心を鷲掴みにされる動物動画集
カワウソ
カワウソって、こんなに頭いいとは吃驚。
人間の玩具をこんなに意図通りに使う動物って、あまりいないのでは?
小猫
本当、人間の乳児と同じ感じ。
動物の子供も遊ぶの大好きだよね。
【悶絶注意】子猫の空をこちょこちょしたら可愛すぎた ( Surprised Kitty)
犬
いい表情(かお)するね~(笑)。
Cat Viciously Attacks Sleeping Dog
漫画投句「プレイボール(ちばあきお)その2」
Gさん(仮名)「ちょっと間が開いてしまいましたけど、プレイボール2も始まったみたいで丁度いいかもしれません。作者のインタビューが有りました」
ごいんきょ「作者? 剽窃家だろ(笑)。プレイボールの作者は、あくまでも ちばあきお。『クレヨンしんちゃん』だって臼井儀人の名前で続けてるだろ。作者の死後も続けるっていうのは、わしは認めがたいけど、もしやる場合、それは最低限の礼儀。なんで剽窃家が作者面して前面に出て来てるんだか。
新作の話はいいよ。不愉快になるだけだから。
勝負? いやいや、まったく相手にしてないんで(笑)、勝負は前作を知らない連中として下さい。それに負けたら承知しないよというのは有るけどね。それは編集部に」
G「話を振って失敗だったかな(苦笑)。とにかく本家の話をして下さい(笑)」
ご「プレイボールで一番記憶に残っているのはね、確か谷口が一年の時にシード校の東実に善戦しながらも負けた後の残念会だったのかな、それなんだよ」
G「試合ではなくて、残念会ですか(笑)」
ご「そこがさあ、やっぱり、ちばあきおなんだね。普通の野球漫画では有り得ないと思うよ(笑)」
G「残念会の何が?」
ご「全体的にだけど、特に歌だね。或る三年だったか二年生が、余興に ♪ おっいら岬の~ とか歌い出すのよ(笑)」
G「喜びも悲しみも幾歳月(笑)」
ご「わしはその頃、そんな歌は知らないんだけど、古めかしい場違いな歌って事はすぐにわかるのね(笑)。ああいうのが本当に上手い」
G「なんか、ジュースとか飲んでましたね」
ご「あれも流石でね。ジュースとか、華美でない食べ物とかを部員たちがガチャガチャと準備する、そこからきちんと描くから、ちばあきおは(笑)。
あの瓶ジュースが眩しくてなあ。あの頃、ジュースなんて頻繁に飲むものではなかったから。喉が渇けば水道の水を飲んでたから」
G「OBが買ってくれたものでしたよね」
ご「確かそう。万年一回戦敗退だった墨高が、三回戦まで進んで、しかも東実に善戦したって事で、OBが喜んでカンパしてくれたんだと思ったけど」
G「当時キャプテンの田所が、そういう弱小時代のOBとの接着役として、卒業後もよく後輩の面倒を見てましたね」
ご「田所は『キャプテン』での丸井の役回りだな。電器屋で、卒業後は車で洗濯機の修理とか回ってたっけ。なんか野球の場面よりも、そういうのが記憶に残ってるな(苦笑)」
G「それまで野球漫画って、とにかく試合試合でしたからねえ。『巨人の星』はちょっと違ったけど」
ご「『巨人の星』は、色々と独特だったからな(苦笑)。
ま、そうなんだ。水島新司にしても試合の場面が最優先で思い出されるのに、ちばあきおの場合、必ずしもそうではないのね、わしは」
G「試合で覚えてる場面は無いんですか?(苦笑)」
ご「試合で強烈に覚えてるのは、谷口が指を故障していた頃、予選一回戦か、相手が谷口の弱点に気付いて、最後の最後で外野にいた谷口の所を狙って、谷口はホームに送球が出来ないから呆然としちゃうのね」
G「はあはあ」
ご「で、相手は一回戦の大して強くないとこだし、その時点でサヨナラだと喜んじゃってバンザイして小躍りしながらゆっくりホームに歩いてて。谷口は悔しさのあまりにボールを地面に叩きつけちゃうの。そうしたら、猛烈な、正に地を這うようなバウンドでホームに届いちゃうんだよね」
G「谷口はピッチャーもやってましたからね」
ご「キャッチャーの田所が構えたのを見て、気付いた相手が慌てて走り出すんだけど、アウト。
それから、墨高ナインが谷口のゴロ送球を捕球する練習を延々とするのよ。それが墨高の守備を鍛える事になるという、非常に合理的な展開」
G「練習をあんなに描いていた野球漫画も、それまで無かったですよね」
