挿しす世相史「中国が国連に加盟すれば国交正常化を決意と大平外相が明言」
昭和39年2月12日(水)、衆院外務委員会で大平外務大臣が社会党の穂積七郎議員による質問に答える中で、中国が国連に加盟した場合、日本は国交正常化を決意するという趣旨の答弁を行いました。
この時の穂積議員と大平外相のやり取りは、次のようなものでした。 (抜粋)
穂積「もし国連で多数の国によって中国代表権が認められた場合、日本も中国を承認するか」
大平「当然、わが国としても重大な決意をしなくてはならないと思う」
穂積「重大な決意とは、中国承認と解釈して良いか」
大平「どういう手順になるか今から明確に言う事は出来ないが、重大な決意を持たざるを得ないだろう」
穂積「重ねて聞くが、国交正常化と考えて良いか」
大平「考えて良い」
時は池田勇人内閣で、外務大臣の大平正芳は池田派・宏池会の有力代議士でした。
後に池田の跡を継いだ前尾繁三郎をクーデターで降ろし、三代目の宏池会会長となり、佐藤栄作が長期政権から降りた後の自民党総裁選に立候補して、三角大福(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫)と呼ばれる一時代を築き始めます。
その昭和47年の総裁選で、大平は田中角栄との盟友関係から一貫して田中を補佐する形となり、田中角栄内閣が樹立されると、再び外務大臣に就任しました。
既に前年の昭和46年に、中国はニクソン政権下のアメリカと関係を劇的に改善させて、国連加盟を果たしていました。
そして、昭和39年の時点で中国との地均しを進めていた大平外務大臣を擁する田中内閣は、頭越し外交での米中接近を見返すかのように、アメリカに先んじる国交正常化を果たす事になるのでした。
この時のニクソンやキッシンジャーの怨念が田中角栄の引き摺り下ろしに繋がるという見解も有りますが、ニクソンが中国寄りの発言をし始めた昭和42年より更に早い昭和39年の時点で国交正常化の条件を明言していた大平外務大臣には、充分に理が有った訳です。
*1:昭和39年2月13日付読売新聞