無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「算盤」

 先日の『挿しす世相史』の方で「完全オンライン化」について触れました際に、算盤も扱ってみようかと思い至りましたので、今回は珍しく予告通りの内容です。

 そもそも「算盤」という字すら、平成っ子には読めますまい。

 ソロバンですね。って、片仮名で書いても物が想像できないか。

f:id:sammadaisensei:20160816142323j:plain こんなのです。

 

 上の珠(たま)が「5」を表しているので、縦一列の5つの珠で1~9までを表せるという事です。

 でも、ワタクシも両親の田舎でだったか見た事が有りますが、もっと古い物には上段の珠が2つの物も有りました。

 

 今、電子計算機が無い家は有るかもしれませんが、昔は算盤が無い家というのは、かなり特殊というか、無かったのではないかと思います。

 そのくらい必需品だったのですが、その頃はお店も人間が計算していたので、けっこう間違いが有ったのですよね。

 だから主婦としては、算盤を弾いて家計簿を付けるというのは殆ど必須という感じだったかと思います。

 「主婦と生活」「婦人倶楽部」などの年末発売新年号には、必ず家計簿が付録に付いておりました。

 

 算盤は結構、子供達の遊び道具にもなっていて、トニー谷がマラカスのように使ってカチャカチャ鳴らすのを真似るくらいまではまだ良い方。

 指で弾けるように珠が出っ張っているので、引っ繰り返すと、手押しで車のように地を這わせることが出来るようになるのです。

 更には自分がその上に乗り、簡易スキーのような真似をする子も、少なくなかったはず。

 いろんな意味で生活に密着していました。

 

 昭和30年代末頃から、計算機のような物が出始めたようです。

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 「機械ソロバン」という名目でした。5800円というのは、今の7-8万円前後ではないかと思います。

 写真からはどのような機能なのかわかりませんが、加算機という名称から、加算だけしか出来なかったのかしれません。

 

 次に出てきたのは、「ICソロバン」という呼称です。

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 いよいよカシオ計算機の登場です。

 この形状の計算機はワタクシも見た事が有ります。16万5千円という値段は、おそらく今の30-50万くらいの価値は有るかと思いますし、見た目も一時のパソコンほどの大きさでしたが、能力は今の関数電卓以下でした。

 基本的に加減乗除のみで、他にはルート計算が出来たくらいだったかと思います(しかも他愛なくオーバーフロー)。

 

 翌年にメモリー機能が付いたあたりから、昭和世代には馴染みの深い「電子ソロバン」という呼称となります。

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  「計算機」という呼称より、「電子ソロバン」の方が通りが良かったのですね。

 

 ワタクシの記憶では、昭和50年代前半までは、まだまだ計算機も高い物で、それほど身近ではなかったです。

 街中の店舗などでは計算機を使う所が激増した時期ですが、それでも金融機関、特に郵便局などのお役所系では、検算に算盤を使う人も多かったですね。

 しかし、計算機が身近に感じる値段、数千円台になってからは、見る見る値段も下がっていき、アッと言う間に千円電卓とか出たように思います。

 千円電卓を初めて知った時には、ほんの十年ほど前に何十万円もしたものがと驚いたものでした。

*1:昭和39年11月2日付読売新聞

*2:昭和43年11月13日付読売新聞

*3:昭和44年8月2日付読売新聞

【喧嘩稼業仕合予想】 金隆山康隆 対 川口夢斗 を予想する

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 只今は第三試合、入江文学 対 桜井裕章の真っ最中なのですが、ワタクシは既に、文学は桜井に、良くても死に向かう不具にされると予想しております。

 ついでですので、これから他の人々と同様に、他の試合も予想したいと思います。

 先ずは、第四試合の 金隆山康隆 対 川口夢斗 戦を予想してみます。

 

 通常であれば相撲の力士など、この殺仕合(ころしあい)に出て来られるはずが無いのですが、日本人による格闘技最強を決めるという目的である以上、相撲を外すのも色々と気が引けたのでしょう。

