無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

【喧嘩稼業仕合予想】 里見賢治 対 カブト を予想する

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 いよいよ一回線最後の仕合予想である。

 この試合も三代川対反町同様、二回線でカブトと反町の同門対決が有るはずだからと、里見を負け役と決めつけている人間が非常に多かった。

 だが、この漫画はそもそも不条理なまでの拳法押し漫画なのである。

 中でも、「最強の格闘技は何か」の問い掛けへの答の一端として、「御殿手」が提示される可能性が非常に高い。

 

 桜井裕章がその直系に有り、傍系の末裔として川口拳治、佐川兄弟、上杉均、里見賢治と、参加16人中、実に半数近い6名がその系統に連なっているのだ。

 しかも、決勝で待ち構えている田島彬と、いずれ姿を現す山本陸という二大重要人物が、その系列にいるのであるから。

 その最強の格闘技である御殿手に、文学・十兵衛の富田流が挑むという構図が、この漫画の隠された主題だ。

 

 だから十兵衛は一回戦で佐川徳夫とあたり、睦夫とも因縁を持っている。

 文学は一回線で桜井とあたり、勝者は二回戦で川口とあたるだろう。

 そういう考えから見れば、決勝に勝ち残る候補は三名。上杉均、佐川睦夫、そして里見賢治。

 ずばりワタクシは、里見賢治が決勝に残ると見ている。

 そして、それは、試合前の記者会見での里美と田島彬とのやり取りという伏線が活きてくる事にもなる。

 

 だが、そういう俯瞰した見方をせずとも、里見とプロレスラーのカブトでは、まったく問題にならない。

 そもそもプロレスは格闘技ではない。人を痛めつける事が目的ではないのだ。

 そういう修練しかしてこなかった人間が勝ち抜けるほど甘い大会でない事は、常識的な目を持っていれば痛感できているだろう。

 いかにパワー・スピード・テクニックが優れていても、急所を突く訓練をしていない者が、それを意識して修練してきた者に、ああした場で勝てるわけがないではないか。

 木多は、そこまで格闘技をナメて描かないだろう。

 

 入り口として、里見は大向こうに受ける「門」を決めようとする。

 だが勿論、プロレスラーとは言えカブト程の強者に通じる技ではなない。

 カブトは自ら身を前方に投げ出し、「わざと投げ飛ばされて受け身を取る」というプロレス的な防御法で門をやり過ごす。

 これには里見も苦笑するが、ではと攻撃を打撃に切り替える。

 それもカブトの反射神経やタフさに苦戦し、組み付かれて組み技に持って行かれ、絶体絶命と見える。

 その時、里見はカブトのキャスバル兄さんマスクに手を掛け、顎を上げさせて、曝け出された喉笛に手刀を一閃して一撃で決めるであろう。

麻雀回顧「花登筐(1)」

マイルチャンピオンシップ

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 まるであきまへん。

 先週と違って、何が来てもおかしくないというか、どれも来そうな感じがしてしまった。それでも資金に限りは有るから15番を外してしまうし。

 そういう時は、むしろ徹底的に絞って出費を抑えるようにした方がいいな。

 それはもう悟っていたのに、つい、先週勝ったから少し余裕を持ってしまった。

 

 

麻雀回顧「花登筐」

  漫画家である福地泡介が、至難とされた名人位防衛を果たした事は、決して小さくない麻雀界の事件だった。

 そして、その福地名人の三連覇の偉業を、たった700点差で阻止したのが、また「アマチュア」である花登筐であったのも、麻雀界にとっては少なからぬ衝撃だった。

 しかも、こと麻雀という事に関しては、ほとんど麻雀マスコミの話題になった事の無かった花登が、いきなり登場しての快挙であったから余計である。

 

 五味康祐阿佐田哲也という、黎明期の麻雀マスコミを先導した二人の高名も有って、それまでも作家に雀豪が多いという事は度々喧伝されていたのだが、花登筐の名はそれらに挙げられた事が無かったと思う。

 無論、作家と言っても花登は放送作家、脚本家の部類であるから、文壇とは人間関係が重なっていなかったのだろう。

 また、超人的に多忙でありつづけた男だから、そういう場に出る機会も、そうそう無かったのに違いない。

 

 そんな花登が、正に彗星のように麻雀界に現れて、いきなり第八期名人となったのも衝撃だったが、更に翌年、アッサリと連覇してしまったのは、更なる衝撃を以て麻雀界に報じられた。