ご「無いねえ。水島新司の漫画だって、みんないきなり上手いから。殿馬なんて、なんであれだけピアノに打ち込んでてあんなに上手いんだよ(笑)」
G「やはり、練習場面を描いても面白くならないという意識だったんでしょうか」
ご「そういう怖さは絶対に有ったはず。漫画家も、編集部も。別冊ジャンプ時代の『キャプテン』だから出来たの。だって、一気に100ページとか載せてたんだから」
G「”別冊”時代は、目玉になる漫画が無かったって言ってましたね、あなた」
ご「無かった。週刊ジャンプに広告が出てたけど、ちっとも読みたくならなかった(笑)。ただ、『キャプテン』がいつも80ページとか大々的に宣伝されていて、週刊じゃ有り得ないなあと思ってたけど」
G「で、『キャプテン』という前例が有るから、『プレイボール』でも練習風景とかを載せられたんでしょうね」
ご「そうだな。週刊ジャンプなんて人気人気ってガツガツした雰囲気の雑誌だったけど、ちばあきおだけは空気感が違ったな。しかも、それでも面白くて人気が有る。この凄さは当時に雑誌で読まないと伝わらない」
G「結局、日常風景と練習風景しか語りませんでしたね(笑)。
しかし、そういう事にこそ ちば漫画の底知れぬ魅力が現れてもいるのでしょう」
酒とバカラの日々「フロム・ザ・バレル」
第77回 皐月賞
いつも通り10通り千円の三連複で買ったつもりだったのが、何故か最後の手続きボタンを押し忘れていたようで、投票されていなかった。
でも、お陰で千円減らさずに済んだ。
一番儲かる馬券は買わない馬券だという、当然すぎる結果に。
しかし、もし当たってたら悔しかったろうけど。
フロム・ザ・バレル
いつもだったら、折角の50度超を満喫するためにストレートで頂くのだが、今日はロックを試してみる事に。
いつもながら、その名の通りに樽から出したてのような香りが心地良い。
丸大氷に浸して一呼吸置いてから傾けると、結構な刺激で唇がピリピリ来る。
うーん。バレルって、もう少し柔らかかった気がしたけど。
氷が溶けてくると、まあ普通のロックに。
但し、50度超は伊達ではないので、これでも慣れていない人はかなりキクと思う。
ハイニッカの流れならロックで旨くなるかなと思ったのだが、やはりバレルはストレートだな。
なんと言うか、コクっぽいものが無くなった感じ。
しかも、酔いも遅くなるし。
ま、チビチビと飲っているってのはあるけどね。
ウヰスキーのように強い酒は、絶対に呷って飲んではいけない。
キャンディーを舐めるように、ゆっくりしっかり味わいながら頂きましょう。
挿しす世相史「マッカーサー元帥日本を去る」
昭和26年4月16日(月)朝、極東米軍総司令官のマッカーサー元帥が、5年8ヶ月の滞日任務を終えて離日しました。
この日の夕刊は、一面のみならずほぼ全面を用いて報道し、元帥への感謝と慈しみに溢れていました。
これより前の12日にトルーマン大統領によって解任が発表され、後任にリッジウェイ中将が発表されていました。
トルーマンは、マッカーサー解任の理由として、朝鮮動乱に於けるアメリカや国連の政策に全幅の支持を与えないと判断した事を挙げていました。
帰米した後、19日にマッカーサーは議会演説を行い、非常に有名となる「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」という言葉を残したとされます。
当時20日付け新聞では、その演説全文が載るなど、まだマッカーサー解任ショックは日本を揺るがしていました。
その言葉は締めの部分で使われたものですが、ここにその部分の当時訳を載せてみます。
私は今、52年に渡る軍人生活を閉じようとしている。私はまだ20世紀にも入らぬ頃に陸軍に入ったのである。若かりし私にとって、それは少年の希望と夢の実現であった。
私がウェスト・ポイントの士官学校入学式で感激の宣誓を行ってから幾星霜、世界は幾たびか変転を繰り返した。以来、私の希望も夢も、とうに消え去ってしまった。
しかし、私は若い頃、兵営で友人たちと歌った「兵隊の歌」の一節をよく覚えている。それは『老兵士は静かにただ消えてゆく、しかし彼は永久に死ぬ事が無い』という意味の事を誇らかに歌うものであった。
この歌の老兵士と同じように、私は今、軍人生活を閉じ、ただ静かに消えてゆくのである。