 そこで木多は、金隆山という怪物力士を考案しました。なにしろ843勝無敗無休という戦績ですから。

 このくらい桁違いの力士でなければ、漫画的に訴求力・説得力も生じないという事ですね、力士がこの手の試合に出るというのは。

 

 金隆山は桁違いの化け物ですから、喧稼スレでは毎度お馴染みのコピペで繰り返しその能力を再確認され、実質的に揶揄されております(笑)。

 猛牛の突進を受け止め、投げ飛ばしてしまうのですから、その対獣能力は大熊殺しの山本陸、大熊を一撃で眠らせた入江無一、ライオンと棍棒一本で戦った桜井裕章と比肩する逸話と言えます。

 

 対する川口夢斗は、対獣戦績こそ無いものの、人間相手であればその蹴りは防御不能の破壊力というものです。

 肩でブロックすれば肩を骨折してしまうくらいですので、頭部への蹴りを自ら封印しているほど。

 この両者は共に日本全体から注目される英雄なので、「陽」側の中でも特に注目されている対戦です。

 金隆山が封じ手のツッパリやカンヌキなどを使えるか、川口が封じ手の頭部への蹴りを炸裂させるかと、作中でも皆が予想し合っているのです。

 

 さてワタクシの予想ですが、ズバリ川口が勝つでしょう。

 力士は、いかに金隆山と言えども弱点が多過ぎます。

 川口の封じ手は頭部が注目されていますが、脚部への攻撃に慣れていない力士には、なんと言ってもローキックが有効となるはずです。

 いきなり頭部への蹴りでは金隆山に足を掬われる可能性も有りますし、先ずはローキックで攻めるというのが基本となるはずです。

 

 金隆山のツッパリはどうでしょう。キックボクサーの川口に、まともに入るというのは無理が有るように思います。

 金隆山側としましては、ローキック攻め対策をどうするかに掛かってくるでしょうが、そこから上手く抱きつければ、閂(かんぬき)への道が開けます。

 それでも奪えるのは、川口の両腕までなのです。

 そこから川口捨て身の頭突きにたじろぐ金隆山の頭部に、上段蹴りが入って文句無く決まると見ております。

第1回麻雀プロ団体日本一決定戦 開幕

 既報の第1回麻雀プロ団体日本一決定戦が、8月11日の山の日に開幕したのでした。

 ワタクシも当然見たかったのですが、上京する用事も有り、視聴は叶いませんでした。

 

  肝心の結果は、次のようなものだったようです。

麻雀プロ団体日本一決定戦 総合成績 16/128
順位団体TOTAL第1戦第2戦第3戦第4戦
1 日本プロ麻雀連盟 226.0 108.6 22.9 ▲7.8 102.3
2 最高位戦日本プロ麻雀協会 62.0 39.5 27.5 9.6 ▲14.6
3 RMU ▲119.4 ▲25.6 ▲78.8 14.6 ▲29.6
4 日本プロ麻雀協会 ▲168.6 ▲122.5 28.4 ▲16.4 ▲58.1

 

  なんと言いますか、至当、という言葉が浮かびます。

 最も歴史の有るプロ雀蓮がダントツで、次に歴史の有る最高位戦までがプラス。

 

 ちなみに、最高位戦というのは元々は雑誌・月刊近代麻雀(現在の漫画雑誌とは別物)が主催していたタイトル戦であって、近代麻雀が手を引いてからが、有志団体による運営という事になります。

 「日本プロ麻雀協会」という名称が二つ有るのは、馬鹿だなとしか言い様が無いです。

 もう雀界ももう一段上を目指せるかもという時勢になったのだから、「最高位戦」を由来とした新しい簡潔な名前を考えるのが賢明でしょう。

 

