自粛 不謹慎狩り ヘイトスピーチ 表現の自由 インターネットが人類に託すものとは
ここの所、表題に書いたような感じで、表現の自由に関する話題が多い。しかし、いまだにそれらを統合して、こうすべきなのだと喝破できた文章を見ない。
言ってみればアインシュタインも為し得なかった統一場理論にも匹敵する、表現の統一場理論、インターネットでの表現と表現の自由との兼ね合いをどう考えていくべきなのかという話をである。
実はワタクシは、もう数年前から自分なりの結論を持っていて、いつか書こう書こうと思っていたのだが、結構な長さとなって面倒なので、延び延びにしてきたのだ。
で、まあこうして今日こそはそれをやろうと思い立ってのこれなのであるが、やはり、かなりの難題ではある。まとめきれなくなる可能性も有るし、読みづらさは相当なものとなるだろうが、その辺は元よりこんなとこ読んでいる人間なんて殆どいないのだから、吹っ切ってやってみよう。
ヘイトスピーチ
ワタクシが目下、最も懸念している報せはこれである。
表現者の端くれたる小林よしのりを始め、名だたる評論家の中にも法規制論者の多い「ヘイトスピーチ」。
そもそも「ヘイトスピーチ」って、なんなのだろう?
ここの定義次第では、ヘイトスピーチ規制 即 表現の自由規制となりかねない危うさを孕んでいる。
だから、サヨクさんが殊更声高にこの法規制を訴えるのは、ワタクシには違和感が無い。サヨクが言論弾圧が好きだということは、世界中の共産国家が世界史の至る部分で、現在進行形で実証してくれているからである。
ここで言うサヨクとは、まあ進歩主義者と考えて戴ければそれほど外していないだろう。従ってワタクシは、新自由主義者もサヨクだと思っているし、言葉面だけは「保守主義」なんて言っている輩もこの範疇だと認識している。
断っておくが、進歩主義そのものを完全否定している訳ではない。
「新自由主義」と「保守主義」に関しては、言葉面で誤魔化そうとしている姑息さが感じられるので好きではないが。
さて、表現の自由を損ねかねない危険を孕むヘイトスピーチ規制なので、法を作る側も色々と懸念はしているようで、だから「ヘイトスピーチ」をどう規定すべきかを決めあぐねているようだ。
そして野党側は、「インターネットを通じた不当な差別的言動の解消」に向けた取り組みを盛りたいのだという。
これも難しい所で、「不当ではない差別的言動」はどうするのか。そういうものも排除されると、北朝鮮のように政権への愚痴も何も言えない場が現出してくるのではないか。
では、「不当」と「不当ではない」の区別はどうつけるのか。いちいち裁判で決めるしかないのか。
そもそもこんなくだらない議論がなぜ巻き起こっているのかと言えば、韓国(人)への罵詈雑言が特にインターネットで日常風景となっているからだろう。
では、なぜ日本がそんな状態になってしまったかと言えば、これもインターネットによって、韓国がどれほど日本を敵視しているかが伝わるようになったからである。
そもそも日本人は、戦後は韓国などあまり意識に無かった。
その昔、「釜山港へ帰れ」という歌が韓国でも日本でも流行った事が有ったが、それは韓国人にとってかなり不思議な出来事だったようで、当時の歌番組の中でその事が軽く触れられた。
そして、日本人は再び韓国を征服しようと考えているのではないかのような、非常に的外れな韓国の考え方を紹介していて、まだ高校生くらいだったワタクシは、物凄く首を傾げざるを得なかった。
なんでそんな考え方になるのだ???