神により託された義務を果たすべく努めた一老兵は今、ただ消えてゆくのである。
諸君よ、さらば、さようなら。
*1:昭和26年4月16日付読売新聞夕刊
恥痴呆談「ホンモノは誰だ?!」
天皇退位制度問題
Gさん(仮名)「色々と噴飯させてくれている有識者懐疑ですけど、また変わった事を言い出しましたね」
ごいんきょ「”皇嗣殿下”ねえ…」
G「あなたが以前、『名称はなんでもいいが”皇嗣”たるお立場をハッキリさせないと』なんて言ったからではないんですか?(笑)」
ご「”名称はなんでもいい”というのは、典範を改めればという大前提が有るし、わしはその上で”皇太子”でも”皇太弟”でもいいかなと思ったのであって、本当に造語でもなんでもいいって意味ではなかったんだがな(苦笑)。
多分、明治に決められた言葉も多いから、我々の時代に新たな言葉を決めてもいいんだよって、軽いノリなんだろうけど」
ご「コイツら、八月八日の勅語を愚弄してるんだろう。陛下が絞り出すように、本当に最低限のご希望を生涯ただ一度だけ、畏れ多くも我々を”信頼”して預けて下さった事を、土足で踏みにじっているな」
G「なんで、独自の事をやりたがるんですかね?」
ご「舞い上がってるんだよ、まるで明治維新の時のように、自分たちで維新後初の上皇誕生の場を仕切れるって事で。もう少し解り易い言葉で書くと、のぼせ上がってるんだ」
G「かなり解り易いですね(苦笑)。でも、なんで”皇太弟”という名称を定めないんでしょうか」
ご「きっと、理由は幾つか有ると思うけどね。最大の理由は、とにかく典範を不磨の大典としておきたいのだろう」
ご「は? 誰が憲法を変えようとしているって?」
G「あれ?(苦笑) 安倍総理って改憲派の首相ではなかったでしたっけ?(苦笑)」
ご「前回総選挙で”改憲派”だの”3分の2”だのマスコミが馬鹿騒ぎしていたけど、本当に馬鹿な連中だなコイツらと、わしは思っていたよ」
G「あなたは結構前から、安倍総理は絶対に改憲する気が無いって言ってましたもんね(苦笑)」
ご「特に”解釈改憲”してからは、わしは”断言”したからな。手続きまではやる気満々だろうけど、本旨たる改憲そのものには絶対に手を付けないって。だって、それなら解釈改憲するわけが無いから」
G「はあはあ。で、典範も同じように変える気が無いと」
ご「彼の中での動機付けは違うだろうけど、結果として憲法・典範という二つの大典には手を付けられない。ま、それも良い面、悪い面あるがな。
それにしても”上皇后”だの”皇嗣殿下”だのの言葉の問題は勅許を仰げば問題無いけど、大喪の礼は断じていかんな。こればかりは勅許を仰ぐ事が二重の意味で無礼になるし」
G「陛下はあの勅語で、”もがり”をご指摘なさっていましたね」
ご「大喪の礼だって、かなり大変な儀式だぞ。上皇の場合は、それこそ新たな簡素化された儀式を考えれば良いのではないかな。好きなんだろうから、新たな事を考えるのが(笑)」
北朝鮮問題
G「北朝鮮が外交委員会を設置したとかで、対話の兆しも出て来たのではないかという報道が有りましたが」
ご「習近平中国が、何かしらの働きかけをしたんだろうな」
G「金正恩がトランプにビビったんですかね」
ご「今更アメリカにビビるかな。中国の顔は立てないと、何も、それこそ核開発も回らなくなるからじゃないの?」
G「習近平の顔って、トランプに散々潰されてませんでしたっけ?(苦笑)」
ご「でも、中国っていうのは強者を取り敢えず立てる事には抵抗無さそうだな。
中国は新たな二大大国って関係をアメリカに迫ろうとしているけれど、その度にアメリカは中国の顔を潰すような事をワザワザしてるのよ(笑)。わしなりに解釈すると、”アジアの黄色い猿ごときが肩を並べようとするな図々しい”って事だと思うよ(笑)」
G「(苦笑)。
でも、中国の軍事力などはアメリカも侮れなくなってきてるでしょう?」
ご「それはそうだけど、アメリカの本当の相方って、イギリスであり、カナダであり、オーストラリアでありだろ。そこに分け入ろうとしたら、かなりの靴底外交をしなければならないぞ」
G「靴底外交?」
ご「靴底を舐めるような屈辱的な外交って事ね。赤塚不二夫が昔、天才バカボンだかで使った”クツゾコ的”って言葉が脳裏にこびり付いてるのよ(笑)。
