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無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

長谷川豊炎上の帰結 そして今夜の生チャンネルは有るのか

芸能音楽 不理意投句

 おやおや……

 だから勿体ないって…。

 

 今回の件でワタクシが最も意外というか、驚いたのは、彼が仕事先にブログ内容の許可を得ていなかったという事だ。

 いつもなんでも計算ずくでやっているように吹聴していたから、まさかあれだけの内容をあの立場でありながら、周りに許可なく書いていたとは、本当に想像の埒外だった。

 だからこそ彼の炎上芸に敬意を表したつもりだったのだが、なんの事は無い、まだまだガキの性根が残っている人間に付き合ってしまっただけだった。

 長谷川豊という人間を、そこに於いて見抜けなかったのは、我が反省点である。

 

 炎上騒動後、彼の過去ブログも全部読んでみた。

長谷川豊 【公式ブログ】 長谷川豊のAMERICAN JOURNEY FINAL

 なんだか一千万だかのアクセスが有ったらしいが、たしかに言われて見ればあの当時、そんな騒動が有った気はする。

 だがワタクシは平成になってからどんどんテレビを見ていなくなっていたから、長谷川豊という名前も聞いたような気がするくらいだったし、その時の騒動はあまり気にしなかった。

 彼の活動や考え方などをブログで読む限り、非常に素晴らしいものを持っているように感じる。

 

 彼の最大のぬかりは、技術的には周りの了解を得ていなかった事。

 そして方策的には、ネットとリアルに確とした境界が有ると誤解してしまった点に有る。

 たしかに「日本死ね」ブログは国会で取り上げられるまでになった。

 だが、あれだって、もし匿名でなかったら、あの書き手はかなり実生活に支障を生じていたと思う。

 よく、名前を出さずに言うのは卑怯だという物言いが有るが、そんなのは思慮の浅い人間の格好付けに過ぎない。

 匿名でなければ絶対に開陳できない事というのは、それが良いか悪いかは置いておいて、人間社会には必ず存在する。

 悪い面ばかりではない。匿名の良い面も間違い無く存在する。

 

 では、なぜ一般人はネット上であのような言動を或る程度しているかと言えば、一般人には発言力が無いからである。

 だから様々な形で届く言葉を振り絞るし、ワタクシ個人も、その昔は2ちゃんという場で匿名であるからこその、かなり酷い書き込みも、その効果を計算して使っていた事は有る。

 しかし著名人がその名前を使いながら書く言葉に、このネット常識は通じない。

 何故ならば、著名人はそれだけで、或る程度の発言力を確保できているから。

 「小林よしのり」とか「長谷川豊」という、紙や電波媒体で育てて貰った名前を用いるだけで、一般人では有り得ないくらいの多大な関心を、最初から引き寄せる事が出来る。

 

 そして利点には、必ず代償が有る。

 その名前の故に、一般人や匿名の書き込みほど、奔放に書く事は許されない。

 もう少し正確に書くと、「許せない」と思う人間を多数作り出す可能性が、その名前の大きさと立場に比例して高くなる。

 ただでさえ力の有る者が、更に強大な力を振るおうとする時、そこに嫌悪感を抱く者が増えるのは、ワタクシは自然な感情だと思う。

 そして、「ネット民」などという特別な人間などいない。

 みんな、すぐ隣にいる人たちなのである。だから、

 

 長谷川豊って言い過ぎたよね。

 でも、喋りは上手いよね。

 だから、仕事まで無くなっちゃったのはちょっとカワイソくない?

 応援したくなっちゃったよ。

 

 という人間だって、これから出てくるよ。

 そこまでが炎上芸という計算なら、これは物凄いが(笑)。

 とにかく、ワタクシは彼の芸は真底から認めているから、本当に勿体ないと思う。

 人間、何かを失っても貫くべき事は有るだろう。

 だけれど、どうしたって無料ブログなんかそんなわけないし(笑)。

 ワタクシはこれからも変わらず、「たまに」読み続けるから(笑)。

 

