無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「電話ボックス」

 先日、TBSラジオ森本毅郎スタンバイ」の中で、最近の若者には公衆電話の使い方を知らない者が増えているという事を扱っていた。それを聞いた時には意外な感じもしたが、よくよく考えてみれば当たり前の話で、今後もそれは増えていくのだろう。

 そして、今や公衆電話も様変わりしているという話になり、これはワタクシもネットニュースで知っていた、ニューヨークでの話となった。なんと、ニューヨークでは公衆電話が、無料Wi-Fiとなってきているのだという。

 これから東京五輪に向け、東京でもこういう場所を増やすべきだし、そうなっていくのではないかという見方が多いのだが。

 

 随分と公衆電話も様変わりしていくものだが、ワタクシが記憶している最も古い公衆電話は、こんな形だった。

公衆電話 - Wikipedia

 写真は当時の物ではないので、かなりキているが(笑)、もちろん当時はこんなに汚くはない(笑)。

 特徴的なのは、上半分しか無い窓の部分と、リング状の取っ手だろう。写真ではその取っ手の部分が見えづらくて、あまり上手い角度ではない。この型は、取っ手を取ってもとっても肝なのだ。

 ドーナツ状の黒リングを嵌め込んだような取っ手部分。

 

 子供の頃、母親と買い物に行くと、よくこうした電話ボックスに隠れたものだ。

 子供の身としては母親がよそ見をした隙に隠れたつもりなのだが、いきなりそこで姿が見えなくなれば、その電話ボックスにいるに決まっている(笑)。

 そして母親は電話ボックスまで来ると、扉も開けずに、取っ手の輪っかに手を入れてきて、手探りする真似をしてワタクシと絡んできた。そんな他愛も無いやり取りこそが、子供の安穏なのだ。

 

 件の電話ボックスに身を隠したのは子供ばかりではなく、大人の変態さんもよく身を潜めていたようで、昭和40年代後半になると透明の電話ボックスへと変わっていった。

 昭和39年の東京オリンピックで東京は激変したが、実はその後、昭和45年の大阪万博の時にも、結構な激変が有ったのである。

 この下半分が見えない型は、他にも便所代わりにされたり、ゴミ捨てを平気でしたりと、まだ民度が途上だったあの当時は、感心されない使われ方が多かったようだ。

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 ただ、女性がストッキングのズレを修整できる場所として重宝していたという、隠れた効能も有るには有ったのだが。

 

*1:昭和44年6月30日付読売新聞