無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「メチルウイスキー」

 本日は宵の口の只今既に、ブラックニッカディープブレンドを4ショット分以上頂いており、結構な加減なのでございます。 

  普段は22時過ぎくらいでないとグラスを傾けぬワタクシが何故にと申しますに、本日は夕食が用意できていない状態なので、酒で誤魔化そうと、かような次第なのですな。

 文体がいつもと微妙に異なるのも、酒の仕業と思し召され。

 

 うんめっ。

 ブラックニッカうんめっ!

 という事はアルコールブログの方でやるべき事なので置いておいて(笑)、今回はもう考える理性も無いので(爆)、この勢いでアルコール関連の記事にしてしまえ!と。

 そう言えば戦後間もない頃はメチル禍というのが有ったはずだと調べてみたら、有るわ有るわ、本当にそういう時期が。

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 戦後すぐのこの頃、ウイスキーでは宝酒造のアイデアルウヰスキーとかキングウヰスキーというのが有名なブランドだったのですな。

 それを偽造するメチルが多くて、ついには宝酒造がこんな広告を。

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 戦後すぐの昭和22年頃までは、メチルアルコールによる偽造ウヰスキーが闊歩していて、死亡記事が幾つも有るのです。

 洋酒への憧れか、酒でも飲まなければ憂さを晴らせぬ世相だったのか。

 

 とにかく戦後間もない頃は、宝酒造のアイデアル、キング、更には大黒ブドー酒のオーシャンウヰスキーなんてところが主流で、戦中派の人には懐かしい名前だと思うのだが、もう、これらの名前を知る人も激減しているだろう。

 

 かの有名な壽屋サントリー)のトリスが台頭してくるのは、昭和25年頃である。

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 トリスは、「サントリー姉妹品」だったのだ。

 その心は、品質的にはとても本来の「ウヰスキー」とは呼べない物なので、サントリー直々に出しているわけではないんですよ、という事だったのだろうと思う(笑)。

 勿論、今のトリスはそこまで悪い品質ではないようである。ワタクシは飲まないが。

 

 ただ、現在のようにかなりの品種を飲めるような時代でもない当時、しかもウヰスキーの値段が篦棒に高かった当時、激安にウヰスキー風味の味わいを楽しめるトリスは、かなりの人々の娯楽であった事は間違いが無い。

 昭和30年代に入るとサントリーはトリスバーを展開し、益々のウイスキー(もどき)文化を日本に根付かせた。

 これを、紛い物を定着させてしまったと捉えるか、はたまた当時の日本人にささやかな洋風娯楽を提供したのを良しと捉えるかは、非常に難しいところだと思う。

 けれども大局的には、やはり紛い物を定着させてしまった咎は拭い難いように思うのは、ワタクシがウヰスキー党である故。

 現在の山崎だの響だのは、たしかに良い酒ではあるのだが……

 

*1:昭和21年6月13日付読売新聞

*2:昭和21年12月18日付読売新聞

*3:昭和22年5月21日付読売新聞

*4:昭和25年3月10日付読売新聞