読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

日本に於ける「父の日」の定着

文学歴史 挿しす世相史

 「母の日」の時に同様の趣旨で記事を書いたので、月並みですが「父の日」もやらないわけにいかないでしょう。

 また、「母の日」同様、アメリカでの由来は数多く解説されていますが、日本での定着はウィキペディアにも無いので、この機会にやっておこうと思います。

 

 読売新聞紙上で最初に「父の日」について触れられたのは、恐らく昭和25年6月20日夕刊です。

 但し、その記事は、定着した「母の日」に比べて「父の日」はまったく顧みられないという内容でした。

 その後もちょぼちょぼと触れる人は有るのですが、世間一般では「母の日」とは違って、まったく振り返られない日として続いていきます。

 そこに一石が投じられるのは、昭和28年5月の事です。

 兵庫県連合婦人会の大会が、「父の日」を制定する決議をしたのです。

f:id:sammadaisensei:20160618233507j:plain*1

 「婦人会」が決議したというのが如何にもで、これこそ真の「男女同権」という事なのでしょう。事程左様に、既にその時点で「母の日」はすっかり定着していたのです。「母の日」に関してはこちらを。 

 

 母の日のカーネーションに対して父の日にはバラをというのが日本で言われ始めるのは、昭和30年代に入ってからの事と考えて良いでしょう。

 但し、新聞紙上などでは毎年話題にはされていましたが、実生活上で父の日が身近になったのは、昭和も50年代に入ってからだったように思います。

 ワタクシ個人の記憶では、母の日はカーネーションをあげましょうなど小学校で話題となりましたが、父の日にはバラをあげましょうなどという話が出た記憶が有りません。

 母の日にはテレビでもよく話題となっていましたし、家でも話題にしましたが、父の日がそのようになるのは、昭和も50年代の、しかも後半だったような気がします。

 

 それは何故でしょう。

 答は、昔は毎日が「父の日」だったからです。

 昭和40年代までは、父権というものがそれなりに有って、家での父親の発言というものは、絶大だったのです。

 子供は父親の言いつけを守らねばなりませんでしたし、妻も現在から考えれば、奴隷にも思えるような仕えぶりでした。

 ワタクシは子供ながら、共働きなのに家事をなんでもかんでも母親に任せて、好き勝手言っている父親が不思議だったし、腹も立ちました。

 

 彼は煙草を吸う時になると、「煙草、マッチ、灰皿」と言うのがお決まりで、大体はワタクシが、ワタクシが遠い時は母親が全て用意して彼の所へ運んだものです。

 そして家族に煙い思いをさせて満足そうにしている。なんと理不尽な光景なのかと、当時も納得がいきませんでした。こうした思いで育ったワタクシは、今日までただの一本も煙草を吸った事が有りませんが、煙草の話はまたの機会にしましょう。

 そんな具合に、「家長」というものはふんぞり返っていたので、更にその上、「父の日」などと特別に何かをしてあげる必要性も必然性も無かったのでした。

 つまり、日本に於いて「父の日」が定着し始めたのは、男たちが物わかり良くなり始めてからだったと言えるかと思います。

*1:昭和28年5月25日付読売新聞

広告を非表示にする