ま、白人国家であるソ連、ロシアに成り代わろうなんて図々しいぞっていう潜在意識が、奴らには有りそうだな。顕在意識かもしれんが(笑)」
G「日本も昔、そんな感じでやられたんですね」
ご「ま、人種差別の他に、異文化に対する恐怖心も有るんだろうな。そういうのは我々にも有るし」
G「中国人は面子を重んじるって今回も公言してましたけどねえ」
ご「習近平も、トランプは本当のホンモノかも!?って感じたんじゃないの?(笑) まさか、鳴り物入りのつもりだった米中会談の最中に、シリア攻撃の報告を受けるとは想像もしてないだろうよ(笑)。
今や世界も日本も ≠ の時代だな(笑)」
G「等号否定印ですか(苦笑)。でも、そんな習近平の働きかけに応じてかどうかは知りませんが、話し合う姿勢だけでも見せ始めたなら、金正恩は ≠ ではないですかね?」
ご「おいおい。あそこは三代続けての ≠ じゃないか。立派に”江戸っ子”を名乗れる、生粋の ≠ だよ(笑)。これ見てみろ」
G「ハア? 正男さんが亡くなったのはマレーシアのせいだっていうんですか?(苦笑)」
ご「凄いだろ。数少ない友好国に対してこの物言い。ホンモノの風格が漂ってるだろ(笑)」
G「いやあ… ホンモノとホンモノのやり合いはどうなるのか心配ですよ…」
ご「正に”ホンモノは誰だ”って感じの世界になってるよなあ(笑)」
G「また平成っ子にわからない事を言う…(苦笑)」
朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(61)
ゼロテスター
宇宙から来た機械化人類・アーマノイドと、男女3人の若者・ゼロテスターの戦いを描いたもので、サンライズ(創映社=当時)が初めて手掛けたSF作品として、66回放送という成功を収めました。
この主題歌音盤は、久々のアニソン新規参入と言うべきワーナー・パイオニアが出しています。
創映社第一作の『ハゼドン』はコロムビアでしたが、そちらは正直、人気の方は芳しくなかったらしく、それでコロムビアも新興会社にやる気が出なくなったのかもしれません。
このワーナー・パイオニアは、名前の通り、アメリカのワーナーと日本のパイオニアが共同出資した会社ですが、その接着剤として渡辺プロが関わっています。と言いますか、当初ワーナーは、渡辺プロに協力を依頼したものでした。*1
渡辺プロと言えば、当時、日本の芸能界に君臨する王国。その抱えるタレントの数、多彩さのため、レコード会社に対しては均衡政策を取っていました。
必然、自分たちがレコード制作に関わるという事は御法度という不文律も有ったものを、ワーナー側からの働きかけに気持ちが動き、かねて付き合いの有ったパイオニアと共にという条件で出資となったものです。
ワーナーとすれば当然、ナベプロ所属の強力タレントの援護を期待したのでしょうが、渡辺プロは良くも悪くも昔気質で、それまでの付き合いを一方的に反故にはしておらず、大物タレントの移籍という事はしませんでした(但し、最初はデビュー間も無い辺見マリを移籍させている)。渡辺プロが、このワーナー・パイオニアで執った姿勢は、新人を起用するという方針でした。
そして、いきなり小柳ルミ子の「私の城下町」という大ホームランをかっ飛ばすのでした。更に続け様にアグネス・チャンがブームになるなど、渡辺プロの力に、既存レコード会社も畏怖した事でしょう。
しかし、早くも昭和53年には、渡辺プロはワーナー・パイオニアから撤退する事となります。
この『ゼロテスター』、及び後期の『ゼロテスター地球を守れ!』の主題歌は、新興ワーナー・パイオニアにアニソン向けの歌手がいなかったからでしょうが、それぞれレコード会社の縛りが無かったであろう子門真人と杉並児童合唱団が担当しています。
ここから暫く、テレビまんが音盤にワーナーも絡んでくる事になりますが、子供番組への関わりは、前年の『レインボーマン』が最初でしょう。どれも、コロムビアが出していた超縦長ジャケットのSCS500系と同型の縦長ジャケを採用し、やる気満々でした。
なお、ソノラマもパピイシリーズを出しています。
新造人間キャシャーン
自我を持ったロボットであるブライキング・ボスが人類征服のために繰り出すアンドロ軍団をせき止めるため、独り闘う新造人間・キャシャーンの姿を描いた、タツノコプロ制作のSFアクションでした。
