無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

無条件に若者へ投票を呼びかける愚

 参議院選挙が近いという事も有って、あちこちで投票を呼びかけている。

 政府はラップを使う馬鹿な広報をしているようだが、そのうち選挙権を7歳まで引き下げて、妖怪ウォッチだのを広報に使い出すのではないか。

 時、人、場所をわきまえるという感覚が、ありとあらゆる場合で蔑ろにされる世となった。

 「公論を形成する」なんて謳いながら、異論を唱える者を馬鹿だなんだと書き殴る人々もいる。

 幕末・明治に本気で、命懸けで公論を興そうとしていた人々に、よく恥ずかしくないものだと思うが、もう日本のありとあらゆる所で「恥」という感覚も消えているのだろう。

 

 そんな、遊び感覚で誘わなければ来ないような人間は、むしろ投票などしてもらっては困る。

 若者への迎合というか、やたらと若者に投票を呼びかけ、年寄り向けの政策を若者向けに取り返せみたいな分断工作もどきの物言いをしている連中もいる。

 けれども、ラジオでそうした「若者」の意見を街角で聞いていたのを聴いたが、意外と「若者」の方がまともなのには安堵した。

 「政治の事はよくわからないから、投票するのは無責任かなと思う」

 「投票したいところが無い」

 というような意見が多く、馬鹿げた分断工作の物言いに感化されている人間は、そこでは一人いたかいないかだった。

 

 ワタクシは、非常に理に適った意見だと思う。

 と言うよりも、現今日本の政治制度で、やたらと投票しろ投票しろと言える人間は、かなり無責任というか暗愚だと思う。

 実際に、投票できる、投票したくなる人間など、いないではないか。

 何故か。政党政治制だからだ。

 だから誰も彼も同じ様な事しか言っておらず、例えばワタクシが気になる事柄で言えば、改憲勢力独立自尊、反TPP、安倍内閣の年金博打批判、消費税一時撤廃、累進課税強化などというところを、全てワタクシとおなじように言う人間なんて、おそらく殆どいないだろう。

 前半は一般的に保守強硬な意見であり、後半は一般的にリベラル左翼的な意見であるから、紋切り型に特化されてしまった現今の政治制度では、投票したくなる人物はいないか、妙な宗教団体の紐付きみたいな話となってしまう。

 

 比例代表制政党交付金制度も、どれも政党政治制を強化する制度であって、べつにそれまでだって代わり映えは無かったが、より以上にガチガチに、候補者に多様性が無くなった。

 加えて供託金制度という、法の下の平等に反する、財産で機会を奪う制度が罷り通っているから、在野の志が有る人間は出馬できない。

 政党か宗教団体、財界、官公庁などの団体が推す人間ばかりが立候補するから、そうした所の利益代弁者だけが候補として並んでいるわけだ。

 そういう紐付きで無い人間を選ぼうとしても、選択肢が無い。

 選択肢が無い設問を与えられて、答えないと、答える機会を活かさないお前が悪いと言われる。

 完全に、奴隷に対する使用者のやり口である。

 こんな選挙への参加を、何も判らない若者に呼びかけている連中の無責任さには呆れるが、所詮はその者どもも紐付きなのだろう、馬鹿でなければ。

 

 では、どうすれば良いのか。

 ワタクシは何度か書いてきているが、ここでも書いておこう。

 先ずは実力選挙制の導入である。被選挙人立候補資格を、実力制にするのである。

 これだけでも、紐付きでない立候補者を増やす事が出来る。

 のみならず、批判も有る政治家の世襲制や、誰彼無く有名人を並べる手法にも効能が有る。

 但し政治は頭でっかちでも困るから、一定の推薦人は必要だと思う。

 実際、三権のうち司法は、実力制なのである。だが、それは差別でもなんでもなく、それこそが公平なのである。

 もし、司法試験を受けるには供託金が必要だとなったら、それこそ大騒ぎとなるだろう。

 何故、もっと身近であるべきで、しかも法律の専門家である政治家に、供託金という金銭的な枷が嵌められているのを誰も不思議に思わないのかが、ワタクシの子供の頃からの疑問だった。

 

 タレント候補だの世襲候補だの急造候補だので、まったく知見の無いような連中が大量に当選し、その度に恥を晒しているのを見続けても、誰も実力制の導入を思いつかない。言い出さない。

 それは奴隷の反乱を意味する事になるからである。

 加えて、実は被選挙人の実力制導入は、選挙人の実力制導入議論にも繋がりかねない問題も孕む。

 ワタクシは、選挙人の方にも簡単な実力制を導入すべきとは思っている。

 それは、自分の選挙区の被選挙人名の一定数を挙げられるという程度で構わないと思うが、いずれにしても先ずは、被選挙人の実力制導入を優先的に考えるべきだろう。

 参議院を廃止して、新たな実力院ともいうべき府を作り、衆議院を精査させるようにするという手も有る。

 そうすれば被選挙人の多様性も実現し、より多くの人間が投票したいと思える候補者と出会える可能性も高まろう。

 

 結論としては、ワタクシが若者に言いたい事は、こういう事だ。

 選びたい人間がいないなら、遠慮せず、投票しないという行動を執って良いのです。

 判らないなら、無責任に一票を投じたりせず、少しでも理解を深める努力をするか、やはり投票しないという選択肢を採りましょう。

 政治に対して不満を抱いたら、それを解決する手段を、それまでの常識に囚われず、より幅広い視野で模索してみよう。

 頭の良い人は新たな制度を考え、行動力のある人はそういう制度の実現を広く呼びかけよう。

 旧来の奴隷製造装置である選挙制度政党政治制という頸木から人類を救う事が出来る可能性が有るのは、そういう新しい人たちなのだ。

 現今の「民主主義」は少しも民主的でない事に、多くを気付かせないといけない。

 あ、ちなみにワタクシはこういう事は数年前から書いていて、小林よしのりの「民主主義という病い」に感化されたわけではないので、念の為。