無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「スタルヒン日本プロ野球初の通算300勝達成」

 昭和30年9月4日(日)、トンボユニオンズのビクトル・スタルヒン投手が、日本プロ野球史上初となる通算300勝の偉業を達成しました。

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 トンボというのは昭和時代の人間ならすぐにピンと来る、トンボ鉛筆のトンボです。文具会社が球団名になっていたのでした。

 このユニオンズ、そもそもは昭和29年に高橋ユニオンズとして始まりました。

 高橋龍太郎という政財界の要人がオーナーだったから「高橋球団」という名称で、愛称がユニオンズだったのです。個人名が球団名というのも、珍しい例となっています。

 パ・リーグが球団を増やす話となった時に、最初はアサヒビールに話が行ったのですが断られ、パ・リーグの中心人物である永田雅一が、元々ビール会社と縁の深い高橋に話を持って行って快諾されたものでした。

 300勝間近で注目されていたスタルヒンも結成時から加入しており、二年目にトンボ球団所属となっての偉業達成でした。

 

 350勝を目指すと、まだまだ意気盛んだった彼は、しかしながらその年の暮れに自由契約となり、最後の一花を再び読売でと持ちかけたのも断られ、明けた昭和31年に301勝での不本意な引退となりました。

 その後、一時40勝扱いとされていた昭和14年の記録が元通りの42勝(現在も年間最多記録)に戻され、通算勝利も303となっています。つまり、本来の通算300勝はもっと早く達成されていたのでした。

  現役引退からほぼ丁度一年となる昭和32年1月12日の22時40分頃、運転中の車が玉電(玉川電車)と衝突。胸や顔を強打して死亡しました。スピードの出し過ぎと見られています。

  戦時中は「須田 博」名義にさせられたり、これだけの大投手なのに読売で全う出来ず、パ・リーグに転出してしかも高橋球団などという寄せ集めでその選手生涯を終えたりと、日本人に翻弄された人生でもありました。

 生涯の師とも言えた藤本定義が、引退試合を鈴木龍二と企画していた矢先だったという事です。

*1:昭和30年9月5日付読売新聞

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