主題歌歌手として、往年のロカビリー歌手・ささきいさおが初めて子供向け主題歌に挑戦し、以後、アニソン帝王として活躍するに至ります。
主題歌音盤は、コロムビアが超縦長のSCS500系として独占で出しました。
空手バカ一代
梶原一騎が週刊少年マガジンで連載していた漫画を原作としていますが、漫画の方では実在の大山倍達などが実名で出ているのに対し、テレビの主人公は「飛鳥拳(あすか・けん)」となっていました。
内容も、テレビの方は漫画版よりも更に荒唐無稽度が高くなっています。
開始主題歌は子門真人ですが、終了主題歌は山崎照朝という、大山倍達の高弟が歌っています。上段回し蹴りの達人として初期極真の大会で活躍し、漫画の方でも活躍していました。
音盤は、ワーナーが独占しています。『ゼロテスター』と違い、東京ムービー制作なのになぜ新興のワーナーが独占できたのかと言えば、恐らく梶原一騎と渡辺プロの繋がりによるものでしょう。
渡辺プロを代表するアイドル・天地真理の名は、梶原原作の『朝日の恋人』に出てくるヒロインの名前だったものです。
ドロロンえん魔くん
永井豪による漫画で、閻魔大王の甥っ子であるえん魔くんが、ガールフレンドの雪女・雪子姫や河童のカパエルなどと妖怪退治するものです。
少年サンデーに連載されていた漫画はギャグ漫画の範疇でしたが、テレビ版は往年の『鬼太郎』の位置に替わる、正統妖怪退治まんがでした。
東映動画ですので、音盤はコロムビアが縦長SCS500系で出し、ソノラマがパピイシリーズで出すという、いつもの布陣でした。
*1:「抱えきれない夢」(渡辺音楽文化フォーラム)
昭和唱和ショー「ラジオ」
Gさん(仮名)「なんでラジオなんです? ラジオは今でも有るでしょう」
ごいんきょ「有るか、ラジオ? 無いだろう、据え置き型のは」
G「ああ。据え置きラジオの話ですか」
ご「そりゃそうだよ。こんな感じのだな」
G「”ハイ・ファイ”って、当時から使われてる言葉だったんですか。
確かに、昭和30年代前半にはこんなラジオがどの家庭にも有ったんでしょうね」
ご「きっとな。それが、ほんの5年くらいした昭和30年代半ばになると一気にテレビの存在感が出て来て、ラジオの天下は非常に短かったんだ」
G「一応、大正時代から有るんですよね?」
ご「有ったけど、各家庭に普及したのは昭和30年代に入ってからだと思うよ。民放が出来たのが昭和25年だし。
で、いよいよ本格的に普及かというその時に、テレビが普及期に入ってしまったって感じだと思う」
G「こういう据え置きラジオが鎮座していたんですよね、茶の間に」
ご「初期のテレビとか、この頃のラジオは、高級品でもあるし、凄く大切にというか、一種、崇められていたからな(笑)。その感覚は、平成っ子には想像できないかもしれん。茶の間の高い所に神棚のように置かれ、一家揃ってそれに耳を傾けていたんだから、いま思えばなんと情緒ある光景か。
尤も、わしの記憶に有るラジオというのは既にステレオと一体化したものだったが。わしの子供時代は、とっくにテレビ時代に入っていたからな」
G「それでも、一家揃ってラジオを聞く時間は有ったんですよね」
ご「ああ。日曜の朝だな。昔は週休一日だから、会社員の日曜朝は活動が遅い。で、起きたらラジオを聞きながら布団の中でグダグダしているのよ、10時頃までは」
G「昭和40年代までですかね」
ご「そうだな。だから、その頃までは日曜朝のラジオ聴取率は高かったんだ。不二家歌謡ベストテンなんて、20%有ったって話だ」
G「うひゃ。今じゃテレビでもなかなか取れない数字ですね(笑)」
ご「今は大体、カーラジオだな、働いている人間が聞くのは。わしも通勤の時に聞いているよ。
そして、今でも昔ながらの番組造りをしている番組が結構あるんだ。『森本毅郎スタンバイ』の現場にアタックなんて、よくやっていると毎日感心してるよ」
G「放送作家がきちんと仕事している番組が結構ありますね、ラジオは」
ご「垂れ流しではなくて”番組”って感じのものが多くて、そういうものを楽しんできたわしなんかは、今ではラジオの方がテレビより面白い。ラジコとかで聞き易くなったのは、ありがたい事だな」
*1:昭和30年12月22日付読売新聞