 ここに μ(ミュー)が入っていたら、一桁プラスかマイナスの三位くらいが至当だったのではないかな。

 事は麻雀だからそう単純なものではないが、少なくともここまでは、気持ち悪いくらいに綺麗な結果となっていると思います。

 しかも、四人麻雀での誌上・放送対局としては史上初となる地和が出たというのです。

 

 

  当ブログで既述の通り、麻雀初の誌上タイトル戦である双葉社主催・第一期名人線では、麻雀の神様・阿佐田哲也による、あわや地和という一幕が有ったのです。 

 面白いですね。

 俗に「偶然」と言いますが、ここに「意思」を感じない人って、面白くないです。

 配牌で聴牌という事は、そうそう有るものでは有りません。

 それが、麻雀にとって非常に特別なタイトル戦である二戦で出てくるなんて、こんな面白い事象は無いですよ。

 ワタクシから言わせたら、明らかに「麻雀の神様」の悪戯、言葉が悪ければ「思し召し」です。

 

 しかも、当ブログで丁度、第一期名人戦を振り返り始めた時にこのタイトル戦が報じられたという奇遇についても触れました。 


 そして、阿佐田哲也のあわや地和という記事を書いたら、これです。

 ワタクシには、このような「連動」がけっこう多いのですよね。

 「ゴーマニスト」の宿業なのかもしれません。恐らく本家ゴーマニストは、「宿業」なんて言葉は夢想だにしていないでしょうが。

 まあ言いたい事は、人間の知恵なんぞ全体の億分の一も無かろうという事です。

 戦っている人々も、常にそういう「畏れ」を忘れないようにしないと、簡単に足下を掬われてしまいますのでお気を付けて。

 なんて助言は無用の精鋭揃いなのでしょうから、これからも目が離せません。

挿しす世相史「住友銀行の二支店が完全オンライン化」

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 昭和42年8月14日(月)、住友銀行の池袋支店、及び五反田支店の二支店で総合オンラインシステムによる業務完全機械化が実施されました。

 これは銀行業務の全てを完全に電子計算機で自動処理する仕組みで、算盤と帳簿が撤廃されたとの事です。

 

 しかも驚くべき事に、この試みは「世界ではじめて」と報じられています。

 勿論、住友は5月からオンラインシステムを採用していたと有りますし、電子計算機による業務は世界中で推進されていたのでしょうが、「完全」に実施されたのは世界初だったのでしょう。

 正直、まだアメリカでもそういう所が無かったのかと意外な感じもします。

 

 算盤を金融機関で見なくなったのは、いつ頃だったでしょうかね。

 その辺も含めて、次の『昭和唱和ショー』あたりで算盤を扱ってみましょうか。

 なんて書いてて、その通りに実行した事もあまり無いのですが。

*1:昭和42年8月15日付読売新聞

我が勝手新典範考

 8月8日の勅語は、振り返る程に、なんと暖かい叡慮であらせられるかとの思いを新たに致します。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日) - 宮内庁

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

 

 日本は、4年後に東京オリンピックという国家的な行事を控えておりますが、当然、その場に於いては、日本国の象徴たる天皇という存在が、諸外国にも注目される中で、非常に大事な役割をお務めになられる事になるはずです。

 既に齢80を越える今上陛下が、真に畏れ多い表現ながら、その時にその務めを充分に果たすことが出来るとは限らないというご叡慮も隠されていたのだと拝察致します。

 2年後までに代替わりを実現できれば、次の天皇も即位してからそれなりの期間を経ての国際舞台となるわけで、何気なく配されたような「2年後」というお言葉に、甚深の叡慮が込められていたのだと感じます。

 

 加えて、更に表現するのも畏れ多いことながら、天皇崩御に伴う儀式がそのような舞台を、更には国民の気持ちを萎えさせてしまいかねないというご叡慮も含まれていたのだろうと拝察致します。

 単に経済活動への影響という観点で解説していた者はいましたが、そういう実利的なことより、ワタクシは、国民に安穏と次なる国家的行事を満喫させたいという、恐れ入るばかりのご叡慮なのに違いあるまいと思い至りました。

