無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

麻雀回顧「石本洋一」

第154回 天皇賞

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 あきまへん。

 しかし、最初は枠連で5-7一本で千円買うつもりだったんだよな。

 リアルスティールの騎手がデムーロだし、エイシンヒカリは絶対に駄目だと思っていたから。

 

 あと一回、最後のボタンを押せば投票確定という時に、正に魔が差して、三連複も検討してみようとか考えてしまった。

 何故か、その注目していたリアルスティールを買ってないし。

 ステファノスは完全ノーマークだったし。

 

 あー。一万五千円あれば結構な足しになったのに……

 でも、俺が買ったら来ないんだよな(皆が思う事)。

 

麻雀回顧「石本洋一」

 石本洋一は、現在の日本麻雀連盟理事長である。昭和の麻雀ファンには、第四期麻雀名人という通り名が判り易いだろう。

 日雀連のサイトで、石本氏による麻雀の歴史なる記事が有るが、少々記憶違いが散見される。

 歴代名人は、第一期・青山敬、第二期・大隈秀夫、第三期・古川凱章、第四期・石本洋一、第五期・坂口誠彦、第六・七期・福地泡介、第八・九期・花登筐という並びである。

 

 流石に自身が奪取した第四期までは記憶しているようだが、名人を奪った相手を忘れているのが不思議である。確かに坂口誠彦は、その後は誌上対局にまったく出なかったから、記憶から消えてしまったのだろう。

 更に、自身の名人奪取を1回の出場でと記しているのも誤りで、既にここでも書いたように、初出場は第二期。立派に決勝進出を果たしている。初出場での決勝進出を忘れているのも異な事だが、優勝の記憶と混同されてしまっているのだろう。

 この頃の石本の打牌の充実ぶりは、目を見張るものが有ったのだろう。

 

 当時、誰よりも牌譜研究をしていたと思われるムツゴロウ先生・畑正憲が激賞していたのが青木博(第一・二期王位)だった。打ち損じがまったく無いという事であった。

 そして、もう一人、畑がその打ち筋を認めていたのが石本洋一で、風格が有るとまで表現していた。

 田村光昭も可愛がっていたが、牌譜を激賞するという事は無かった。

 

 それだけの打ち手であったから、名人を取ってから暫く、きちんとした打ち筋の打ち手が求められるような場に、よく呼ばれたのが彼だった。

 例えば、五味康祐センセイなどは、徹底的に相手を選んで、小島武夫のような荒い打ち筋の人間とは卓を囲まなかった。

 阿佐田哲也(特にお気に入りだった)、古川凱章、畑正憲、青木博などといった面々が相手を務めていたのだが、或る時、この五味センセイの相手役に石本が抜擢された。

 

 ところが、局が進んだ或る時、石本が一巡目で下りポンをした。

 勿論、それでアガリは間違い無い状態になるからしたのであるが、これに五味センセイがへそを曲げた。

 「えーい、こんなもの」と、直後に持ってきたドラを引き放りしてしまったのだ。

 それはポンされて、たちまち場が荒れてしまった。

 

 その心は、これだけの面々が集まったのだから、ただ勝ちを貪るような麻雀を牌譜として残すのは愚かだという考えが有ったのだと思う。

 実際、この当時に五味康祐が残した牌譜は、単純に勝ち負けで見たら手の遅い作りのやり取りが多いのだが、しかし、異様なコクと迫力を堪能できる牌譜ばかりが残されている。

 特に阿佐田哲也畑正憲、青木博との四人での対決は、全局が異様な熱を帯びて牌譜から伝わり、それは何度も掲載されて反響を呼ぶ名勝負となった。

 今の一発ウラドラ麻雀では、決して味わえない世界である。

 

 石本は当時、まだ打ち盛りであり、しかも誌上対局によく顔を出していたわけでもないので、とにかく勝ちに行く事が打ち手の務めだとしか考えていなかったのだろう。

 本当は、事前に編集部なり、ホストの古川凱章なりが五味康祐の求めているものを伝えておけば良かったのだろうが、当の古川も、まさか本来は腰の重い石本が、一巡目から下りポンをするとも、それを五味センセイが露骨に嫌うとも、思っていなかったのだろう。

 個性豊かな麻雀を誌上で楽しめた時代だった。

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