 しかも、連覇の際の牌譜が鮮やかだった事も有り、畑正憲が好敵手として惚れ込んでしまった。

 関西ブーマージャン仕込みの、急所での鳴きがハマった牌譜は、それまでの誌上麻雀の打ち手に、あまり類例の無い個性的なものだった。

 鳴きにより必要牌を大量に喰い入れる手法は小池一夫を彷彿とさせるともされたが、小池は一色志向の強い殿様麻雀であったのに対し、花登のそれは、緩急自在だった。

 

 花登筐は、テレビ草創期の昭和30年代前半から、既に超々売れっ子作家だった。

 『やりくりアパート』『番頭はんと丁稚どん』『頓馬天狗』を同時に三局で担当して文字通りに一世を風靡し、それまで関東では通じなかった関西喜劇が関東でも大人気となっていった。

 喜劇に飽きが来て一般ドラマを書き出せば、それも『船場』『細うで繁盛記』『どてらい男』『あかんたれ』と、次々と世を騒がす大当たりとなった。

 テレビにとどまらず、舞台でも縦横無尽に活動した。

 

 従って、売れっ子になった昭和30年代以来は常に超多忙であった彼だったが、名人を防衛した事により、にわかに麻雀界の視線も熱くなった。

 殊に誰よりも牌譜研究を怠らなかった畑正憲が、花登に熱い視線を送った。

 そして、徹底的に打ち合いたいという畑の希望を商売に結びつけた月刊近代麻雀が、「畑・花登100番勝負」という企画を打ち出した。

 その告知を見た時、ワタクシは、あんな多忙な人が麻雀を百番も打てるのか? 最高位戦の阿佐田哲也すら出来なかったのに、と危惧した。

 

 勿論、勝負そのものは非常に楽しみにしていたのだが、或る時、最終ページに、畑・花登百番勝負は取り止めになったという編集部のお詫びが載った。

 ほら見ろ、出来もしない事をあんな大々的に告知するんじゃないよ、と思ったものだ。

 ところが後年、当時の近代麻雀編集長・岡田和裕の著書を読んで、ワタクシは驚いた。

 なんと、第一回の対戦は、花登邸で実際に行われたというのだ。

 

 ところが、その第一回の対戦で、体調が万全でなかったのか花登はまったく勝てず、なんと畑の9勝1敗という一方的な結果となってしまったというのだ。

 途中からあからさまに機嫌が悪くなった花登は、最後の十戦が終わるや何も言わず奥に引っ込んでしまったのだという。

 その結果も衝撃的だが、ワタクシには、花登のその態度も衝撃だった。

 名人連覇で麻雀界からも注目された花登は、月刊プロ麻雀にエッセイの連載を持っていた。そこに書かれていた彼の姿勢から乖離した、大人げないその態度にワタクシは失望してしまった。

 当然、その後の編集部からの督促にも応じず、企画は沙汰止みとなってしまったというのであった。

挿しす世相史「英エリザベス王女(当時)ご成婚式」

 昭和22年11月20日(木)11時半=現地時間、イギリスのエリザベス王女(現女王)と、ギリシャのアンドルー王子子息であるフィリップ・マウントバッテン少佐とのご成婚式がウエストミンスター寺院に於いて行われました。

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 ジョージ国王陛下から娘婿にエディンバラ公爵・メリオネス伯爵・グリニッジ男爵の称号を贈られ、以後、エディンバラ公爵と一般的に呼ばれる事が多くなりました。

 

 お二人ともご健在であらせられますので、今年でご成婚69周年という事になります。

 来年がプラチナ婚式という事になると思われます。

 日英とも、両陛下が共にご健康でご長寿というのは、ご同慶の至りであります。

*1:昭和22年11月21日付読売新聞

トランプ「大統領」の真の危険性

トランプは本当に反体制だったのか

 トランプを支持していたのは、プア・ホワイト、貧しい白人もいたのだろうが、実は富裕層も支持していたのではないかと思われる。

 TBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」でアメリカ情報を伝えている北丸雄二の感触では、選挙期間中のウォール街ユダヤ人によるトランプの見方は、老若で差が有ったという。

 曰く、年の行ったユダヤ人は、もしトランプが大統領になったら国外へ逃亡したいくらいと言うが、若者はむしろトランプに期待をしているのだと。

 