 そして安倍晋三周辺が、この度の勅語を受けて「特別立法」という姑息な手段で対応しようとしているとの報道が有りますが、ワタクシはそんなもの、飛ばし記事だと信じています。

 まさかあの勅語から、「何でも良いから法律を規定せよ」と受け取る暗愚な者はおりますまい。

 畏れ多い表現ながら、国民に対しての一生一度の願いとして読み上げられた勅語を受けて、姑息な手段で対応すれば良いと考える者が日本国の総理大臣など務められるはずが有りません。

 尤も正直を申しませば、ワタクシは安倍晋三が実は改憲する気など皆無であると喝破しておりますし(改憲の実現性が無いと判断してからの手続きだけはする気は有るでしょう)、彼が今般の問題から姑息に逃げるとしても、その器が露呈しただけだとは思っています。

 

 皇室典範改革は、絶対に避けてはならぬ事です。

 では、どのように改革すれば良いのでしょうか。

 

 考え方の一つとしまして、そもそも家法である典範を、皇室に返上するというものがありましょう。

 ワタクシは、この案でしたら賛成するのです。

 ですが、この場合は憲法にまで手をつけなければならず、実現性は皆無に近いものが有ります。

 ワタクシ個人としましては、象徴天皇制をやめて、皇族には宗教法人格としてやって戴くというのが良いのではないかとも思うのです。

 ただ、そうなりますと南北朝時代のように、男朴(なんぼく)朝時代のような、それぞれに別の天皇を崇める世となりかねません。

 ちなみにワタクシは、男朝(なんちょう)を支持し、なけなしのものを寄進する事でしょう。

 

 それらは現実性が皆無なので置いておきまして、典範に手を加える場合ですが、皇位継承順位を皇族にも決めて戴く余地を考える事は必要ではないかと思います。

 ワタクシは、まだ敬宮殿下が幼少の頃ですが、皇太子殿下(と、もしかしたら妃殿下も)が発したお言葉から、自分の娘には普通の人生を歩ませたいと願われているように受け取った事が有ります。

 そのご発言の詳細が思い出せませんから、あまり確として言えませんけれども、個人の婚姻問題と違い、継承問題については、天皇お一人が当事者ではありません。

 これはあくまで仮定の一例ですが、天皇陛下がお隠れになった場合に、継承順位が2位以下の存在でも、継承順を持つ全ての皇族の同意に基づき、天皇に即位できるような余地を持たせるという考え方です。

 

 また、先の勅語で最後に陛下が仰っていた「象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくこと」も、今回の典範改革で考慮しなければなりません。

 ワタクシはこの点に於いて、女系絶対派も、男系絶対派も、「皇統安定」という観点からしたら同罪だと考えています。

 ここまで(現行規定での)皇統が細ってしまった現今に於いては、あらゆる手段で安定を図らなければ、未来の日本人に申し訳が立たなかろうと思うのです。

 ワタクシは、皇位継承権を持たない準皇族のような位置を新設し、今上天皇の直系三世までを、世に言う女性宮家のような形で聖域内にお戻しできるようにするのはどうだろうかと考えます。清子様もです。

 旧宮家は皇統保全の安全装置だったというような解釈が世に有りますが、これも万万が一に男系皇族が絶えた場合の安全装置として、聖域内で生まれ育った準皇族方のご子孫に継承順を振れるようにするものです。

 

 同時に、GHQ施政下で臣籍降下の扱いとなった旧宮家の方々も、準皇族としてお戻しし、聖域内で生まれ育ったそのご子孫に継承順を振れるようにすべきとも考えます。

 この場合、万万が一悠仁親王に男子が誕生しなかった場合には、継承順位で揉める可能性が出て来ます。

 けれども、事ここに至っては、そういう紛争を怖れてはならないのだろうと考えます。

 今の世は、いかに紛糾しようとも、もう命のやり取りで決める世ではありません。

 だからこそ、旧典範が封じた上皇という考え方に、真っ向から反論を掲げる人間も出ないのでしょう。

 