 取り敢えず、今日の生番組(無料)は有るのかな。

 あと1時間だが……

 さてさて、どんな顔して出てくるか。

 アンチも、応援者も、これは見ないと損だ。

 ネット生番組史上、最も旬で生ならではの番組を期待している。

 ワタクシも、いつもは見忘れたりするけれど、今日は絶対に見るし、いつも通り軽いコメントも入れるから。

 

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また皇統弥栄でない連中が今度の朝生に出演

社会 不理意投句

 今度の金曜深夜、土曜早朝1時25分から、先月に続けて『朝まで生テレビ!』が皇室問題を扱う。

パネリスト:

平沢勝栄自民党衆議院議員
大塚耕平民進党参議院議員
青木理(ジャーナリスト)
小林よしのり(漫画家)
杉田水脈(前衆議院議員
高森明勅神道学者)
竹田恒泰(作家、明治天皇玄孫)
萩谷麻衣子(弁護士)
三浦瑠麗(国際政治学者)
八木秀次麗澤大学教授)

 

 実質的には、小林よしのり高森明勅という女系派と、竹田恒泰八木秀次という男系派の対決という構図である。

 ワタクシに言わせれば、どちらも皇統弥栄が最優先ではない、私心を投影した言説の連中であるが。

 勿論、それぞれの視点から見ればもっともな言い分も有るのであり、だからこそ先の勅語でも、「摂政」は明確に否定なされた今上陛下にして皇統問題にはまったく触れられなかったのであろう。

 

 本来であれば、有史かるく二千年そこらの「皇統」という、現に確たるものがおはすわけだから、女系派なんぞ蹴散らすのは簡単至極なのだが、これが現今の男系派と言うべき連中に、人材がいない。

 今回はとうとう、八木秀次が出て来てしまった。今やお笑い種となっているY染色体論を、まさか朝生で披瀝しないよな。

 こなた竹田恒泰も、論理展開が脆弱だ。

 なぜ所謂男系派が力を持つ言説を披瀝できないかと言えば、歴代天皇の思いに至っていないからであろう。

 特に、物質的に捉える八木秀次には、そんな事は想像も出来ないし、意味の無い事なのに違いない。その辺は女系派と同じなのだ。

 

 竹田恒泰は、旧宮家の当事者でもあり、本来であれば直接議論に加わるのは不適格なのだが、狡猾な小林よしのりの挑発に乗ってしまったのか、はたまた自意識の成せる業なのか、またご出演とか。

 八木・竹田組と小林・高森組の最大の差は、女性受けするかしないかだ(爆)。だから小林はそういう人選を促している。

 これはもう、圧倒的に小林・高森は女性に好感を持たれる。

 そして論旨が、女性天皇を認めよなのだ。

 どうしたって、八木・竹田組では荷が重い相手だ。

 と言うか、特に八木は出さないように男系派でなんとかしないと駄目じゃないか!(苦笑)

 

 女系天皇とはどういう存在なのか、そして、これまで何故忌避されてきたのか、歴史的にどういう事が有って、その時のご皇族はどのように考え、振る舞われてきたのか。

 そういう事をきちんと説明しないと、なぜ女系を認めないのかが一般人には理解できないじゃないか。

 歯痒いね。

 実際に営まれてきた人々の思いを女系派に無碍に踏みにじられているのに、誰もそれを指弾できないのだから。

 今回も、あまり期待はしないで見る。伝統芸能として。

 と言うか不安だ。 八木……。やらかすなよ(苦笑)。

 それにしても三浦瑠麗はいらないな。よく臆面も無く皇統問題で出てこられるな。

昭和唱和ショー「アーノルド・パーマー」

スポーツ 昭和唱和ショー

 アーノルド・パーマーの訃報を聞いて、あの傘のマークが先ず浮かんだ人は多かったろう。

 ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤーらと「ビッグ3」と呼ばれる一時代をプロゴルフ界で築いたが、当時はまだ日本でのゴルフは完全に富裕層だけの遊びで、その頃のパーマーのゴルフを見ていた人は、かなり限られていると思う。

 

 だが、昭和40年代後半に、日本でも小学生すら名前を知っている存在となってしまう。それは、昭和47年、レナウンによって例の傘マークが大々的に宣伝されたからだ。

 レナウンということは、日曜洋画劇場をご覧だった家の方は、特によくCMをご記憶なのではあるまいか。

 