でまあ、或る程度知恵も付いた今なら解説も出来る。
そもそも日韓でこの曲に乗っていた歌詞の意味合いが、かなり違っていたのだ。
日本では、ただの恋歌のような感じに聞こえて、貴方に会いたいという事が使われていた。
だが元の韓国では、釜山港から日本へと行って帰ってこない兄弟に会いたい、という歌らしかった。
その歌詞世界の違いも向こうは判っていなかったが、それにしても日本人が元の意味に取っていたとして、何故そこまで被害妄想的に捉えられたのかは、なかなか難しい。
おそらく、「また日韓併合すれば同じ国民となるからいつでも会えるようになるだろう」と、日本人が考えているのではないかと考えたのだろう。
とにかく、かなり考え方に違いが有る事だけは判った事例だったが、ワタクシがその頃からいつもモヤモヤした気持ちになっていたのは、新しい人間が総理大臣になる度に、大東亜戦争時代のお詫びの言葉を表明することだった。
いや、お詫びそのものにモヤモヤしていたわけではない。
もっと言えば、毎度毎度、政権が変わる度にお詫びを表明しているのに、番度繰り返される韓国からの「日本は反省しろ」の言葉に、段々と憤懣が醸成されていったのだ。
これは恐らく、ワタクシだけの感情では無かっただろう。
後に小林よしのりが「戦争論」を興して日本人の愛国論調を耕し、それがひいては嫌韓思想も耕すことに繋がったと見る向きが多い。
それは確かに一理あるのだが、小林はべつに、何も無い土地を耕し、種を植え、水を撒いて発芽させたわけでもない。
種は既に植えられていたのだ。
毎度毎度、卑屈なほどに国際社会に謝罪を繰り返させられる宰相を見て、我々は育ってきた。
戦争中のことはよく知らなかった。だが、もう戦後何十年と経って、戦争を知らない子供達なんて言っていた連中が社会の中核になって、ワタクシのように、親が徴兵資格も無かった子供の頃に戦争が終わっていた世代が社会人になる世になってまで、延々と戦時中の罪を着せられ続ける事に、日本人はいい加減、ウンザリしていたのだ。
小林よしのりは、そうして日本人の中に埋め込まれた憤懣の種が発芽しやすいように、土地を耕したのだ。
そこに水を撒いたのは、韓国だった。
断続的に繰り返される反日言動の報せに、日本人の厭韓感情は募っていった。
それでも黙っていたのは、日本が恵まれていたからだ。
敗戦国でありながらサミットに参加するまで西洋国際社会に認知された大国となった日本に対して、韓国は比べようも無くちっぽけだった。
いずれ韓国も経済的に成長すれば、きっと友好的になってくれるだろうと、多くの日本人は考えていたのではないか。少なくともワタクシはそうだった。
だが、インターネットで簡単に入ってくるようになった韓国側の日本関連の報せの多くは、そうした気持ちに冷水を浴びせ続けた。
そして近年の慰安婦問題に関しての常軌を逸した嫌がらせぶりなどで、厭韓から進んだ嫌韓感情を持つ日本人が、かつてから比べると大きく増大したと思う。
ワタクシの同僚でワタクシより5つ6つ年下の人間、底辺労働の職場だから勉強も何も出来ず、もちろん政治的な話題など普段はまったく口にしない人間が、「お前ら、結局仲良くする気無いだろ」とテレビを見て感想を述べた時に、ワタクシはその思いが確信となった。
もう、真の日韓友好などは百年単位で無理だろう。
尤も向こうさんに言わせれば、千年経っても駄目なのだそうで、要するにやはり、友好を築く気など無いのである。
だったら取り敢えず断交するのがお互いの傷を深めないと思うのだが、これがアメリカ様のご意向で、絶対に許されない。
日本と韓国の黄色い猿めらは適当にいがみ合いながら同じ猿山にいろというのが、ご主人様たるアメリカ様のご意向なのだ。仲良くされても、集団行動で檻を破られる怖さが有るから困るのだ。
だから現実的にはなんの解決にもなっていない話し合いを称して「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」なんて、解る人間なら赤面するか失笑するかの大言を臆面もなく発表できてしまう。
民衆がどう感じるかはどうでも良くて、アメリカ様に従う振りさえしていれば、日韓とも政治家は収まるのである。
分けてもインターネットでは、更に悪辣な反日言動を容易に目撃させられ続けた。
「ヘイトスピーチ」なんて、韓国では日常会話ではないか?というくらいに、日本人の嫌韓感情は醸成された。
それで出て来たのが、在特会に代表されるような考え方だ。
即ち、韓国は国を挙げて日本にヘイトを仕掛けてくるのだから、日本人も対抗しなければいけないという考え方だ。
まして、日本人のそういうヘイトスピーチを糾弾する側で、韓国の日本ヘイトも糾弾している人間を、ワタクシもまず見た事が無い。