 そうして、言論によっての紛糾は、理解を深める事にも繋がります。

 小泉政権下に於ける典範改定騒動の時も、今回も、日頃は天皇とか、皇統など身近でなかった人間が思いを新たにし、これまで以上に天皇という存在が身近に、そして有り難く感じられるようになったという側面が有る事を、自分自身の実感も含めて、ワタクシは持っています。

 また、競争相手が居るという事も、機構の維持には大事な事なのだと考えます。

 非常に俗な表現で本来は憚られる事ですが、今上天皇の直系と、もう一統、傍系が存在する事により、良い意味での緊張状態が生まれる事も有るのではないかと考えます。

 

 畏れながら今般のようなギリギリの状態となってしまった背景に、皇太子殿下に男子が生まれるまで、男子の子作りを遠慮するご親族が有ったようにも読んだ事が有ります。

 その結果として民に紛糾をもたらし、結果としては国民の安寧を損ねてしまったという事を、今上陛下は非常にお悩みになられているものであると、ワタクシは勝手に想像しております。

 一連の週刊誌報道で騒がれた事は、全部が全部真実ではないでしょうが、今般のNHKリーク問題が事実であったように、そう現実から遠くない事も有ったのではないかとも、ワタクシは勝手に思っております。

 聖域内で「競争」と言いますとまったく表現が適切ではありませんが、或る種の緊張状態が生じるということは、意味が有るようにワタクシは思っています。

 男系派、女系派、更に当事者の方々にはより以上に恩讐が有るかとは思いますが、より大所高所の知恵が集まる事を期待します。

 

 以上は、なんの力も無い卑賤な人間だから勝手に言える事で、問題が問題のため、随所に非常に畏れ多い事、失礼な表現などが頻出してしまいました事を、最後にまとめてお詫びしたいと思います。

 

 ワタクシが第一に願います事は、とにかく国体の護持という事です。

 国体と申しますものは、築き上げてきた先人がございます。

 取り分け日本という国は、少なくとも「日本」という国号が出来てからに限りましては、天皇ご一族が国家安寧をもたらし、作り上げたもので、確実と思われる歴史で千五百年からのものが有るものと思います。

 

 建国者が確実で、しかもその一族が千五百年も一貫して元首であり、しかも慕われ続けているという国家は、どこにも存在しません。

 皇族を真似ていると思われる北朝鮮など、まだ百年と経っておりませんし、ヨーロッパ最古とされる王朝でも、千年前後との事です。

 しかも男系継承に限られた王族となると、比肩できる対象はまったく存在しないのです。

 しかもしかも更に加えて、日本の場合は建国者が神話と直結しているのです。こればかりは、いかに北朝鮮が形だけ真似しようとしても絶対に真似の出来ぬ、得難き巡り合わせというものです。

 天照大神が女性神だから皇族は女系という誑かしも世には有りますが、天照大神も未婚であって子孫は女系ではないという点を誤魔化す、嘘つきとも言われかねない論です。(なぜ高森明勅は解説しないのでしょうか?)

 しかも、その実は弟であるスサノオノミコトが「結婚」相手であるという解釈も有るようですが(昔は近親「婚」の概念が今とは違います)、そうであれば尚のこと、揺るぎの無い神代よりの男系継承という事になります。

 

 ワタクシ共は、可能な限りの英知を振り絞って、この唯一無二の価値を次世代に残していく責務が有ると考えます。

 至らない表現、立場にそぐわぬ生意気な物言いは、偏にそれ故とご理解下さい。

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(26)

 昭和41年1月2日、大人たちがお屠蘇気分の中、子供達には衝撃が走っていました。

 『月光仮面』『隠密剣士』など、日曜夜7時に子供のみならず社会的ヒットと言えるような人気番組を輩出していた武田薬品提供枠で、『ウルトラQ』が始まったのでした。

 あのゴジラ円谷プロが、テレビに毎週怪獣を出すという事で、瞬く間にこれも社会的人気番組となりました。

 