 トランプは、民主党側のクリントンを蹴落とすために、いかにも自分は体制側ではない、つまりウォール街など旧来の支配層とは一線を画しているという立場を取った。

 では、民主党側でヒラリーと覇を競ったサンダースと、その点では同じ立場だったのかというと、サンダースはハッキリと中間層を伸ばそうという姿勢だったのに対し、トランプは口先ではそう言いつつも、実際に言っていた政策は、富裕層の税率をも下げるというものだった。

 共和党は伝統的に「小さい政府」を掲げるようだし、その党の方針にも沿っていたから、元からの共和党支持者にも覚えめでたく、しかも、実はウォール街の若手にすら希望を抱かせる政策提言だったわけだ。

 

 トランプは反体制の皮を被った、超体制人間である。

 当たり前だ。金持ちなんだから、変革なんか起こしたら最も困る層なのである。

 だから、アメリカ人が本当に変革を望むのであれば、むしろサンダースを支持すべきだったのだが、民主党候補の争いという小さな器の中ですら、トランプからも体制の権化とされるクリントンが勝ってしまった。

 まだまだアメリカ人には「社会主義は悪である」という固定観念が染み付いているのだろうし、実際問題、民衆の成熟度が日本から見るとまるで赤児のように劣っている彼の国では、戦後昭和日本のような理想的な社会主義的社会の実現は難しいかもしれない。

 ま、今では此方も、かなり成熟度を破壊されてきているが。

 

 

TPPと日本

 トランプが選挙中に口にしていた政策を軌道修正する事など、余程の純粋真っ直ぐ君でなければ或る程度は織り込み済みだったであろうし、彼の言動を日本人よりも知悉していたはずのアメリカ人なら、余計にそうであろう、

 だから、例えばメキシコとの国境に壁を作らなかったからといって、彼の支持層がガッカリするかと言えば、むしろトランプらしいと思うのではないか。

 少なくとも、ワタクシはそういう目でトランプを見ていたのだが。

 とは言え、少なくとも姿勢としてはそういう姿勢を続けなければならないだろうし、長がそういう姿勢を執る事は民にも影響を及ぼす事は間違い無く、危険性が皆無だなどとは言わない。確かに予測不能ではある。

 

 日本として現在、最も気になるところは、安全保障とTPPで、どのような姿勢で来るかであろう。

 安倍晋三が急遽、彼との会談に至ったのは、何が何でもTPPを見捨てないでくれという事だったのだろうと思う。

 穿って考えれば、TPPはロシアとの交渉と裏で繋がっていると考えるしか無い。でなければ、アメリカの大統領候補が揃ってTPPに醒めた言動をしているのに、こうも慌てて臆面も無いやり方で通す事に躍起にならないだろう。

 つまり、日本は関税自主権を放棄して完全にアメリカ(ウォール街派)中心の体制に入るから、ロシアとの領土交渉で多少は向こうに譲るのを認めてくれという事だったのではないか。

 だから、プーチン来日交渉(北方領土問題)とTPPの無理矢理な押し通しが重なっていたのだろう。

 

 TPPをトランプが潰すかどうかは、彼に対する一つの試金石にはなるかもしれない。

 彼が本当に旧来の「支配者」と多少なりとも一線を引こうとしているのであれば、TPPからアメリカは撤退しないとならない。

 今のところの報道を見ると、かなりその可能性の方が高いようだが、どうだろうか。今回の大統領選で、如何に多くのアメリカ人が既得権層に忌避感を持っているかが露呈されたので、このまま収束する可能性は、実際に高いかもしれない。

 だがワタクシは、TPPが沙汰止みになったとしても、トランプの経済政策が更なる混乱をもたらす危険性を注視している。

 

 

トランプの真の危険性

 トランプの経済政策でワタクシが最も警戒するのは、「減税」である。これは、ほぼ間違い無く実行されるだろう。

 何故ならば、富裕層も減税されるのだから。

 だから前述のように、ウォール街と言えども若手はトランプの経済政策に期待していたのである。彼らは、トランプが実は「仲間」であると思っているわけだ。

 たしかに、たかだか4年で今のアメリカをユダヤ人弾圧国家に出来るはずもないし、そもそもトランプの娘婿もユダヤ富裕層なのである。そして、娘の方もユダヤ教に改宗したのだという。

 