だからそういう人々は、押さえつけられるほど理不尽な思いが強くなる一方となる。何故あいつらのヘイトは通るのだと。
日本人のヘイトは法律で押さえつけよと論を張る連中に、ワタクシも問いたい。では、相手から伝えられてくるヘイトにどう対処せよと言いたいのか。
言語を押さえつけられたら肉体言語が有るじゃない、とでも言いたいのだろうか。
不謹慎狩り
熊本震災以後の「表現」に関する話題と言えば、いわゆる不謹慎狩りだ。小林よしのりの「ライジング」で扱われた例だけで、次のようなものが有る。
「不謹慎狩りする幼稚な人々」小林よしのりライジング Vol.175:小林よしのりライジング:小林よしのりチャンネル(小林よしのり(漫画家)) - ニコニコチャンネル:エンタメ
◆井上晴美(女優・熊本在住)
自宅全壊の被害に遭い、自身のブログで現地情報などを発信したところ、ネット上で「愚痴りたいのはお前だけではない」「可哀想な私アピールがイラつく」といった批判を受け、「ただ私が感じてること書いてることがなぜそんな風になるのかよくわかりません残念です」「これで発信やめます これ以上の辛さは今はごめんなさい 必死です」として、ブログを閉鎖。◆長澤まさみ(女優)
女優・りょうらと一緒に撮った写真をインスタグラムに掲載、満面の笑顔で本来なら何気ないショットだが、投稿時刻がたまたま地震発生直後だったということだけで「え?不謹慎すぎ」「ニュース見てますか?」「タイミングが悪い、テレビ見よう」などとコメント欄に書き込まれ、投稿を削除。◆西内まりや(女優・歌手)
福岡出身で、被災地を気遣うツイートを頻繁に投稿。その中で、非常持ち出し袋の内容一覧のイラストに自撮り写真を添えて「頑張ろう。支え合おう。♡」とコメントしたところ、「自分に酔ってるだけ」「災害をアピールに使うな」「その自撮りいります?」などと批判が寄せられ、ツイートを削除。「今の状況で私が発する言葉、行動によって不快な気持ちにさせてしまっている方々ごめんなさい」と謝罪。その上で「私なりに、1人でも多くの方と共有したい。見守ってるよ。という気持ちで更新させてもらっています」として情報発信は継続。◆市川海老蔵(歌舞伎俳優)
地震で電話がつながらない人のために、自身のブログのコメント欄を伝言板として解放。個人の安否連絡や具体的に足りない物資、現在利用可能なバスの運行状況など、2000件以上の伝言が書き込まれ活用されたが、これに対してネットに「自分のブログの閲覧数をアップさせれば収入になるもんな」「海老蔵は震災伝言詐欺だろ?」といった非難多数。
海老蔵は「ちなみにアクセス数見てるのかしら、日常と変わってないのに」と、閲覧数がこのことで増加したわけではないと説明し、「しかも緊急を要していたので、詐欺か…残念です」「まぁそんなもんだよね最近の世の中、涙」とコメント。◆ダレノガレ明美(タレント)
ツイッターを被災者支援情報掲載に活用、必要な支援物資や給水できるポイント、義援金の受付機関など、さまざまな関連情報を拡散したところ、「ダレノガレの震災関連のリツイートすごいんだけどさ、指で操作するだけじゃなくてなんか行動すればいいのに」といった批判を受ける。
ダレノガレは「熊本に行きたくても、問い合わせをしたところ今は立ち入ることができません!っと言われました。なので記事を載せる事しかできません」と説明し、「なにを言われても私は発信していくので!」と表明。◆紗栄子(タレント)
500万2000円(自身が500万円、二人の子供が1000円ずつ)の義援金を寄付、インスタグラムなどに金額入りの振込受付書を掲載したところ、「いちいち出すな」「好感度上げたいのか」「(前夫の)ダルビッシュ有からむしり取った養育費の一部だろ」などの非難を受ける。
紗栄子は「批判も覚悟の上、実名での振り込み明細を掲載しました」「信念を持っての行動なので、私は何を言われても大丈夫です」と表明。◆川谷絵音(「ゲスの極み乙女。」ボーカル)
長崎県出身で、ツイッターに「九州にいる家族は無事でした。良かった」と報告しただけで「熊本っぽく言うな」「またゲス発言か」と批判される。◆矢口真里(タレント)
ブログで「熊本の皆さん!! 大変心配です。。。 大丈夫なのでしょうか? どうかご無事で。。。」などと書いたところ、「でしゃばるな」などの非難を受け、「不快や偽善に思われた方。申し訳ありません」と謝罪。その上で「私は発信することは、ダメなことではないと思うのでこれからも発信し続けていきたいと思っています」と表明。◆藤原紀香(女優)