 『ウルトラQ』の番組そのものは、かなり前から制作されていて、昭和39年の11月には、もう新聞で紹介記事が出て来ました。

 朝日ソノラマ橋本一郎が初めて『ウルトラQ』の話を聞いたのは、昭和40年の4月頃ではなかったかと書いております。

 日音に顔を出した橋本が、「8月からTBSでとんでもない制作費をかけた子供番組がはじまる。オープニングテーマは旋律だけで歌はないが、その”番宣”のソノシートを出してくれないか」と、日音の部長に頼まれたというのです。*1

 しかし歌が無いという事で橋本が断ると、東宝との専属が切れ、テレビ進出を企てる円谷特技プロダクションの作品だと教えられたのでした。

 

 それで話を聞く気になった橋本は、円谷プロに出掛け、文芸の金城哲夫と意気投合。すぐに日音と契約を結んだのですが、それがウルトラQの商品化契約第一号だったという事です。放映前に契約したのは、朝日ソノプレスだけだと橋本は書いております。

 そして7月初旬には原稿も原盤も準備完了していたにも関わらず、『隠密剣士』が路線変更での放送延長となったとの連絡が入ったのでした。

 橋本の感じた印象では、TBS側は『ウルトラQ』がウケそうに思えず、実績の有る宣弘社にもう少し任せたかったようです。

 感性の断絶した当時の大人には、怪獣の魅力はわからず、単にグロテスクなものとしか映らなかったのでしょう。グロテスクなものはテレビではウケないという先入観が、当時は有りました。

 

 ソノラマの上司は泡食ったようで、「これがお蔵入りになったら、どうするんだ。おまえは日音に騙されたのだ」と騒がれる始末。そして11月に入り、ようやく翌年の1月2日からの放送で決定したとの連絡を受けたのでした。

 これを受けて、待ち続けていたソノラマは、放送開始前の12月中旬にシートを発売。 この辺に関しては村山実も、「それはそうですよ! だって、ずっと待っていたんだから(笑)」と回想しています。*2

 ウルトラQの初版は2万部との事で、それまでのテレビまんがシートに比べるとかなり少ないものでした。恐らく理由としては、テレビで使われていない歌が収録されていたからでしょう。

 『ウルトラQ』のテーマ音楽は、歌詞の無い音楽のみでしたから、音盤化には弱いと思われたのでしょう。当時は音楽のみのテレビ音盤が販売されるというのは非常に稀なことでしたし、まして子供を対象としたものでは、現在でもなかなか考えられない事でしょう。

 

 そこで日音は、「大怪獣のうた」「ウルトラマーチ」という独自の歌を制作して原盤を作成しました。

 放映が始まり、早速シートを手にした子供たちは、まったくテレビと関係の無い歌が入っていたことに、少々の違和感を持ったに違いありません。

 それでもシートにはドラマも収録され、冊子部で絵も楽しめたので、あまり不満は出なかったのでしょうか。

 村山の証言に拠れば、この歌についてはソノラマの意向は入っておらず、完全に日音側で進めたものだったようです。

 ソノラマとしては本来はテレビで使う歌を収録したいわけですが、日音はとにかくなんであろうと、許諾した商品が売れれば権料が入るのですから。

 

 しかし、視聴率30%を越える番組の凄まじい人気に支えられてシートもバカ売れ。

 裏番組としてフジでやっていた手塚治虫の『W3(ワンダースリー)』は、モロにその煽りを喰らう形で、20%以上から一桁へと下落。 這々の体で2月からは月曜19時半へと移動しましたが、この躓きを取り戻すのは難しかったようです。

 手塚治虫の長男、手塚眞は、父が怒った唯一の記憶として、ウルトラQを見たくて妹とチャンネル争いをした時の事を語っています。

 そんな兄妹に母親が「お父さんの番組(W3)を見なさい」と叱ったところ、「子供の観たいものを観せなさい!」と怒鳴ったというのです。

 非常に複雑な思いが交錯しての所作だったのでしょう。

 

