無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

朝日ソノラマはなぜ鉄腕アトム主題歌を独占できたのか(32)

 引き続き昭和42年放送開始のテレビまんがを見ていきます。

 

かみなり坊やピッカリ★ビー

 「かみなり坊やピッカリ★ビー」は、これも朝日ソノラマのシートと、コロムビアのレコードが発売されました。

 但し、まったく同じ内容ではなくて、OP主題歌の他の歌は、コロムビア盤はB面の歌が「ピッカリ・ビーはいいな」という歌で、ソノラマの方は「雲のドライブ」という違う歌が収録されています。

 本放送時、ピッカリ★ビーにはエンディングが有った事は判明していて、そこでは「ピッカリ・ビーはいいな」を編曲した歌無しの音楽が流されていたようです。

 つまり、正統盤はあくまでもコロムビアという事で、実際にエンディング画面でも、コロムビアのみが表示されています。

 

 しかし、不思議なのはエンディング主題歌の歌手です。

 画面では、歌手名がOP主題歌と同じ天地総子になっています。しかし、実際のコロムビア盤では、歌っているのは真理ヨシコです。

 現存するエンディング映像は、放送当時のキューシートと照らし合わせると30秒ほど足りないので、もしかしたら天地総子の歌唱がここで流れていた可能性も有ると、DVD解説で原口正宏が書いています。*1

 確かに、そうとでも考えないと非常に不可思議な事です。

 

 真理ヨシコについては、ビクターからも音盤を出していた時期が有りますが、多くはコロムビアからでしたので、この時にはコロムビア専属だったのかもしれません。

 それでソノラマは、もう一曲の方は独自に作ったのではないでしょうか。

 天地総子の方は、キングからが多かったような印象がワタクシには有りますが、テイチクで『怪獣王子』を出したり、このようにコロムビアからも出したりと、ほぼ間違い無くフリーだったのでしょう。

 

パーマン

 『パーマン』はお馴染みのTBS・日音楽曲で、しかも、あの超特大ヒットの『オバQ』に続く作品ですから、非常に沢山の音盤が出されました。

 コロムビアのレコードとソノラマのソノシートは当然として、ビクター、勁文社、ミュージックグラフ、エルムからもシート音盤が発売され、ソノラマとビクターは第二集も出し、コロムビアはレコードの他にコロシートも出しました。

 また、提供の不二家からも『オバQ』同様に景品シートが配布されましたが、これは『オバQ』の物と比べるとかなり残存数が少ない感じで、人気も安定していたので広告費が少し抑えられたのでしょう。

 ちなみに、不二家のシート配布はこれが最後となります。

 

 謎なのは、「パーマン2号はウキャキャのキャ」という歌です。

 主題歌「ぼくらのパーマン」と組み合わされた歌は「すてきなパー子」で、それからわずか2ヶ月後に、ソノラマやビクターが前記の歌を用いての第二集を出しているのです。

 『オバQ』が桁違いに売れて、次々と新しい歌を作っても出す毎に売れていたので、『パーマン』でも二匹目のドジョウを狙っていたのでしょう。

 ですが『オバQ』と違い、『パーマン』の新曲はここで止まりました。不二家の件といい、やはり『オバQ』は桁違いの物で、不世出のヒットだったという事でしょう。

 

 「パーマン2号は~」の作曲は、かの筒美京平です。

 世に出て割とすぐに歌謡曲で大爆発してしまうため、彼のテレビまんがの歌は決して多くはありませんが、翌年には『怪物くん』で早くも主題歌作曲家となりますし、後には、かの国民的主題歌『サザエさん』を産み出します。

 国民栄誉賞を存命中に受賞すべき彼の、テレビまんがでの足跡は、テレビでは恐らく流れた事が無いはずの、件の抱き合わせ歌で始まったのでした。

 