 だが、傘ブランドはアメリカでは昭和36年からのものであり、実は日本でも、47年よりもっと早くお目見えしていたのだ。

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 日本で最初に扱ったのは東レだったのだろう。パーマーが出た東レのCMをご記憶の方もいるようだ。

 この時は、ゴルフウェアだけだったのかもしれない。

 

 TBSラジオで森本毅郎が朝やっている番組で、昨日だか、街行く人にパーマーブランドについてインタビューしていた。

 中で70代の女性が、ミニスカート履いていたとか言っていたが、レナウンが始めてからはそのような商品も加わっていたのだろうか。

 ワタクシの記憶では、なんと言っても靴下だ。レナウンが始めてすぐの頃になるが、傘マークの靴下を履いていたら、「アーノルド・パーマーだ」と同級生に指摘された。

 全然知らなかったが、「まあな」という顔をして話を合わせていたのだが、まあまあ良い品だという評価で、ちょっと鼻が高かったものだ。

 

 思えば、あの頃から我が家の経済状態も少し上向いていたのだろう。それほど高い物ではなかったと思うが、一応はブランド物であるから、安物でもなかったはずだし。

 レナウンが扱ってからは、とにかく親しみ易さが最前面に出ていた気がする。

 無茶苦茶な高価でもなく、我が家でも買えるくらいのブランドで、しかも絵柄が一寸可愛いから、母親もつい買ってしまったのだろう。

 当時から、女子、女性にも受け入れられやすかったのではないか。

 

 だからだろうか、ゴルフでは大きく突き放したニクラウスも、ブランド展開では、少なくとも日本では、パーマーにかなり負けていたと思う。

 ゴールデンベアは、ワタクシも買う気にならなかった。ましてゴルフをやらない層には、なかなか手を出しづらいブランドではなかったか。

 おじさん向けという先入観もついてしまった。

 

 一方のパーマーは、先のラジオで知ったが、知らぬ間にリブランディングしたとかで、今やむしろ若い女性に愛されるブランドとなっているという。

 そして、家族向けブランドともなっているのである。

 プロゴルフ由来のブランドが、こうも長く、広く、しかも異国の地で愛されるなんて、なかなか稀有な例であろう。

*1:昭和40年3月17日付読売新聞

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【喧嘩稼業仕合予想】 佐川睦夫 対 関修一郎 を予想する

ノンセクション 漫画投句

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 よーやっと来週には喧嘩稼業を読めるのだが。木多がサボってなければ。

 まだ次号案内が公式に出てないからなあ。

 

 この睦夫と関の仕合くらい予想の出来ないものは無い。

 他の組合せは、一応は遊びで考える事は出来ても、この仕合はどのように作者の中で設定されているのか、今一つ掴めないからだ。

 突き詰めて言えば、睦夫がどう闘うのか見当が付かない。

 

 普通に考えたら、関の瞬殺で終わるはず。

 いくら睦夫が佐川雅夫から投げも教わり、川上を投げ飛ばせるくらいに柔道も熟達していたとしても、関には問題にならないはず。

 睦夫が関を苦しめるためには、どうしても打撃を主体にするしかない。

 だが、半端な打撃など関に取られて、技を掛けられてしまうだろう。

 

 軍隊格闘というものをどう描写するのか、そして睦夫という人間をどのように闘わせるのか、なかなかに興味深い一戦ではあるが、だからこそ、徳夫対十兵衛のような、消化しきれない戦いとなる可能性も捨てきれない。

 いずれにせよワタクシは、関が楽勝にせよ紙一重にせよ、勝ち残るとみている。

 「命をかけて闘います」と言った関が、その言葉通りにここで覚醒し、阿修羅か仁王のように立ち上がるだろう。

 

 二回戦で、関が合気の芝原を投げ飛ばせるかが観衆の興味となる。

 柔道対合気道の描写が実現したら、これは漫画史上かなり特異な描写となるが、やはり難しいだろうか。

 敗退した睦夫は、このままでは透明な人のままである事になってしまうため、彼の考える真の徳夫である十兵衛を倒しに行く。

 それが、彼の「父さん」を取り戻す事になるからだ。そして深層での、弟の仇討ちにもなっている。

 これをきちんと描写できれば、睦夫という人物をここまで描いてきた設定を活かしきる事になるが、木多がそこまでやるか、そもそもそこまで考えているかは、闇の中だ。

 

