無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「ビフテキ」

 数年前、仕事の控え室で冗談を言っていて、ちょっと贅沢な描写をするときに、「ビフテキでも食っちゃうか」と言った瞬間、空気が冷えたのを感じた。

 ワタクシは察知して、「……いまビフテキって言わないかな」と笑いながら尋ねたら、ワタクシより6つくらい下の奴が、「いや、ビフテキって…って思いましたよ」と、予想通りの反応をした。

 さらばと、もう一人の30代前半の奴に「ビフテキって知らない?」と聞いたら、「知らないです」と真顔で言われてしまった。

 

 「じゃあ、なんて言うの? ステーキ? ステーキか」と言うと、その若い奴が、「あ、ステーキわかります。ステーキわかります」と言うので、もうビフテキも昭和語なのだと悟った。

 確かに言われてみれば、食い物屋の店頭で「ビフテキ」という言葉は見なくなった気がしたのだ。そして、「ステーキ」という言葉は普通に見かける。

 ワタクシの子供の頃、ステーキと言えばビーフステーキの事だったが、今は豚でも鳥でも、昔なら無かった羊でもなんでも有るからね。

 だからビフテキて言葉が通っちゃうと、ポクテキだのチキテキだのラムテキだのと鬱陶しいから、ステーキで統一されてきたのだろう。

 

 我々が子供の時分、ビフテキと言ったら超高級料理の代名詞だった。ちなみに、家庭で食べるご馳走の代名詞と言えばすき焼きだった。要するに、牛肉というのはかなりの贅沢品であった。

 かと言って、豚肉だってほとんど食べた記憶は無い。肉と言えば魚、良くて鯨、ご馳走で鳥、そんな時代だった。

 そんな時代の子供だったワタクシは、まだ見ぬビフテキに物凄い憧れが有った。で、状況は忘れたが、母親と二人でデパートに行ったとき、レストランの例のサンプル品を眺めていたら、有ったのだ、ビフテキが。

 たしか「ビフテキ」という品書きだったと思う。当時としては、「ビーフステーキ」なんて言われた方が却ってわからない。

 

 値段は確か、1350円くらいだった気がする。随分安い気がするが、40年前のこの値段は、今なら5000円近い価値は有りそうだ。他の普通の料理は忘れたが、きっと300円前後だったと思う。

 でも、ビフテキって当時としてももっと高い気がしていたから、なんだか安いなと感じてしまったのだ。デパートの家族連れ用の店だから、なんか安い肉で安い品書きを作っていたのだろう。

 で、恐る恐る母親に尋ねてみた。すると母親も久々の母子のお出かけで贅沢気分になっていたのか、承諾したのだ。

 ワタクシらがそういう話をしていたら、後ろにいた子供が「ビフテキ…」と自分の母親に話しかけた。なんだか嫌な気分だ。

 案の定その母親は、「いいの、そんな高いの」とか言って前の方に行った。うーん。勝ったような、なんだか悪いような、複雑な気分になった。

 

 そうしてようやくありつけた憧れのビフテキだが、味はまったく覚えていない。ハッキリ言って子供の味覚なんて未成熟なのだから、贅沢な食い物など猫に小判なのだ。

 その後、自分で稼ぐようになってからは、何度か食べてはいる。

 それでもこれまでの人生で、外でビフテキを食べたのは十回は無いと思う。べつに自慢する気は無いが。

 そして、ビフテキで一生忘れられないような味も、今のところ経験がない。

 

 だが、中学か高校の時、駅のそばに吉野家が出来て、初めて牛丼を食べたときには、「世の中にこんなに美味いものが有ったのか!」という物凄い感激が有った。

 それも、まだ牛肉が贅沢品と言えた頃に、当時の金でたった300円で牛丼が食えるなんて、夢じゃないかと思ったものだ。

 却って平成になってデフレの世となり、その頃よりも安い280円なんて馬鹿な値付けになってからは、残飯を食っている感覚になって牛丼を食べるのをやめた。

 味も素っ気もない碌でもない肉に、極限まで薄めた味付け。勿論、健康を気遣っているわけでなくケチっているだけだから、ただ不味い。

 牛丼に限って言えば、間違い無くあの頃の吉野家の牛丼の方が、今の全社の牛丼より数倍美味かった。

 

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 話は戻ってビフテキだが、昭和21年1月20日付の読売新聞広告欄に、銀座スエヒロの開店広告が出ていた。

 15日から開店していて、17歳から25歳までの女性店員を急募している。給料は80円から300円と、かなり幅が有る。こういう場合、大抵は80円だったろうと思うが。

 それにしても、昭和21年の東京と言ったら焼け野原という印象だったが、ビフテキを食べられる店が開いていたなんて。ま、基本的には米軍人の要望が有ったのだと思うけれど。

 大山倍達を偶像的に描いた漫画『空手バカ一代』(作・梶原一騎)で、大山を用心棒として雇おうとするチンピラが高級料亭に案内して、焼け野原の中にこんな料亭がと大山が驚く場面が有ったのを思い出した。