無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和37年の憲法調査会に於ける皇室論議

 ワタクシの認識できる範囲では、まだ採り上げられていないようなので、昭和37年の憲法調査会に於ける皇室に関する議論を、時節柄、話の種にご紹介しようと思う。

 なお当ブログは、今般の皇室問題に関しては、当ブログの情報を自分の意見のように扱ってもらって構わないという姿勢である。各自の責任に於いてなら、いちいちソースを表示したりリンクを貼る必要は無いし、切り貼りコピペして使っても自由である。

 

 

 田中伊三次という政治家が昭和時代に居た。初当選は戦前で、保守合同した自由民主党に結党以来参加している。

 だが、親分の緒形竹虎が志半ばにして斃れた事により、以後は傍流として大した見せ場の無い政界人生であったと言えよう。

  そんな田中が昭和37年10月17日に、(池田勇人)内閣憲法調査会(会長=高柳賢三)での87回総会に於いて述べた改憲案に関する報道を見つけた。 

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  田中伊三次による改憲案は、

  1. 前文をわかりやすくして人権尊重を入れる
  2. 象徴天皇制ながら女帝を認め継承辞退や天皇退位を規定する
  3. 自衛権を規定し自衛軍を明記
  4. 参院全国区を辞め両院議決による推薦議員に代える
  5. 内閣の組織を改める
  6. 最高裁判事の国民審査は廃止しない
  7. 国旗(日の丸)・国家(君が代)・国章(菊)を規定する。

 となっている。

 全体的に、非常に所謂保守的な内容であるが、だからこそ一際に違和感を放っているのが2である。

 

 田中が、どのような意図でこのような提言を行ったのかまでは、今のところわからない。

 ただ、「天皇帰一の大精神を国民生活に顕現し、以て臣民思想の一大統一を計りたい」と戦前に語ったとウィキペディアに有るのだから、皇室に対する敬意は筋金入りではなかったか。

 時代背景としては、既に現在の皇太子殿下が二年前にご生誕されており、継承に関する憂いが当面は無い情勢であったので、そのような意見も大らかに出せたのかもしれない。

 

 女帝を認めるべきという意見は、それより前に神川彦松(東大名誉教授)も述べている。

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  神川は、その名も「皇道文化研究所」なるものを設立した人物との事であるから、これも皇室への敬意は並ではあるまい。

 彼らが何故、継承にまだ危機感の無かったこの当時に「退位」はともかく「女帝」まで踏み込んでいったのかは、研究者に任せたい。

 

 GHQ体制の後、内閣憲法調査会を中心とした改憲論議はそれなりに熱を帯びていたのだが、昭和39年7月3日に、最終報告が行われた。

 だが、それこそ10年以上の長きに渡って侃々諤々と行われた議論の帰結は、時の池田内閣で日本が高度成長に突入した事も有り、人心は経済的充足へと流れて改憲論議はお座なりになってしまった。

 

 

*1:昭和37年10月18日付読売新聞

*2:昭和37年3月15日付読売新聞

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