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無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

麻雀回顧「古川凱章」(2)

ノンセクション 酒とバカラの日々 麻雀回顧

宝塚記念

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 意外と付かなかったねえ。1800円のプラス。相変わらずショボい競馬だ。

 んま、ドゥラメンテキタサンブラックが固かったからな。でもワタクシは、マリアライトラブリーデイが見逃せまいと思っていたのだ。

 7-9-16も買ったとばかり思っていたら、よく見ると買い漏らしていた。もしキタサンがラブリーデイに負けてたら、かなり悔しい思いをしていたろう。危なかった。

 7-9-16だったら4万円以上だったのか。あぶねー。

 

麻雀回顧「古川凱章」(2)

 もし古川凱章なかりせば、現在の形での麻雀界が有ったかどうか、結構怪しいのではないかと思う。

 草創期の麻雀マスコミは、阿佐田哲也小島武夫、古川凱章を中心とした麻雀新選組と、福地泡介畑正憲矢崎泰久といった有名人雀豪が誌面の華だった。

 その上で、日本麻雀連盟、日本牌棋院、日本麻雀道連盟、全国麻雀段位審査会といった麻雀団体が様々な形で関わっていた。

 これら麻雀団体の構成者はほとんどが正業を持った者であり、それが故に小島や古川を「麻雀プロ」、麻雀団体の人間を「アマチュア」として扱うのが通常だった。有名人雀豪も、勿論「アマ」だ。

 

 しかし、麻雀のように非常に狭い世界の慣わしは奇々怪々で、或る時突然、主催者の意向で呼称が「プロ」になってしまっていた。

 分けても、「プロ」だけが参加すると標榜した最高位戦であったから、それに参加していた者は、団体構成者であっても、皆「プロ」と呼ばれていた。

 そういう麻雀団体は、本来「アマチュア」としての活動なのであるから、突き詰めて考えたら、かなりの矛盾だった。尤も、たかが麻雀、たかが麻雀界であったから、突き詰めて考える者など殆どいなかったろう。

 そう考えると、最高位戦というものが、初の「プロ」の境界線だったのだ。

 とは言っても、ただの呼称の問題であって、対局料で生活を賄うとかそういう次元の話ではない。

 

 そんな最高位戦が出来る前の本当に草創期は、「プロ」と呼ばれたのは小島、古川、それに近代麻雀認定プロとされた田村光昭、青柳賢治、三輪洋平ら、本当にごくごく一部の人間だけだった。

 但し、小島・古川が両輪で、その頃は他の人間はペーペーである。誌上プロは、小島・古川の独占事業だったと言って良い。

 特に小島は、11PMで自分がマスコミ麻雀を開花させたという強烈な自負が有った。麻雀放浪記阿佐田哲也とマスコミを盛り上げたのも彼で、古川ですら彼が発掘したのだから余計だったろう。

 従って、簡単に半端な人間に美味しい所を持って行かれたくないという思いが強かったようだ。

 

 一方の古川は、若手を集め始める。一緒にやりませんかと。それが「年間順位戦」という集まりだった。

 これに小島は不快感を抱いた。古川の分派活動だと。

 阿佐田哲也も危惧を抱いた。若い人の行く道を誤らせてしまうのではないかと。この危惧はかなり強烈に持っていたようで、結構厳しい文章で、古川凱章は傷を負うと指摘した。

 返す古川は、「仮に失敗したとしても実験ですから」と恬としていたらしい。仮に麻雀マスコミで人生を失敗する若者がいても、それは実験の結果だと。

 古川のこの言に、当時の近代麻雀編集長はかなり驚いたようだが。

 

 さて、古川の実験が成功だったか失敗だったかのワタクシの判断は置いておくが、彼がそのように、市井の若者が麻雀界と関わる道筋を付けた事は確かだろう。

 それは最高位戦にBリーグが出来た時に、より一層確かなものとなった。

 Bリーグ「プロ」の多くは、古川門下生だった。

 古川年間順位戦が何年も実績を重ねていくうちに、似たような活動を若手自身でやるようにもなっていき、若手「プロ」が激増した。勿論、呼称だけの「プロ」なのだが。

 現在の麻雀マスコミで活躍する「プロ」の多くは、そうした流れから出た人たち、またはそうした人たちが作った流れに乗った人たちと言える。

 

 古川が年間順位戦を行っていなかったら、これだけの多様な人材が麻雀マスコミと関わる形となっていなかった可能性は結構ある。

 但し、阿佐田哲也小島武夫が恐らく草創期に考えていたような、一部の人間による麻雀界の方が世間には受けていた可能性も有る。

 そこはもう、神のみぞ知る世界である。

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