無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

恥痴呆談「明日はどこに投票するのか」

Gさん(仮名)「東浩紀氏が、”積極的棄権”を呼びかけて物議を醸していますね」

ごいんきょ「わしから見たらどっちもどっちだな。どちらも、そもそも現行の選挙制度がおかしいという観点が無い。従って、ではどうすれば良いのかという肝心の視点が導き出されない」

 

G「ここは、そういう論点はとっくに提示してますからね」

ご「長谷川豊が、”立候補してみて初めてわかった”と言っていたよな。現今の選挙制度のおかしさ、つまり、組織を持たない人間が排除されるようになっている制度だという事を。

  彼くらいの学力が有って、色々と調べたりしている人間でもその程度なのかと、暗澹たる気持ちになったよ。ならば、ごく普通の人々が気付くなんて事は金輪際、無いんじゃないのか」

 

G「積極的棄権に関してはどう思いますか」

ご「他人の投票行動に影響を及ぼそうとするなよ、気持ち悪いって事かな。こういう考え方、こういう行動の仕方も有りますと提示するのはいいとして、署名とか異常だろ。何を考えてるんだか。

  かと言って、一般的な批判派が言うような、”投票によって変えよう”とかいう言葉は、もうウンザリで反吐が出そうなんだよ」

 

G「何がそんなに気に食わないんですか(苦笑)」

ご「いいか。先にも言ったように、現今の選挙制度で立候補している人間なんてのは、どいつもこいつも組織の紐付きなんだよ。それか、名前の露出が多くて名前におんぶしている奴。芸能人とかだな。

  どちらにしても公を優先すべき政治家には不向きな資質なんだ。ここが決定的なんだよ」

 

G「はあはあ。組織の紐付きだとその組織の利益を考えて行動するし、芸能人とかは自分大好き人間の集まりだって感じですか」

ご「そうそう。”公”を、つまり私心無く最大多数の最大幸福を実現させる事だけに邁進すべき政治家になれるか?、こんな連中が」

 

G「つまり、選ぶべき人間がいないと。

  では”棄権”でいいのではないですか?」

ご「いいよ。わしも、”棄権”という意思表示は大いに有りだと思っているよ。ただ、”積極的棄権”だとか”署名”だとか目立つ事ばかりぶら下げて、内容がまるでお粗末だから馬鹿馬鹿しいと思うのさ」

 

G「白票を投票するというのはどうですか」

ご「白票を投票するという事は、現今の選挙制度は認めているという事だよな。ただ投票したい人間がいないというだけだろ。わしとは立場が違うな」

 

G「結局あなたが言いたいのは、前に書いた通り、紐付きで無くとも当選できる選挙制度を作らないと駄目だが、そんなものを人類が手にする事は出来ないという事ですよね(苦笑)」

ご「ああ。民主主義なんてものを本当に実現させたいのなら、政党政治制なんかぶち壊さなければ駄目だし、政治家の実力を安定させなければ駄目だし、つまり実力政治家選挙制を実現させるしか無いのだが、そんなものを現在の既得権層が制度化させるわけは無いからな(笑)」

 

G「じゃあ、明日は棄権するんですか」

ご「いや。今回はおそらく投票すると思う」

 

G「へ? どこに?」

ご「迷っているのだが、共産党が低迷しそうだというので、最初は地方区で入れようとしていたのだが、比例区で入れるかもしれないな。

  ただその場合、地方区で入れたい人間がいなくなる。比例も地方も共産とか、流石に抵抗あるんだが(笑)」

 

G「はは(笑)。ネトキョクウが共産党とか、わけわからないですよね(笑)」

ご「でも、共産党が或る程度までの力を持って、きちんと調査の上で政権を攻撃するという緊張感は大事だと、わしは思っているのよ。他にそういう役割をする政党は無いんだよね。

  ま、棄権か共産党だな、今回は。日本のこころが地方区でいれば入れたのだが」

 

G「立憲民主、枝野さんはどうなんですか?」

ご「”ただちに影響は無い”なんて国民に言っておいて、自分は滑稽なまでの重装備で現地入りした自分第一人間がなんだって?

  わしは”公”を意識しない奴に政治家の資質なんか無いと言ったよな。アイツは信用できない。人間、非常時にこそその人間の真価が出るのだから」