 また、この歌は東芝が、ドラマ収録と組合せてレコード発売しました。

 自社所属の歌手による『エイトマン』の時から、テレビまんが音盤にはまったく乗り気でなかったと思われる東芝が、いよいよテレビまんがの音盤にも乗り出してきたのでした。

 しかし、なぜ主題歌も組み合わせずにこのような地味な歌から始めたのかは、つくづく謎です。

 とにかく、『オバQ』の超特大ヒットによって、既存レコード会社の重鎮たちにも、テレビまんがをやらないという選択肢が無くなっていったのでした。

*1:かみなり坊やピッカリ★ビーDVDBOXアニメデータ集(青林堂ビジュアル)

長谷川豊というバカは燃え尽きるのか

 少し前にまた長谷川豊の事に少し触れたのだが。 

  彼の場合は、釣り針がでかすぎてね(笑)。しかも、それがみっともない形状だから、基本的には触れたくない。

 でも、ついつい時々触れてしまうのは、ちょくちょく内容がワタクシの考える事に近かったりするし(基本が正反対なのは決定的なのだが)、実際に映像で見る芸はなかなかなので、つい気を許してしまうのだな。ワタクシは根本的にお人好しだから。

 

 で、その時には釣り返しとして、わざとURLを貼らずに彼の言葉を「お利口」と誉めて差し上げたのだが(笑)、その後も全開で、とうとうネットニュースなどで扱われだした。

 彼にすればシメシメという感じだろうし、ワタクシは非常に苦々しい。

 

 結局、長谷川自身が散々貶した「日本死ね」女とやっている事は同じなのだ、いくら言い訳をしようと。

 そういう行動が蔓延すれば日本の言論空間はどんどん醜くなるし、一番大きいのは、子供や若者に背中を見せるべき「公人の大人」が与える悪影響であろう。

 そういう意味で、ワタクシは小林よしのり一派はネットに来るべきではなかったと思っている。ただ、長谷川に関しては彼らよりはネットの特質を使いこなしている感じではある。

 本人はそれを以て免罪符に出来ると考えているのだろうし、少なくない人間がそう扱うだろうが、ワタクシはその点に関しては、今後も決して認める事は無いだろう。

 

 ところで、全開で灯油を撒き散らしている彼が、この度こんな事を書いている。

私は、炎上ってとても素晴らしいものだと思っています。
だって拡散できるのだから。
私はネットに全然詳しくないし、拡散とかよく分からないし。
でも、一人でも多くの人に知ってほしいのです。一人でも多くの方々に考えてほしいのです。
その為には…これはもう何度も何度も同じことを書いてきているのだけれど…「ハセガワという極論を言うバカ」を叩いてスカッとしながらでも全然いいのです。

「ハセガワ」をバカにしながら、それでもみんなで少しでも知って考えることが大事なんです。
それくらい、今の日本の経済状況や社会状況って悪くなっているんです。

 

 こうやって判り易い言葉できちんと真意を説明していく作業を逐一怠りなくやるのであれば、認めはしないものの、こうしてURLを貼って扱おうと思う。こういう部分が有ると無いとでは、かなり違う。

 本人は「ネットに全然詳しくない」と言うものの、小林一派よりはネット民の特性を理解できているように思う。

 向こうは色々な意味で、ネット上の所作に関してはまだまだ幼稚だ。

 

 実際、こうやってワタクシも、まんまと彼の思う壺に嵌まってしまったのだ(笑)。

 ワタクシも毎日千人以上(千ページではない)が覗いてくれる本家ブログを十年以上やっているから、数人とはいえ、固定的に付いてきてくれている人がいる。

 個々に賛同するかどうかはともかく、そういう人々も興味の有りそうなURLの記事をザッとは目にするだろう。

 そしてワタクシは、彼に敬意を表し、これからはきちんとバカにする事にする。

 長谷川豊は極論を言って世を乱すバカである。

 で、そのバカはどんな事でいま全開に灯油をぶちまけているのだろうか。

 