 それまでの実写での子供向けテレビ音盤は、以前にも書きましたように、キングレコードが突出して多かったものです。『月光仮面』も『隠密剣士』も、キングレコードでした。

 しかし、この『ウルトラQ』の登場とその大ヒットにより、子供向け番組に「特撮もの」という、新たな潮流が出て来たのでした。

 それまで実写番組音盤で主軸だったキングの長田暁二は、以前に書きましたように、意地になってキャラクターものを出す気を無くしており、この新たな分野でも、朝日ソノラマの快進撃がかなりの長きに渡って続いていくこととなります。

 そして、『W3』で敗退した手塚治虫も、すぐにこの「特撮もの」で反撃するのでした。 

 

*1:鉄腕アトムの歌が聞こえる』橋本一郎少年画報社

*2:「1960年代 懐かしの漫画ソノシート大百科」(レコード探偵団)

8月8日勅語をワタクシがどう感じたか

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日) - 宮内庁

 

 天皇が「個人として」という前置きの下に発言されるという事は、これまでの常識からすると違和感が伴うが、それも時代なのだろう。

 今日は、この勅語をワタクシ個人がどう受け取ったかを書いておこうと思う。

 

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共におこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。 

 

 昨今、小林よしのり方面がよく用いる表現として、天皇への同情心を民衆に植え付けようとしているきらいが有って、ワタクシは大いに違和感が有った。

 恐らくその辺は、高森明勅あたりも実は違和感を持っているだろうと推察するのだが。

  だが陛下は、キッパリと、国民のために祈るという務めは幸せなことなのだと仰った。

 人間、或る程度生きて人生とかを考えるようになれば、まともな大人であれば誰でも大なり小なり、人間とは他人のために生きているのだと悟る時が来るはずである。

 それが解らない者は、永遠に不幸感に苛まされながら過ごさなくてはならない。

 

 畏れ多くも小林一派は、天皇陛下がそのようなみみっちい悩みを抱えていると(受け取れる)解説をしている。流石に、それは酷すぎるだろう。

 まともな大人であれば例え一人でも他人のためになりたいと願う中、天皇というお立場は、遍く日本国民のために生きる事が出来るのである。

 ワタクシなどは、天皇陛下のお立場を羨むくらいだ。

 だが、ワタクシはワタクシで、卑賤の者として生まれた運命を受け入れるしかない。その中で、卑賤で非力なりに、穀潰しにはなるまいと歯を食いしばっている。

 これは殆ど全ての社会人がそうなのであって、当たり前ながら陛下のご叡慮は、そんな事も全て包含されて、「その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ」と表して下さっている。

 しかも畏れ多くも、「深い信頼と敬愛をもって」と仰って下さる事に、市井に埋没して日常を格闘している人間で胸を熱くしない者はいないであろう。

 

 天皇というお立場は、間違っても国民が同情するような安っぽいものではない。我々がどれほど望んでも決して届く事の出来ない高みにいらっしゃるのである。

 それはそれとして、天皇と言えども現実には生身であらせられるのだから、実際の行為に負担を感じるという事は我々と違わない時も有るであろうし、そのような配慮は当然持つべきで、小林一派が言いたい部分はそこなのだという理解はワタクシにはできるのだが、恐らく一般的には、単なる同情心を植え付けかねず、そういう表現法が非常に不満である。

 更に畏れながら拝察すれば、次代の皇室を担う人々に、公務というのは、かように幸せな事なのであると示していらっしゃるのであろうとも、ワタクシは感じた。

 

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 

  高森明勅は些か舞い上がって、

これは事実上、これまで摂政設置を唱えて来た者どもを、
陛下ご自身が「反逆者」と認定されたに等しい。

  などと書いているが。

 本当にいつの世にも、勝手に叡慮を自分の中で作り上げるだけに止まらず、他人に向けて自分の言葉のように話す者がいるものだ。かなり舞い上がっているとしか思えないので、自重して戴きたい。