ブログに「火の国の神様、どうかどうか もうやめてください。お願いします」と書いたところ、「なぜこんな時まで自分に酔ってるのか」「災害まで舞台ですか?」「いちいちカッコつけるな!」「地震は天罰だと言いたいのか」と非難殺到、当該箇所を削除。◆堀江貴文(実業家)
出演予定だったインターネットテレビのバラエティ番組が放送延期になり、ツイッターで「熊本の地震への支援は粛々とすべきだが、バラエティ番組の放送延期は全く関係無い馬鹿げた行為。人のスケジュールを押さえといて勝手に何も言わずキャンセルするとはね。アホな放送局だ」「おめーらが自粛した所で被災者が助かる訳では無いんだがね」「俺たち地震の被害を受けてないものは出来るだけ普段通りの生活をしながら無理せず被災者支援を行うのが災害時の対応だろう」と発言し、批判を受ける。
小林はこうした「不謹慎狩り」を震災パニックの不安状況が引き起こす現象と解説しているが、なるほど、ワタクシも一理あるかなと思う。
問題は、こうした「不謹慎狩り」や一部で出回ったデマ(にもならない悪質な冗談)まで法規制すべきという人間も出て来ている事だ。何故、そんなになんでもかんでも言葉を封じたがるのだろうか。
たしかに、善意でやっている言動が理不尽な言葉で傷つけられるのは不本意だろう。だが、それぞれの非難の言葉にも、ワタクシから見れば一理、いや、三分の理は有るように思えるのだ。
- 井上晴美
うちひしがれている気持ちは理解できるが、そもそも負の感情を見せつけられるのは、多くの人間にとって愉快なことではない。被災した事実だけを書けばその心情はそれなりに察せられるのだから、それ以上の感情を書かれると受け取る方には許容量を超える人間も出てくるのはわかる。 - 長澤まさみ
ただ時機が悪かっただけで、「ご指摘ありがとうございました」と言って削除すればなんの問題も無い。一ヶ月もしてから様子を見て載せればいい事。 - 西内まりや
たしかに自撮り要らないよね。そんな時まで自分アピールを不快に思う層は、当然いるでしょう。 - 市川海老蔵
これは本当に意味不明。なんか他に嫌われる事したのかな?ってくらい。 - ダレノガレ明美
同上。 - 紗栄子
そんな額をポンと出せるほど稼げる何か特別な才能をみんなが感じてないって事でしょ。分不相応な金額って事じゃないのかな。そりゃダルビッシュ云々って普通は思うでしょう。 - 川谷絵音
ほとぼりが醒めるまでは仕方無いんじゃないのかな。 - 矢口真里
同上。 - 藤原紀香
多分、存在そのものが胡散臭いからだと思う(笑)。 - 堀江貴文
同上(笑)。
以上は、あくまでもワタクシの目から見て、「不謹慎狩り」の人間の視点から見たらどうなのだろうと考えてみての言葉である。
つまり、ほとんどの人間に対して言われていることは、ワタクシにも少しはわかる。ただ、ワタクシなら絶対に書かないという違いが有るだけだと思う。
ネットで見える言葉とはなんなのか
ワタクシには、韓国に対するヘイトスピーチも、不謹慎狩りも、まったく理解できないわけではない。中には多少の共感を覚えるものも無いではない。
けれどもワタクシは、通常であれば、それを絶対にブログやツイッターで自分の言葉として発信することはしない。
つまり、上記で長々と書いてきたことは、それほど異常な書き込みとは言えないという事だと思う。
それを大多数が見える場所に書き込む事は異常に見えても、内容そのものは、必ずしも異常とは言えないものも多い。同じ人間として考えたら、そういう考えになるのもわからない事もないなという事が多い。
つまり、(精神的・肉体的に)幼稚だったり、文章能力が低かったり、様々な条件で気持ちに余裕が無かったりという人々が、抑える、我慢する、言い換えるという行為ができず、感じた事をそのまま書いてしまう事が多いのだろう。
もっと端的に言えば、心の中が見えてしまっているのだ。
考えている事が可視化されているのだ。
いくら法律で言葉を規制したところで、ひとの心の中までは規制できない。むしろ、相手が何を考えているのかわかりづらくなるという事だってある。
逆に相手の考えている事がわかる事によって、対処できる事も出てきたりするだろう。
差別が嫌いだからと言葉を封じたところで、人間世界から差別が消滅する事は無い。
もし、そんな社会が本当に実現したなら、それは恐怖の無機的人間世界である。人間性が完全に排除された機械的人間の世界でしか、そんな事は有り得ない。
或いは、差別する人間を徹底的に削除する、恐怖の管理社会となるだろう。尤もそうなると、どちらが差別なのか解らなくなるが。
だが、差別を嫌う人間を増やす事は出来る。
ならば、どうせ差別する人間を絶滅させる事はできないのだから、言葉も封じてしまわない方が賢明というものだろう。