 どうです。

 ネット史上、ここまで活きの良いというか、見事なまでのバカっていなかったんじゃないですかね、著名人では。

(※ その後、彼は上記記事の一部の表現の至らなさを認めて、現在では記事題などが変わっています。それに伴い、当記事題も「燃やし尽くせ」から「燃え尽きるのか」に改題しました)

 

 しかもこの男、べつに最近こういう事をやり始めたわけではなくて、もう結構な前からやっては極小規模の炎上を起こしていたのです。

 それでもちっともアクセス数、チャンネル視聴者数が増えないものだから、どんどん薪をくべてるんだろうね。

 ワタクシはこういう手法は絶対に認めないが、それでも、ちょっと叩かれたくらいで「嫌なら見るな」とか言い放つ芸NO人とか、ヒステリックにネット民を貶すだけの小林一派よりは、遥かにましだと思う。

 

 昭和時代、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』というお笑い番組が有って、それはもう世間から叩かれまくった。

 プロデューサーはPTAなどからしょっちゅう呼び出されたが、「嫌なら子供に見せないで下さい」とは言わなかった。

 人に見られなくて良い番組なら、最初から作るなという話だ。

 彼は、例えば食べ物を粗末にしているという文句には、「ドラマの中で食べ物を無駄にしている事に文句を言いますか」とやり返したという。

 つまり、ドラマを作っている人間と同様に、我々だって真剣に番組を作っているのだという説得である。

 ドリフの面々も、そういう文句にいちいち言い返す事は決してしなかった。彼らはただ、大勢の人間に見てもらうにはどうすれば良いかだけを追求した。

 

 そして『全員集合』は、新聞や雑誌で「炎上」を扱われれば扱われるほど視聴率が伸び、ついには50%を超えたオバケ番組となった。

 長谷川が考えているように、きちんとその名が報じられさえすれば、炎上は宣伝でもある。

 あとは、そのものに力が有れば、良いように作用する事も、このように、無いでもない。近年では、有吉だの坂上忍だのも、この範疇に入るだろう。

 無いでもないが、かなり運用は限られるだろう。危険性も非常に高いから。だから、意図してやる奴は間違い無くバカである。それだけは間違い無い。

 

 所作もバカなら、言っている内容もバカだと思う。

 但し、これはワタクシの観点からの話であって、彼が最終的に言いたい事の内容には賛同する人も多いかもしれない。

 本来ならばこれだけバカにしたなら礼儀としてきちんと言っている内容にも触れなければならないし、そのつもりだったのだが、ちょっと、もう結構な長さになったし時間も勿体ないので(笑)、それは土曜の恥恥放談の方ででもやろうと思う。

 

 そしてこのバカは、毎週木曜23時から生放送の公式チャンネルを持っている。(無料)

 つまり、今晩23時からだ。

 正直に言うとだな、これは面白い。ワタクシはね。

 つまりこの人は、やはり喋りのプロなのだ。

 なんとか炎上させてチャンネル見てもらって、自分の本分である喋りで多くの人間にわかってほしいという事なのだろう。

 

 だって今、生の視聴者は千人とかだよ。そこらの女子高生のニコ生主よりも、はるかに少ないと思うんだよね(笑)。件のネットニュースも、ランキング100にも入ってないし。炎上でもないよ(苦笑)。

 この必死な炎上作業がどれだけ効果を持つのか、或いは反対に、ただ毛嫌いされて終わってしまうのか、そこらは一種の賭けだわな。

 まあ小林もそうだが、他に逃げ場が有るから出来る事だろう。ネットが本分ではないし、或る種ナメているとも言えると思う。ワタクシがネット上での小林一派に持つ不快感は、そこに有る。

 なんて言いながら、長谷川にしても小林にしても散々ここで扱ってしまうのは、べつに本音は好きだからじゃないんだからねッ。

昭和唱和ショー「緑のおばさん」

 ワタクシの子供の頃、学校直近の通学路交差点に、緑のおばさんと呼ばれる女性がいて、子供たちが横断歩道を渡る時機に旗を出して、車に目立つようにしながら横断を促すようにしてくれていました。