 自分がそう感じるのは自由だが、自分の言葉で自らの責任に於いて話すべきである。

 ワタクシの解釈では、陛下が「反逆者」などというチンケな視線で下々をご覧じるはずがない。

 

 ちなみにワタクシも摂政について触れたが、勿論それは、典範を改正して表現を改めての話である。

 今般の情勢でも、純粋な気持ちとして、生きていらっしゃる限り、天皇としてお名前だけでも留めておいて戴きたいと願う国民も居る。

 今上陛下はキッパリと拒絶されたが、未来の天皇に、そういう選択肢を残すというのは必要な事なのではないか?

 陛下も高齢時代に触れていらっしゃるが、昭和・平成のような高齢の天皇は、確実な歴史の中には存在しないはずで、それが二代続いたという事で、制度の中に考慮しなければならない視点のはずである。

 

 大橋巨泉のようにスローダウンしたタレントもいれば、永六輔のように死ぬまで現役であろうとしたタレントもおり、スポーツ選手の活躍にしてもそうであるが、どちらの生き方にも支持する者はいるのである。

 天皇に生涯現役でいて欲しいと願う国民、それに応えたいと思う天皇のための制度を考えておく事が反逆になるのだろうか?

 事は制度の話なのだから簡単な話で、例えば「天皇は加齢のため摂政を置く事が出来る」とか規定すれば良いわけだろう。そうすれば、天皇の仕事の引き継ぎだって自然に出来るのではないか?

 一方で、譲位や退位は、非常に成文規定が難しいと思う。

 何故なら、退位の自由を認めるなら、就位の自由も認めないとおかしい。

 こうなってくると基本的人権の話まで行ってしまい、象徴天皇憲法で規定する事にそもそも無理が出て来てしまう。(という議論も避けられなくなる恐れが出る)

 だからワタクシは、(典範改定の上で)摂政という考えも有るとしたのである。

 実際小林にしても高森にしても、上皇の規定を具体的にどう表現すれば良いと思っているのだろう。例によって、そこまで考えてない、か(笑)。

 

その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

 

 ご自分の経験も踏まえて、次代の皇族には難しいのではないかと、率直に述べられている部分であると拝察する。

 陛下が摂政を拒絶された理由は、それが「反逆」だからではなく、

この場合(摂政)も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

から と、明確に仰っているではないか。

 つまり、なんとか天皇崩御に伴う公務だけでも減らしてあげたいという思いやりであろう。

 そうなると、次のお立場が上皇とか太上天皇とかで良いのかとも思うが、その辺は新たに規定する問題だからどうとでも出来るとのご判断であろうし、その辺は十二分に考慮されるだろう。

 但し、それはあくまでも今上天皇の取られたお立場であって、民衆のためにも未来の天皇には選択肢を残しても良いのではないかというのは、ワタクシは感じる。

 

そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 

 「摂政」に関して明確に拒絶された陛下が、継承に関しては具体的な表現を避けていらっしゃる。

 当然の話、本来は男系継承が最も望ましい事を誰より痛感していらっしゃるのは、陛下であらせられるはずなのだから。

 既に長くもなったし、継承問題はまた長くなってしまうので、今回はここまでにしておき、また土曜の恥恥放談で私観を書こうと思うが、ごくごく少数の者で今回の「お言葉」を憲法上疑義が生じるように言う者は、陛下は国政に関しては一つも発しておられない点に留意すべきであろう。

 陛下が触れられているのは、八十を超える身になるまで数十年、文字通り全身全霊で勤め上げられた自身のお勤めに関する事と、付け加えるに、家内の問題だけである。

 それすら認めぬ者は、法律というのは人間のための道具にすぎないという事を理解すべきである。気触れと外国工作員には通じないだろうが。