 アメリカの「ウォール街支配」に嫌気が差していた人々は一定数いたのだろうが、民主党クリントン、そして共和党のトランプという両建ての構造の前に、またも届かなかった。

 アメリカは、「反体制の皮を被った超体制」を選択してしまった。

 その結果もたらされる富裕層減税政策により、歪みの肥大化が世界的に波及していたアメリカ経済の歪みが、更に大きくなる危険性が非常に高まった。

 TPP締結は日本とアメリカの悲劇だったが、これは世界的な悲劇に繋がっていく可能性が高いとワタクシは危惧している。

 「直ちに影響は無い」ので、きっと当面は持て囃される事だろうが。

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(40)

昭和44年放送開始のテレビまんが主題歌

 

 

ひみつのアッコちゃん

 初の少女物テレビまんが『魔法使いサリー』の後番組で、主人公が不思議な鏡を使って変身する、赤塚不二夫原作漫画のテレビ化作品です。

 前作をも凌ぐ人気番組となり、この二作によって所謂「東映動画魔女っ子もの」が有力な路線となりました。

 

 前作を凌ぐ人気だったのは音盤化の動きからも見て取れます。

 前作『サリー』では3曲も終了主題歌が作られたのに対して、本作では最初から最後まで、開始・終了両主題歌とも一度も変更されなかったにもかかわらず、朝日ソノラマは P-27、P-34と立て続けにソノシートを出しました。

 そのうち P-34 は、赤塚不二夫の絵とアニメの絵との二種の扉絵が存在しており、二集目なのに結構な売れ行きで重版された事が伺えます。

 更に P-42 として「夏休み うたのアルバム」と題した企画盤まで作られました。朝日ソノラマのテレビものソノシート史上でも、非常に珍しい例です。

 他に、例によってコロムビアからレコードが出されましたが、こちらも結構な売れ行きだったと見えて、今でも中古市場での入手は容易です。

 

 この人気は、商品化によっても支えられました。そして、テレビまんがの提供会社に、一種の変革点をもたらすのです。

 前作『サリー』以来の主たる提供会社である、「亀マークでお馴染みの」中嶋製作所が、「ひみつの鏡 テクマクマヤコン」を販売して大当たりしたのです。

 明治製菓提供『鉄腕アトム』以来、テレビまんがを支えてきた提供会社は、製菓会社が主流でした。

 しかし、この頃になると競合番組も著しく増え、しかも、より影響力を強めていたテレビの電波料も上がる一方で、単価の安い子供向けのお菓子の宣伝目的では、製菓会社には提供の旨味が減っていたのです。

 

 そんな中、この番組でのコンパクトの大当たりは、テレビまんがへの玩具会社の接近意欲を、より強くする効果が有ったと思われます。

 この後、段々と玩具会社がテレビまんがと関わってくるようになるのですが、そうした提供企業の流れも、おいおい解説して参ります。

 なお、この番組は中嶋製作所の他にも、協同乳業などが相乗り提供していました。

 

 

海底少年マリン

 元々『ドルフィン王子』として、昭和40年4月にフジテレビで3週だけカラー放送された作品が元となっており、それが翌年に再制作されてTBSで『がんばれ!マリンキッド』として13本放送されたものが根底に有ります。

 それをまた更に昭和44年に話を拡張してフジテレビで放送したものが、この『海底少年マリン』で、非常に特殊な経緯を持った作品です、

 この『マリン』を制作する際に、過去の場面などが編集されて流用されてしまったのかどうか、この『マリン』放送後は、『ドルフィン王子』は勿論、『がんばれ!マリンキッド』も、一切目にする事ができなくなってしまいました、

 

 その代わりというか、この『海底少年マリン』は、ワタクシの子供の頃は夕方など当たり前のように再放送されており、ワタクシの世代には意外と認知度の高いテレビまんがです。

 その名の通り、海底を舞台に活躍する主人公の話で、噛むと呼吸可能となるオキシガムなどのSF描写が目を惹きました。

 主題歌も非常に歌いやすくノリの良いものでした。

 シートはソノラマだけで、レコードの方は、キング、ビクター、東芝と三社から出されました。

 

 

そばかすプッチー

 開局当初の『進め!ラビット』以来、フジテレビは18時50分台に外国ミニまんがを放送し続けておりましたが、『ジョニー・サイファー』で日本の作画スタッフが使われ、後番組のこれは、とうとう国産のテレビまんがとなりました。

