無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

麻雀回顧「福地泡介」

エリザベス女王杯

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 いやあ、実に久々に勝ちらしい勝ち。

 今日は1,2,3,8,9,13で散らせば拾えるだろうという確信が有ったので、予算を五割増しで!1500円も振る舞っただけは有った。

 惜しいのは13番で、コイツが3着以内に入ればデカイと思って一番リキを入れて買ったのだが、5着までだった。もし3-9-13と来ていれば25万円だったのに!

 

 しかし、逆に15番は薄めに抑えていたので、3-9-15は買い漏らしている。15番が滑り込んでいたら、髪を掻き毟るほど悔しかっただろう。

 危ない所だったが、なんとか抑えた範囲で来てくれたので、久々の万級獲得。

 先月から限界を超えてゲルピン(昭和語)だったので、これで焼け石に少しだけ水を掛ける事が出来る。

 

 

麻雀回顧「福地泡介

 第五期名人の坂口誠彦は、確か第一期名人・青山敬と同じ、日本牌棋院所属だったと思う。

 牌棋院は阿佐田哲也小島武夫の新選組と特に対立関係に有ったから、誌上対局参加が非常に少なかった。

 故に、坂口誠彦も、翌年に防衛失敗した後は、名前を見かけなくなった。

 

 第六期は、漫画家の福地泡介が名人位を奪取し、これが結構な話題となった。と言っても、とても「名人」という打ち手ではないとか、腐すような評価が非常に多かった。

 そもそも彼は、黒鉄ヒロシ秋竜山大人漫画家や、吉行淳之介ら文壇の人間と卓を囲む機会が多かったようだが、文壇の人間からは「チャッコイ打ち方をする奴」として、あまり評判は良くなかったようだ。

 要するに、コセコセと勝ちを拾う奴という事だろう。

 とかく勝ち組は、ああだこうだと言われるものなのである。

 しかし、麻雀マスコミの本当に黎明期から活躍し、麻雀新選組に対して「麻雀鞍馬天狗」という遊びをふっかけていただけあって、実は結構な技量の持ち主だった。

 

 評判良くないと言っても、呼ばれていたのだから、それは人品の問題では無かった。あくまでも勝ち方が、とかく豪放に諸事を気にせず打つ一般文士と比べるとコスイという事だったのだろう。

 そうした文士、特に吉行淳之介は特に福地の書き物で面白いように弄られ、笑いを振りまいた。

 特に可笑しかったのが、白待ち大三元をテンパっていた吉行が、親指に絆創膏を巻いていたのを忘れて盲牌し、何も無い感触に喜んでその牌を卓に叩きつけ手牌を開いたが、自摸っていた牌は数字牌チョンボになってしまったという話。

 だが吉行に拠れば、事実と違ってかなり話を大きく広げたもので、しかし洒落の分かる吉行は、福地がその話を広めるのを黙認していたのだという。

 

 この決勝で、惜しくも準優勝となったのが、先代の三遊亭円楽

 かの五味康祐センセイの後釜を担って、12チャンネル「独占!男の時間」内の麻雀道場の道場主となったくらい、彼も修羅場を知った打ち手だった。

 その現今の芸能人では及びも付かぬ技量は、翌年も続けて決勝に残った事で証明された。

 第七期名人戦は、福地泡介名人に、雀豪の誉れ高い円楽が雪辱なるかという戦いだった。

 そこで福地泡介は、ついに誰も為し得なかった名人防衛を実現してしまう。

 これにより、一期だけの獲得では喧しかった世間もグウの音も出なくなり、福地泡介の雀豪としての名は否が応でも高まった。

 円楽は、またも準優勝で涙を呑んだ。

 しかし、彼の雀力も十二分に証明されたと言って良いだろう。

 

 福地泡介の強さの秘密を喝破したのは、誰よりも、自称プロよりも牌譜研究をしていた、ムツゴロウ先生・畑正憲だった。

 彼は福地泡介の麻雀を「ゴーニイ麻雀」と命名して喧伝した。

 福地自身もその指摘には得心したようで、後々まで戦術論で、自身の打ち方として解説していた。

 例えば、出あがり5200点の手ではあまりリーチは掛けないが、3900点なら掛けたりするという具合だ。

 つまり、3900ならリーチを掛ければ丸々倍の7700点になるが、5200でリーチを掛けても倍の10400点とはならず、満貫8000点で切られてしまうので、危険を冒してリーチを掛けるのは損だというような事である。

 

 要するに、大まかに言えば守備型の雀風だったと言って良いだろう。追い詰められた時はともかく、普段からバカバカと打点を稼ぐような打ち手ではなかった。

 三連覇の偉業が掛かった第八期名人戦は、そんな彼の特質が現れたような試合で、なんと、わずか700点差で届かないという接戦であった。

 福地名人を襲ったのは、テレビの黎明期に関西の喜劇作家として関東までも制覇し、更に後には、ど根性立身出世劇の大家として鳴らした花登筐であった。

 それまで、あまり麻雀の技量を云々された事の無い作家が、彗星のように現れてきた。