無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「寝台車」

 寝台車という言葉は、今の人もわかるのだろうか?

 昭和時代には電報のギャグで、「シンダイシャタノム」なんてのが有ったのだが、今では電報も昭和語か。次回にでも扱おう(笑)。

 つまり新幹線も登場する前は、例えば東京から九州まで列車で行くなんて事になると結構な長時間の旅となるので、夜に出発し、列車の中で寝て、翌朝に向こうに着くという形が能率的だったのだ。

 我が家は両親共に九州の人間だから、帰郷するときには寝台車を使っていた。

 

 それで、いま調べてなるほどと思ったのだが、貧乏人だったから格別に安い、三等寝台というのを使っていたのだ。

 これはどんなものかと言うと、三人シートくらいの幅の椅子が有って、普段はそれに座っているのだが、夜になるとそこに寝そべる事になる。

 尤も、それでは一人しか練る余白が無い。残り二人はどうするかというと、中段と上段に、倒すと横になれる同じ様なシート状の物が有るので、それを展開してそこに寝るのだ。

 勿論そんな具合だから、柵なんて無い。たしかカーテンは有って、それで簡単に身は隠せたと思うが。

 ただのシート状の物に横になるだけで、あとは簡単な上掛けが有るだけだった。

 柵も無いなら中段・上段は危なくないかと思った人はまともで、しかし往時の日本はどこかのんびりしていたというか、そんな形式でも平気で運行されていた。

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 どうやら上段が一番安かったようだが、これも当然の話で、我が家はだから、上段を取ったのだろう。少なくともワタクシは上段に寝た。下段にいたのは両親ではなかったはずだから、二人も上段に寝たのだろうと思う。

 それは構わないが、せめて子供だけでも下段に寝かそうとは思わなかったのだろうか。

 

 尤も子供は呑気なもので、ワタクシは列車の中での寝泊まりに結構ワクワクしていた。上段寝台も高い場所なのでワクワクした。

 そしてそのまま寝入り、しばらくするとワタクシは「ダーン!」という物凄い音で目を覚ました。

 なんだろうと思ったら、列車の床に寝そべっていた。

 上段寝台から床に落ちてしまったのだ。しかし、これは当たり前である。子供の寝相は物凄いものが有るから。

 

 子供の体は軽いからか、痛みは全く無かった。そのままむっくりと起き上がり、物凄い音に目を覚ました中段・下段のおじさん連中にへらへら照れ笑いをしながら、そのまま上段に戻ってすぐに寝入った。

 しかし、たまたま怪我が無かったから良いようなものの、落ち方が悪ければ骨折は当たり前、下手をすれば死まで有り得る状況である。

 よくもまあ、あんなものが普通に罷り通っていたと思うし、現在ではまず有り得ないだろう。

*1:昭和31年1月28日付け読売新聞