 いつの間にやら見なくなってしまった気がしてましたが、子供達が集団登下校する際に付き添っている大人も、広く「学童擁護員」として、大きな範疇では緑のおばさんになるみたいですね。

 でも、ワタクシが子供の頃の緑のおばさんは、本当に横断歩道を渡る時だけの手助けだった。

 とにかく、「緑のおばさん」という呼称そのものは、昭和語になっているのでしょう。

 ヤクルトおばさんとかニッセイのおばさんも使われなくなっているくらい、女性達が異常に「おばさん」という言葉を嫌がる世になりましたから。

 

 そもそもは昭和34年の十月に、東京都が、急速に自動車が増えてきた事に伴う子供を巻き込む輪禍を避けるためと、母子家庭の救済の失対策事業として始めたものです。

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 記憶では、旗は黄色だったし、着ている物が特に緑だった気がしておらず、なぜ緑のおばさんというのかが不思議だったのですが、どうも、当初はやはり緑の帽子に上着という姿だったようです。

 ダウンタウン松本人志の母親が、この緑のおばさんだったというのが、ファンには知られている話です。

*1:昭和34年8月28日付読売新聞夕刊

ゴーマニズム観戦歴(3)

ワタクシにとっての小林よしのり

 この漫画投句でのワタクシの小林よしのり評と、恥恥放談や不理意投句での小林一派への物言いとの違いに戸惑う人もいるかもしれない。

 圧倒的大部分の人は、こんな底辺の人間がWebの底辺で何を書いていてもまるで気に留めていないだろうが、小林信者の中には気に掛かる人もいるかもしれない。

 だから、ワタクシの小林よしのりへの思いを判り易く要約して書けば、かつての彼は、ワタクシの憧れだった。その思いは、この観戦歴で余さず吐露していくつもりである。

 

 だが、老いのせいなのかどうか、或る頃から彼は、絶対強者ではなくなっていった。

 憧れの対象だから、いつまでも強くあって欲しいのだ。

 ウルトラマンがウンコする場面を映像化したのを見てファンが喜ぶか?

 月光仮面が街のおばさんに「おいババア」と話しかける場面を子供達が喜ぶか?

 常に強く、気高くあって欲しいのだ。憧れなのだから。

 勿論それは、常に正論を吠えろという事ではない。むしろ昔のように上手く傾けるのなら傾いて欲しいくらいなのだが、もう、そういう立場でもないのだろう。

  

  今回、この観戦歴を書き出してから、『ゴーマニズム戦歴』(KKベストセラーズ刊)では、とてもワタクシのゴー宣観を網羅しきれない事に苦慮し始めた。

 書きたい事を覚えていて確認しようとしても、ほとんど載っていない。

 勿論、ゴー宣回顧の取っ掛かりには最適な本なのだが、ワタクシのようなプロ級のゴー宣読者には、あれでも物足りないのだ。

  前回の締めでワタクシが書いた言葉は、ギャグではあるが嘘ではない。

 本当に、ゴー宣をワタクシのような視点で語れる人間はこの世に他に一人もいないと確信している。

 おっと、まだコーマンかますには紙幅が残ってるぜ(笑)。

 
扶桑社版と双葉社版とは

   てなわけでゴー宣原本を確認したくなったのだが、なにしろ引っ越しの時に箱に詰めてしまい、どこに有るやら、探すためにはあちこちほじくり返さねばならないので短期間ではとても不可能だ。

 そしてとうとう、また買ってしまったのである。ゴーマニズム宣言を。

 だがほくそ笑むのは早いよ、小林くん。これはブックオフでの100円物なのだから。

 そもそも初代ゴー宣は、全巻その時その時に買っているのだ。このくらいの経費節約は有りだろう。

 そして、折角の二重買いという事だからと、今回は一番最初の扶桑社版ではなく、双葉社による定本版の方を入手した。両版を持っている人間など、かなりの小林信者でもいないのではないか。

