麻雀回顧「名人戦(双葉社)の初アガリは誰だったのか」
函館2歳ステークス
8番と10番に期待したのだが、やはり届かず。さりとて、5番までは読めないって。
GIIIは力の量れない馬がゴロゴロいるからね。本当は手を出さないのが賢明なのだが。
でも、中京記念よりは読み易かったのだが。
麻雀回顧「阿佐田哲也(3)名人戦での初アガリは誰だったのか」
第一期名人戦は、先述の五名、鈴木栄喜、青山敬、村石利夫、小島武夫、そして阿佐田哲也の五名による十回戦で覇を競うこととなった。抜け番が有るので、各人8荘ずつでの総得点で決する事となったのである。
さて、麻雀誌上対局に大きな一歩を記した名人戦の第一期、その東一局劈頭を制したのは誰であったのだろうか。
麻雀に於いては、このような基本的な歴史すら誰も今に伝えていない。
実は、名人戦の初あがりは、他ならぬ阿佐田哲也が記録している。
このように、まるで仕組まれたかの如き配牌。(ドラは2ソ)
捨牌
このように、なんとも見事な平和二盃口で、いきなり11600の親満という、これ以上無い出だしであった。
仕組まれたかの出だしと書いたが、他の三家は、南家・村石利夫、西家・鈴木栄喜、北家・小島武夫と、いずれも海千山千の強者。
まして小島も裏技を得意としているわけだから、彼らの目をかいくぐっての仕込みは不可能だったと考えるのが自然だろう。
小島武夫は、この時はまだ阿佐田と新選組を組んではいないし、誰よりも名人位が欲しかったはずであるから、小島の仕込みという線も無い。
その小島は、この様な手であった。配牌が、
ここから次のように進めて行く。
捨牌
実は、小島が3ソを切る一巡前に、村石が6ソを切っていた。
タラレバを言っても詮ないが、もし小島が合わせ打ちでその時に3ソを切っていれば、阿佐田の聴牌は間に合わず、純カラだったのだ。
3ソはドラソバであり、自分と村石とで筋の6ソが3枚見えており、マゴマゴと置いておくべき牌ではなかった。
小島はこの時の打牌を非常に悔やんでおり、「あんな経験は僕の麻雀人生でたった一度の事なんだ」と語ったという。