと唸ったものだ。

 

 転じて、今の『ナニワ悪道編』は、大阪ヤクザとの抗争が話の中心となってしまい、二宮との共闘が等閑になってしまうし、ヤクザの抗争の話は漫画でも珍しくないので、この漫画の良さがかなり減じられていると、ワタクシなどは思っている。

 ただ、筋の進め方には相変わらず独創的な部分が有り、加えて関西の事件屋連中は絡んでいるので、その辺りでこの漫画独自の面白さも健在である。

 

 中でも、関西最大の暴力団伝説の三代目実弟で、当代五代目の相談役という超大物事件屋・井手前を排除するのはかなり難儀するのではと思われたが、とうとうこの巻で、井手前との抗争が決着する。

 かなり無理筋な筋運びになってきたなと感じるが、あのくらい強引に進めないと、神崎を関西最大の実力者に持って行くのも難しいだろう。

 軽い違和感は有るものの、収められる程度のもので、後は今後の展開次第で気にならなくなるだろう。

 

 昭和も50年代前半あたりまでは、立身出世ものという作品が、ドラマや小説で大当たりできた。花登筐が代表作家だが、他にも数多い作品が発表されていたのだ。

 だが、とんとそういう作品を見なくなってしまったし、仮にそうしたものを発表したところで、受けないだろう。

 この社会がガチガチに構築されている現在、一介の若造が成り上がろうなんて夢物語は、もはや裏社会でしか描けなくなってしまったという事なのだろう。

 折しも実在の大手暴力団で分裂騒動が有り、その辺の世相を上手く取り込んでいるあたり流石ではある。 

がんぼ ナニワ悪道編(7) (イブニングKC)

がんぼ ナニワ悪道編(7) (イブニングKC)

 

 

博士噺「麻雀回顧:田村光昭」

第58回 アメリカジョッキークラブカップ 

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 8番なんてかすりもしてない。

 どうも年頭は駄目だなあ、いつもながら。 

 

 

麻雀回顧『田村光昭』

Gさん(仮名)「今回はタミーラですか。誰も知りませんよね、もう(苦笑)」

ごいんきょ「だなあ。古川凱章とかは、たまーに表舞台でも打っていたみたいだけど、田村は完全に表舞台から消えてしまったからなあ」

 

G「消えてから少しして、片山まさゆきが漫画の中でタミイラってのを出してましたね(笑)」

ご「そう(笑)、麻雀に勝った金でマンションを買った男だが、いつの間にか世間から消えてしまった伝説の雀士としてな。タミーラという田村の愛称からタミイラとして、本当に包帯でグルグル巻きの雀士として(笑)」

 

G「あれって、矢崎泰久のエッセイが元ですね」

ご「”あいつの麻雀”な。第一回の長谷川和彦がムチャクチャ面白かったんだけど、その後は普通になっちゃった。矢崎の文才よりも、ゴジの人間としての破壊力の賜物だったんだな(笑)」

 

G「田村光昭の回で、田村が麻雀で勝った金でマンションを買ったと陰口を言われているみたいな描写が有って」

ご「麻雀版マンション久保田だな(笑)。その先駆けだ。マンション田村だよ(笑)」

 

G「その片山の漫画からもかなりの年月が経ってますねえ」

ご「それがさ、何年か前に気付いていたんだけど、彼ツイッターやってんのよ」

 

G「え!? だって、結構な年でしょ、もう」

ご「彼も一応は慶大出だしな。パソコンいじるくらいは出来るだろ」

 

G「いま何やってんです?」

ご「マカオでバカラやってるって書いているけどなあ」

 

G「なんじゃ、こら……」

ご「あはは(笑)。生田村はなかなか衝撃的だろう(笑)」

 

G「近代麻雀当時も左翼闘士としての片鱗は見せてましたけどね。しかし、これは凄いな」

ご「無形文化遺産に登録したいくらいの昭和左翼だねえ(笑)。でも大人になってるなと思うのは、全部リツイートなんだな。自分の意見は一つも無い。無駄な消耗を避けるようになってるね」

 

G「だって、無料媒体ですもんねえ。『麻雀ブルース』でもなんでも、お金を貰う原稿だから書けたっていうのは有るでしょう」

ご「『麻雀ブルース』は、当時関係者から絶讃されてたな。畑正憲なんか熱烈なシンパで」

 

G「ムツさんはタミーラの何をあんなに買ってたんでしょうかね」

ご「わからんなあ。打ち筋に外連が無い所なんじゃないかな。あとは、一匹狼的なところもそうなのかな」

 