 

 ネットで検索してみると、この両版の意味がわからない人がたまにいるようだが、それにきちんと答えられる人間もいないようだ。もう結構な年月が経っているからな。

 そもそもゴーマニズム宣言とは、扶桑社のSPA!という雑誌に載っていたもので、単行本も扶桑社から1巻から8巻まで出していた。

 ところがオウム真理教との対決で小林が彼らから命を狙われたというのに、当時のSPA編集長は、雑誌に両論併記の方針を貫くとかで、オウム側を広報するような記事を載せだした。

 

 相手は殺人教団で、それに書き場を与える事が「両論併記」と思う感覚も異常だが、小林は流石にその雑誌で描く気力を失い、掲載誌を小学館のSAPIOへと移すと共に、単行本の発行権も扶桑社から取り上げたのだ。

 そして新たな9巻を双葉社から出すと、改めて過去の1~8巻も定本版と称して双葉社から再発行したのである。

 さて、そうして今ワタクシの手元に定本版の1~9巻が有るわけで、今後は『戦歴』の方からではなく、こちらから引用していく。

 

読者との葛藤

 今日、やりたい事は山と有るのに、つい全巻をザッと流し読みしてしまった。どこまで小林マニアなんだという感じだろう、傍から考えたら。

 流し読みしていたら、ちょくちょく当時の感覚が蘇り、時に目が潤んでしまう。

 最初の頃のゴー宣(1巻)は各回見開き2ページで、内容もその時その時の時事に関した事で、まだまだ幼稚で浅いものが多い。当時の若さを考えれば当然だろう。絵も下手だ。

  「ゴーマンかましてよかですか」も、しばらくやるのを忘れていたりする(笑)。

 

 第七十三章「悪良識の来襲」(3巻)で、小林は読者からの異論・反論を採り上げている。

 中で、六十六章で採り上げた障害者プロレスの話で脳性麻痺のレスラーを「少し知恵遅れ気味」と書いた事をそのレスラーの知り合いに咎められ、しかもレスラー自身も小林の言葉を悪意に受けて止めて、「いろんなことを頑張ってわかってもらうしかないと思う」と言っていた事を伝えられる。

 小林は、「最近、これほど落ちこんだことはない」と、うなだれた絵を描いている。

 普段あれほど荒ぶっている人間が、しかも真意を曲解されてしまって、ここまで落ち込みを吐露している図を見たら、毎週面白く読んでいる人間としたらホロッともするだろう。

 

 続けて、「驕るな」式の投書を騎士姿の小林らが斬りまくっていく。この頃は小林よしのりも、一般人の異論をきちんと見世物として処理できていたのだ。

 そして、てんかん患者の女性からの励ましのお便りに騎士姿の小林は落涙し、「ち…力が湧いた~~っ」「わしは闘う~~っ」と全力で叫ぶのだ。

 ここでも、いま読んでいても目頭が熱くなってしまう(笑)。

 この叫び。

 一体、どれほど表現に悩んでいたのだと。

 

 第七十九章(4巻)では、イタリアでの或るレイプ事件の際に、女性たちに「金玉つぶし」を伝授した回(第四十五章:1巻)が有ったのだが、その被害者がそのゴー宣表現にも触れて、「興味本位の報道に振り回されました」と吐露した事を採り上げている。

 それに対して、「はっきりゴー宣はセカンド・レイプしましたと言ってほしかった!」「わしは女の敵である!」「侮蔑しなさい!」と言い切っている。

 続く第八十章では、自分も現場を見ていないのに屠殺現場の事で女性を軽んじた表現をしたと反省し、「どーだ!? わしはこんなにミスをしている!」「わしはぶざまにミスをする天才じゃい!」と宣言している。

  こうして、初期の頃の、勢いで深く考えずに描いていた時代の小林は、別の観点からの精算を迫られた。

 