 『ジョニー・サイファー』には開始主題歌というものは無かったのですが、この『プッチー』には主題歌が出来、テイチクからレコード化されました。

 歌っているのは「フジ・ジュニア合唱団」となっており、フジテレビ『ちびっこのどじまん』に出演していた子供ではないかとワタクシは思うのですが、いずれにせよ、フジテレビ仕込みの児童歌手でしょう。

 

 ですから、その後であれば当然フジテレビ系のキャニオン・レコードから発売されていたはずですが、キャニオンが設立されるのは翌昭和45年の事です。

 昭和30年代初頭のテレビ黎明期に、大きな発言力を持っていた評論家の大宅壮一が、「一億総白痴化」を推進するものとしてテレビ・ラジオを激しく攻撃していたため、電波媒体は民放と言えども、より強い公共性を要求されていました。

 そのため、そうした公共の電波を独占的に使用しているマスコミであるテレビが営利優先の活動をする事など、当時は大っぴらに出来ない世情であり、テレビ局がレコード会社を持つなどという事は、あまり考えられない事だったのです。

 

イチロー純金切手の阿呆な売り出し方

 3000本安打を記念して51万円で51個限定で売り出すのは、まあいいとして、先着順なんですと(苦笑)。

 そんなもん、回線をありったけ用意した転売屋がせしめてアッと言う間に終わるわ。

 俺でも有り金はたいて買いたいもの、儲かるの確実だから(笑)。

 

 そうではなくて、きちんとした人の手に渡る手を考えるとか、せめてオークション形式にして、売り上げの数十%くらい寄付するとか考えられないのかね。

昭和唱和ショー「シミーズ」

 一般的に、男には女性の服飾の事はよく判らない。更にその中でも、下着に関してとなると、特によく判らない。

 ワタクシが小学生の頃には、「シミーズ」と呼ばれる女性用下着が有ったのだが、知人の女性に聞いたところでは、今はもうシミーズとは言わないようだ。

 少し前に「ブラスリップ」なんて言葉をよく聞いたから、じゃあ今は「スリップ」と呼ぶのかと思っていたら、ウィキペディアに拠れば、そうでもないらしい。

 最も相応しい現代の呼び名は、「(ロング)キャミソール」という事になるのだろうか。

 

 最初の頃は「シミーズ」と言っていたのだが、時代が数年進むと「シュミーズ」の方が一般的になって、なんだかお洒落な呼び方になったなと思っていた。

 だが、そうこうしているうち、昭和50年代後半になると、その手の言葉は聞かなくなってしまった。

 どうやら70年代のパンタロンブームがシミーズを駆逐してしまったらしい。

 それでも制服の女の子はシミーズを着ていたのだろうが、一般女性が着なくなっていった事により、女児用のシミーズも徐々に姿を消していったのだろう。

 

 さて、この「シミーズ」は、いつ頃から日本人に親しまれるようになったかというと、ワタクシの想像よりは早くて、昭和20年代後半には新聞で紹介されだしている。

 意外な事に、「シミーズ」という言葉より「シュミーズ」の方が、昔はよく用いられていた。敗戦後すぐの進駐軍が居た頃は、なるべく本来の洋語に近い発音を表現しようとしている事が伺える。

 昭和30年代になると、それまでの日本人には難しい拗音表記は一般的にむしろ使われなくなり出し、シュミーズもシミーズとなっていく。

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 この記事の書かれた昭和43年に、下着類やセーターなどの大きさの規格が通産省によって統一され、百貨店に使用が要請された。

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  この頃、女性の胸回りはLで78だったのだ。

 そして、「ショーツ」という言葉は意外に古くから使われている。

 

 「シミーズ」と混同されるという「スリップ」に関してはと言うと、こちらも意外と古くて、戦後すぐには使われていたようだから、もしかしたらもっと昔から使われていた言葉かもしれない。

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 まとめると、「スリップ」というのはその名の通り、滑るような生地の中間肌着。

 「シュミーズ」は綿とかの、もっと下着っぽい中間肌着で、昭和30年代あたりに当時の日本人が発音しやすい「シミーズ」となり、更に英語に慣れた世代が増えて「シュミーズ」に戻り、そのままパンタロンブームを経て死語化して行った。

 そして現在では、「キャミソール」がそれらを全て包含してしまった、という認識で良いのだろうか。

 実は細かい認識は、女性たちの認識も定まってはいないようだ。

*1:昭和43年8月20日付読売新聞

*2:昭和43年5月15日付読売新聞

*3:昭和23年9月20日付読売新聞