 とにかく、入江文学を愛する者たちの嘆きの時が刻々と迫っている。

長谷川豊さんに対しての弁護?に返信します

ノンセクション 当ブログについて

 珍しく、設置したWebメールからご意見を戴きました。

【お名前 (Webネーム可)】
 一つの意見
【メールアドレス】
 
【送信内容】
 マスコミが繰り出す錯覚に対する防護措置の一環として捉えても良いと思う。

 

 設置してあるフォームメールは余所との使い回しで(爆)、どこのブログのどの記事宛なのかわからないんですね。これが、もっと何年後とかだったら、冗談抜きで何が言いたいのか想像が付かなかったと思います。

 ですが、この時期でこの内容、きっと長谷川豊さんに対する弁護?の言葉なのだろうと思います。小林よしのりさんは、マスコミの繰り出す錯覚への防護になるような事は、まだ描いていないですからね。

 それと、こんなWebの底辺の底ですから、恐らくワタクシが以前から現今のマスコミを叩いている事もご存知の方なのでしょう、きっと。

 

 誰にでもわかりやすいように書きますとね、ワタクシは、長谷川豊さんの喋りを芸として尊敬してますよ。アナウンサーとしてどうこう言うより、話芸の域に達してますね。

 古舘伊知郎氏と方向性はまったく違いますが、こと芸を感じたアナウンサーという括りでは、ワタクシの中では古館氏以来の感覚です。

 

 だから、非常に勿体ないと思うんですね。

 インターネット上で、無料で、彼の芸を消耗させてしまうのって、物凄い損失だと思うんですよ。

 これは小林よしのりさんにも感じる事なんですがね。彼の場合は漫画ですが。

 

 だから、ネット上での活動をするにしても、もう少しご自身が消耗されない方法を編み出すべきなのではないかという気がします。

 炎上芸なんて、芸が無い人間が、取っ掛かりとしてやるものですよ。タモリさんとかビートたけしさんとか有吉さんなんか典型ですけど。

 こんなこと書いてたら俺が炎上しちまうな(苦笑)。

 

 そういう訳で、彼の炎上芸はまったく認める気は有りませんが、タレントとしては観ていて面白いので、ちょくちょく公式生チャンネルも観てます。

 さすが喋りのプロだけに、あれは一味違うと思うし、Web生チャンネルに新風を入れる可能性すら感じているのです、実は。

 だから、彼の炎上芸に乗じて生チャンネルの宣伝したでしょ、さりげなく(笑)。

 

 ワタクシは物凄い合理主義な面も持っていて、言っても絶対に通じそうもない存在は、歯牙にも掛けません。また、なんの興味も無い人に相当な時間を掛けて、記事なんて絶対に書きません(笑)。

 長谷川さんも小林さんも、道理は認める事が出来る人だと思うし、どちらでも本人次第の事は、周りに惑わされず自分が信じる事を出来る人だとワタクシは思います。

 

 ただ、長谷川さんが「メディアリテラシー」どうこう言っているのは、正直、胡散臭く思っています。

 そう言いながら、実は自分が偏向させた情報を流しているのではないかという疑念の目を持っています。

 その辺に関しては前々から書こうかなと思っていたのですが、彼にもう少し影響力が出て来たら考えます(笑)。

 

 形式としては、やたらと自分に反論する人をバカ扱いし、一も二も無く「自分のブログを読んでいる人はわかっている」「誰でもわかっていること」と連呼。

 一種の洗脳効果ありますね、あれ。

  「メディアリテラシー」を謳う長谷川さんに対しても、常に疑問の目をどこかに忘れず持ち続けながら見る必要性は忘れないようにしたいと思うんですよ。Webメディアリテラシーも意識したいとね。

 