G「タミーラの打ち筋は、当時としては群を抜いての実利派でしたからね」

ご「小島武夫・阿佐田哲也とは対極にあって、でも、そのぶん実戦的だったから、麻雀新選組の兄貴分だった小島よりも実績は上になってしまってな」

 

G「第三期最高位戦では、その小島が田村最高位を軍門に下して、初の栄冠に輝くんですね」

ご「小島武夫は無邪気だから、大喜びするわけ。阿佐田哲也は、名人奪取に失敗続きだった時点で、そういう実戦面でのカリスマ性では小島を売り出せないと痛感していたと思うのね。

  だから無冠の帝王みたいな感じでやっていたのに、大喜びしたのが気に入らなかったみたいで、『今更…』って苦々しく呟いたらしいけど(苦笑)」

 

G「それで第四期も連覇しますね、小島さん」

ご「そうしたら、『連覇なら、まあめでたい。めでたいの上にまあが付く』って。ようやく少しだけ誉めたね。で、『三連覇なら、これは本当にめでたい』って言ってたんだけど、それは叶わなかった」

 

G「第五期の挑戦者には、そのタミーラが勝ち上がってきたんですね、ムツさんと一緒に」

ご「そう。それで田村が奪還するという、なかなか因縁の対決だったんだ、本来は」

 

G「それで、例の灘麻太郎・荒正義の問題で、とんでもない事になって」

ご「ムツさんは、むしろ運営者の不手際を責めていたし、わしも同様の感想を、当時も今も持っている。あれは、あの時点で状況を打ち手に確認させておいて、取り敢えずあのまま最後まで打たせ、最終的な部分で処分を下すべきだったんだ。それならムツさんも文句無く田村最高位を認めていたろうし、或いはムツさんの逆転だって、本当に有ったかもしれない。可能性は低かったがな」

 

G「弱小運営体制で、きちんとした組織が無かったのが痛かったですね」

ご「狭い世界だからな。だからと言って、出版社が自由自在にタイトル戦をもてあそべるものでもないはずで。客観的になれない人間が運営を司ると、ああなってしまう。今般の将棋界にも通じるな」

 

G「事件後、タミーラが小島さんと対談した週刊プレイボーイも読みました」

ご「ああ雪解けの道険しって題でな(苦笑)。小島は一生懸命、田村に一緒に打とうと呼びかけるんだけど、けんもほろろでね」

 

G「なのに、なんで対談に出て来たんですかね」

ご「その事を小島側にも読者にも、ハッキリと宣告したかったんだろう。なにせ遺物的な昭和左翼の姿を現在に伝える男だから(笑)、頑固というか頑迷というか、とにかく頑ななんだな」

 

G「古川さんもそういう所が有りそうだったけど、わりと柔軟に小島さんとは付き合っていたようなのにねえ」

ご「古川は小島に恩みたいなものは有るからな。彼をあの世界に導いたのは小島だから。でも、田村とすれば、麻雀界の誰にも恩なんて無いって感じだったんだろう。元新選組隊長の阿佐田の事は、立てていたけれどな。その阿佐田も、事件後は麻雀界から離れてしまったし」

 

G「マカオなんかで引き籠もっていないで、あれから様変わりした麻雀界で、ムツさんや小島さんらとまた卓を囲んで欲しいですけどねえ」

ご「あの感じじゃ、頑迷さは相変わらずみたいだから、無理じゃないか(苦笑)。

  まあ相手は誰でもいいから、機会が有ればまた表舞台に出て来て欲しいとは思っているよ。本当に久々の新情報だったツイッターの写真が嬉しかった。近況も書くようにしてくれれば、もっと嬉しいけどな」

 

 

挿しす世相史「現憲法下で初の総選挙」

 昭和24年1月23日(日)、現憲法下に於ける初の総選挙が実施され、民主自由党が圧倒的な多数を獲得しました。

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 戦後の総選挙としては3度目だったのですが、現憲法下で初であり、そして投票が日曜日というのも、戦後はこれが初めての事でした。

 また、新憲法で定められた最高裁判所裁判官の国民審査も初めて行われています。

 

 結果は民主自由党が264議席と、民主党(現在の民主党とは別)の68議席を大きく上回り、吉田茂が第三次政権を築く事となります。

 また、社会党の49議席に対し、共産党が35議席も獲得したことも、意外な健闘とされました。

 

 

 

 

*1:昭和24年1月25日付読売新聞