相手が差別的言動をすれば、そんな事はおかしいんだ、正しくないんだと、訴え続ければいい。
その者は理解できなかったとしても、その主張が理に適っていれば、その差別的言動に理が無ければ、きっと周りの多くは、理解してくれるはずである。
差別を嫌う人間が大多数になれば、それで良いではないか。
何故、差別する人間を差別して、更に絶滅させなければならないのだろう。
人間って、そんなに画一的なものではない。
ネット上の言葉を心の中の可視化と、取り敢えず仮定してみる。
では、ヘイトスピーチや不謹慎狩りに見られる心ない言葉は、全てその者の本心なのだろうか。
そんな事は無い事は、自分自身の普段の言動を思い起こせば、容易に理解できるだろう。
社長や上司、友人や連れ合いにつまらない事を言われて、「あんなやつ死んでしまえ」なんて(心中でも)口にする事が一度も無い人は少ないだろう。
そんな時、たしかにそう考えてはいる。だが、それが本心とは限らないし、そうでない事だって多いはずだ。
その時の一時の感情や勢いなどで、人の気持ち、言葉、考えは、いくらでも振れる。
ネット上で「死ね」と書いている人間だって、なにも突き詰めて本当に「死ね」と書いている人間は、あまり多くはないだろう。
その他の罵詈雑言だって、多くはその時の勢いで書いているだけで、ほとんどの場合はどうでもいい話のはずだ。
もし、そういう厳しい言葉が見えても、そう考える人がいる事が顕在化しただけの話である。仮に言葉を規制したところでその人間の心中までは変えられないし、その存在を消す事は出来ない。
と言うか、言葉を消そうという考え方は存在を消そうという考え方に通じるものを感じて、ワタクシには生理的嫌悪感が有る。
ワタクシもここまで生きてきて、何度か陰口を直に耳にした事が有る。気が短い人間なら、そこで踏み込んで殴り合いかもしれない。
だがワタクシは、何も聞かなかった振りをしてそれまで通り、今日までその同僚たちと毎日楽しく仕事をしている。
誰だって他人の色々な部分が気に障ったりするし、逆にワタクシだって同じように陰口をたたいたり、心の中で文句を言っていたりするのだ。だからと言って、その言葉が重さを持ってその人間から発せられているかと言えば、大体はそんな事も無い。
ワタクシはそういう陰口を聞いてしまった時、その人間がそう感じたのだという事実を尊重する事にしている。
後は、自分で直せて直すべきと感じた事は直せば良いのだし、自分なりの考えが通じなかったのなら諦めるか、別の手段で試みるし、このままで仕方無いと自分で納得できるなら、聞かなかった事にして全て忘れる。
これはネット上でもそうで、自分のブログ上でも他の場所でも、どちらかと言えば悪口に類する言葉を書かれた事は何度か有るが、その対応は上記と同じである。
相手がそう感じる事は、自分の問題でもあるのだ。
勿論、なんらかの行動が伴っている場合は、状況が変わってくる。
しかし、事がただの書き込み、言葉に過ぎないのであれば、存在を消そうとしてしまわずに、その存在をより顕在化させて対処する方が、よほど健全だと思う。
ヘイトスピーチを言論統制に繋がる法律で封じてしまうのではなく、そういう事をする人間はいけないのだという教育やネット環境を充実させれば良い。そのための議論を面倒がってはいけない。
不謹慎狩りをされたら、まずは相手の言い分にもっともな点は無いかを考えて、有ったら考慮すれば良いし、無ければ無視すれば良い。
多くの人間は事の善悪を判別できるのだから、あまりに馬鹿な事を書く人間は軽蔑されているだけなのだから気にする事も無い。
そして人類の課題
少し前に、人間が脳で考えた模様を画像化できたという報道が有ったと思う。
ワタクシは、あまり驚かなかった。
いずれそういう時代が来るとは思っていたし、と言うか、実は報道よりも事態は進んでいるはずだと思っている。
とにかく人類は、いずれは(或いは既に)脳で考えている事の全てを可視化、音声化できるようになる事は間違い無いだろう。
その時に、もし「韓国人は国に帰れ」とか考えた人間がいたら、ヘイトスピーチ規制派の人間は、その人間をどうするのだろう。
脳手術をして、そういう考えをしないように改造してしまえば良いと考えるのだろうか。
或いは一生監獄に繋げば良いと考えるのか、或いは殺戮しないと気が済まないのか。
ワタクシは、インターネットというものは、そういう時代を目前とした人類の、過渡的教育装置だと思っている。
そう考えるべきで、そのように考えて「表現」に対する思考を深めていくべきだと考えている。
ネット上の言葉は、心の可視化。
ただし、心の中の言葉が本心だとも限らない。