無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

麻雀回顧「大隈秀夫」

セントライト記念

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 なんと、また人気順で1位2位3位の順となった。今年はこういうのが多いな。

 一応抑えで買っておいたので、トントンにはなったが…。

 いつも思うが、十倍の予算が有ればねえ、これでも五千円の儲けにはなるのに。

 

 

麻雀回顧「大隈秀夫」(1)

 大隈秀夫(おおくま・ひでお)は、昭和時代「守りの大隈」と言われた著名雀士だったが、本業は評論家という事だった。大宅壮一門下だという。

 だが、評論家であるにも関わらず、不思議とこの人だけは、麻雀界でほとんど「プロ」として以外の扱いは無かった。第二期名人位という、麻雀タイトル戦の伝説的初期に「名人」となった事が、彼の地位を押し上げたのは間違い無い。

 

 第一期名人戦は、結局、日本牌棋院の青山敬が勝利した。

 よく小島武夫が、第一期名人戦では最終戦までトップだったと書いているが、確かに嘘とは言えない。嘘とは言えないが、最終戦開始前の総得点は、小島266100、青山265300で、わずか800点差だったのだ。

 ちなみに三位の鈴木栄喜は259100点だから、二位・小島との差は7000点。子満貫一発で全てが入れ替わる激戦だった。

 その時点での現実の一位は村石利夫で267500点だったが、最終戦が抜け番のため、この三人のうち複数が抜くのは決定的だったし、実際に最終順位は三位であった。

 阿佐田哲也は238000点。これだけの相手を向こうに回してではほぼ絶望的で、最終戦は基本大物狙いで流し気味とならざるを得なかった。

 

 結局、青山敬が六連荘の猛攻を含め、6万点超の一人勝ちで栄えある第一期名人となった。小島武夫はなんとハコ下で、彼のためにお膳立てされたような名人戦を屈辱の最下位で終えた。以後、毎年のように決勝には残りながらも、彼はとうとう名人となる事は出来なかった。

 この青山名人に挑んだ第二期の出場者は、第一期より門戸を広げて16名となった。

 その顔触れは、日本麻雀連盟から稲垣真幸八段、石本洋一六段、日本牌棋院から坂田光行六段、瀬崎健六段、日本麻雀道連盟から後藤豊泉八段、田中健二郎七段、東京都麻雀業組合連合会(都雀蓮)から青木博七段、今野栄八郎七段、作家から、阿佐田哲也五味康祐佐野洋、棋界から芹沢博文、勝浦修、評論家から小島武夫、古川凱章、そして大隈秀夫という面々であった。

 

 予選はこの16名が半荘4回を様々な組合せで打ち、その総得点上位四名が青山名人との決勝に臨むという形だった。

 結果、四位は石本洋一、三位は青木博、二位は後藤豊水で、一位は大隈秀夫だった。後の雀風から思えば意外な感の有る大隈の点棒稼ぎぶりだが、この時は試合形式から、とにかく稼ぎに行ったのだろう。

 この予選一位の余勢を駆って、大隈は見事に第二期名人位を獲得、「守りの神様」の名が轟き渡った。

 この時の決勝に残った石本洋一は二年後の第四期名人位となり、青木博は近代麻雀に創設された王位戦で第一・二期と麻雀タイトル戦史上初の連覇を成し遂げた。

 初期の名人戦には、まだ風格が有った。