そして「死闘」へ

 新しめの読者には想像できないだろうが、小林よしのりも数多くの失敗をしてきたし、勿論、いまだに表現上では認めていないものだって有る。

 だがなー。

 葛藤というのは人間を成長させるのだよ。

 単行本を持っている者は確認してみたまえ。単行本の2巻、3巻と見る見る上達していく絵柄を。4巻、5巻と、鋭く研ぎ澄まされていく構成を。

 この辺りで「ゴーマニズム宣言」の表現力が格段に上達していくのがわかるだろう。

 

 しかし、この頃はまだ「目頭が熱くなる」くらいでとどまっていられた。ワタクシは男がメソメソするのは大嫌いだから。

 そんなワタクシも、彼がこれから飲み込まれていく激動に、涙腺が崩壊する時がやって来る。

 その開始ゴングは、小林自身が鳴らした。「死闘編」と称して。

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 尤も、この「死闘編」は、真の死闘編の呼び水に過ぎなかった。

 その事は、当の小林やワタクシのような優れた直観力の人間ですら、微塵も想像できなかったのだ。

 

コーマンかましてもいいですよね

 努力や苦労が人を成長させるとは限らない。

 だが異常天才と言えども、人は葛藤によってしか研ぎ澄まされた思考を獲得する事は出来ないのだ。

ゴーマニズム宣言全9巻完結(幻冬舎文庫)

ゴーマニズム宣言全9巻完結(幻冬舎文庫)

 

 

麻雀回顧「大隈秀夫」

セントライト記念

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 なんと、また人気順で1位2位3位の順となった。今年はこういうのが多いな。

 一応抑えで買っておいたので、トントンにはなったが…。

 いつも思うが、十倍の予算が有ればねえ、これでも五千円の儲けにはなるのに。

 

 

麻雀回顧「大隈秀夫」(1)

 大隈秀夫(おおくま・ひでお)は、昭和時代「守りの大隈」と言われた著名雀士だったが、本業は評論家という事だった。大宅壮一門下だという。

 だが、評論家であるにも関わらず、不思議とこの人だけは、麻雀界でほとんど「プロ」として以外の扱いは無かった。第二期名人位という、麻雀タイトル戦の伝説的初期に「名人」となった事が、彼の地位を押し上げたのは間違い無い。

 

 第一期名人戦は、結局、日本牌棋院の青山敬が勝利した。

 よく小島武夫が、第一期名人戦では最終戦までトップだったと書いているが、確かに嘘とは言えない。嘘とは言えないが、最終戦開始前の総得点は、小島266100、青山265300で、わずか800点差だったのだ。

 ちなみに三位の鈴木栄喜は259100点だから、二位・小島との差は7000点。子満貫一発で全てが入れ替わる激戦だった。

 その時点での現実の一位は村石利夫で267500点だったが、最終戦が抜け番のため、この三人のうち複数が抜くのは決定的だったし、実際に最終順位は三位であった。

 阿佐田哲也は238000点。これだけの相手を向こうに回してではほぼ絶望的で、最終戦は基本大物狙いで流し気味とならざるを得なかった。

 

 結局、青山敬が六連荘の猛攻を含め、6万点超の一人勝ちで栄えある第一期名人となった。小島武夫はなんとハコ下で、彼のためにお膳立てされたような名人戦を屈辱の最下位で終えた。以後、毎年のように決勝には残りながらも、彼はとうとう名人となる事は出来なかった。

 この青山名人に挑んだ第二期の出場者は、第一期より門戸を広げて16名となった。

 その顔触れは、日本麻雀連盟から稲垣真幸八段、石本洋一六段、日本牌棋院から坂田光行六段、瀬崎健六段、日本麻雀道連盟から後藤豊泉八段、田中健二郎七段、東京都麻雀業組合連合会(都雀蓮)から青木博七段、今野栄八郎七段、作家から、阿佐田哲也五味康祐佐野洋、棋界から芹沢博文、勝浦修、評論家から小島武夫、古川凱章、そして大隈秀夫という面々であった。

 

 予選はこの16名が半荘4回を様々な組合せで打ち、その総得点上位四名が青山名人との決勝に臨むという形だった。

 結果、四位は石本洋一、三位は青木博、二位は後藤豊水で、一位は大隈秀夫だった。後の雀風から思えば意外な感の有る大隈の点棒稼ぎぶりだが、この時は試合形式から、とにかく稼ぎに行ったのだろう。

 この予選一位の余勢を駆って、大隈は見事に第二期名人位を獲得、「守りの神様」の名が轟き渡った。

 この時の決勝に残った石本洋一は二年後の第四期名人位となり、青木博は近代麻雀に創設された王位戦で第一・二期と麻雀タイトル戦史上初の連覇を成し遂げた。

 初期の名人戦には、まだ風格が有った。

挿しす世相史「栄典制度一部復活閣議決定」

 昭和28年9月18日(金)、GHQにより昭和21年以来廃止されていた生存者に対する栄典制度を、緊急を要するものに限定してではありますが、復活させる事を政府が閣議決定しました。

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 これは多発していた災害に尽力した人々に、取り敢えず急ぎ勲章を授与できるようにとの計らいだったようです。

 ただ、栄典復活もかねてから吉田茂首相の宿願だったようで、野党の反対が予想される事柄だけに、先ずは野党も認めざるを得ないところからという事だったのでしょう。

 本格的に復活するのは、池田内閣の昭和39年となります。

 

 行われていなかったとは言え、将来を見越して既に憲法には規定されていました。

日本国憲法(抄)(昭和21年11月3日)

 

第七條
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。


七 栄典を授与すること。


第十四條
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。 

 

 栄典の授与は天皇の国事行為のうちの一つで、明治憲法時代も栄典大権と称されていたものです。

 

*1:昭和28年9月18日付読売新聞夕刊

つくづく恐るべき蓮舫

 朝の投稿で、「謝姓に誇りを持っている」というのは(日本以外の)国を背負った感情としか思えないと書いたが、案の定だった。

帰化して、日本の構成要員になって初めて手にするものが参政権だ。ただし、国籍に全員がアイデンティティを感じるものではない。私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティは「台湾人」だ。在日朝鮮・韓国人の方たちのアイデンティティは朝鮮・韓国という国家にあるのではなく、「在日」それ自体にあり、非常に複雑。だからこそ、自分のアイデンティティ、国籍を深く考える。日本人はこのアイデンティティと国籍への関心がとても薄いと感じる。 

 

 ここまで確固とした考えが有るのなら、むしろそれを正面から訴えて、堂々と勝ち抜けば良かったのだ。

 国籍に関して無頓着だったのは、恐らく日本では台湾を「国」と認めていないことから来る様々な手続き上の問題から生じていたのだろう。

 だが、手続きは無頓着に見えても内面では、「日本人」というのはただ「国籍」だけがそうなのであって、アイデンティティ(主体)は「台湾人」なのだと「深く考え」ていたのだ。

 それはそれで個人の自由だが、野党第一党の党首選に立候補するにあたって、そういう考えは何故か深く押し沈め、どういう形であれ党首になれれば良いと、日本人全体を欺いた事になる。

 

 以前からの発言などを考慮して、間違い無く彼女の本心はそういう事なのだろうと思って一連のことを書いてきたが、ご自身で発言してくれていたとは手間が省けた。

 目的のためには自分の核となる部分ですら嘘が平気で言えるというのは、政治家として考えると(悪い意味で)実に恐るべき資質である。

 あとは、ここまで虚仮にされている日本の有権者の問題となる。

 まさか日本の政治に「緊張感」を運べば無問題と考えている「バカ」はいませんよね。

 ※ ワタクシがこういう書き方をするのは、我々をバカにしている人間に対してだけです。