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挿しす世相史「中央競馬の幕開け」

スポーツ 挿しす世相史

 昭和29年9月25日(土)、中央競馬の初レースが開催されました。

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 戦後の一時、国営競馬となっていたものが、中央競馬地方競馬の二つに分かれ、民営移管を画されたものです。

 施設などの出費は結局政府出資となったため、「民営」の方は当初の目論見からはやや遠いものとなったのでした。

 

 初日(東京)の結果は、次のようなものでした。予想と比べてみるのも一興でしょう。

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*1:昭和29年9月25日付読売新聞

*2:昭和29年9月25日付読売新聞夕刊

長谷川豊炎上問題に絡めて我が身の回りを語ってみる

社会 恥恥放談
所詮はガキに過ぎなかったのか長谷川豊

 なんと、ワタクシにとっては驚愕の展開となった。

 エッ!となってしまった。

 念の為、長谷川豊の年齢を調べてみた。

 41。

 

 おいおい。四十にして惑わずで不惑だぜ。

 四十過ぎた中年があんな事を書いて、あげくの釈明文がこれですか。

 ワタクシは、彼は「紙一重」なのだと思っていたが、単に「ガキ」なのだな。

 所詮は小林よしのりと同類だったのだ。

 勝手に不特定多数に喧嘩を売るような文言を使っておいて、不特定多数に喧嘩を買われたら、今度はその不特定多数が理解力が無いと言い出す。

 でも、小林は、その「ガキ」である要素で魅せてきたのだから、元の世界に戻れればまだ救いは有る。

 

 あのね。不特定多数には、圧倒的多数の「理解力の無い人々」がいるのです。

 それ自体は悪い事ではなくて、そういう人々もきちんと社会を構成している人が多い。

 うちの両親もそうだが、難しい事なんか何もわからないが、きちんと何十年も勤め上げて、社会に資している。そういう人間が殆どなのだ。

  「死ね」とか「殺せ」とかは、確かに理解力の無い人にまでも届く言葉でしょう。

  だけれども、理解力の無い人にそうした言葉が届いたら、いい反応、理想的な反応をするはずがないでしょうが。

 

 事をネット炎上に限って書けば、あまりに酷い事を書いた人間には実生活でも制裁しようと考える人間は出て来ますし、前例もいっぱい有ります。

 ワタクシはそんなものは絶対に認めない立場だけれども、現実、そういう連中はいるわけです。

 そして彼らだって、きちんとした文章は認めたりしますし、喧嘩を売っていない文章にまで噛み付く事も、あまり有りません。

 むしろ、おかしな言い分で噛み付く奴が逆炎上する場合だって多いのです。

 

 べつにネットに限らず、現実世界だって、誰がヤクザかわかったものではありません。

 だから正常な人は、相手がどんなに大人しそうな人間でも、どんなに馬鹿に見える人間でも、決してナメた態度は取らないものです。少なくとも、目に見えるようには。

 それを不特定多数を相手にナメた言動したら、どんな帰結が待っているかは、誰にも想像など出来ない事なのです。

 小林よしのり一派もこの辺の想像力があまりに甘くて情けなくなりますが、彼らはきっと、オウムと闘った誇りが、今は慢心となってしまっているのでしょう。

 きっとワタクシのこの言葉も、慢心した連中には届かないと思います。

 自分は大丈夫でも、影響が及ぶのが自分だけとは限らないのですよ。

 

 長谷川豊はその辺の想像力が全く無かった。ただの愚か者だった。

 ワタクシは、彼が或る程度は覚悟して傾いているのかと思って敬意を表したりしたが、やはり、ただのお利口さんで、世の中にどんな悪意が潜んでいるかも知らないお坊ちゃまに過ぎなかったのだ。

 みんな、「ガキ」を苛めちゃいけないよ。

 とも思うが、当の長谷川自身がこの後に及んでああいう態度だから、まあ、まだ火種は燻り続けるだろうね。

 一番理解力が無いのは、実は長谷川自身なんだね。

 

ワタクシの知る男

  本当は、今日は長谷川豊が述べたかった本当の論旨に反論を書こうと思っていたのだが、最初から、炎上目的の文章にあまり乗り気でなかったところへ、当の長谷川が戦闘意欲を無くして矛を収めようとしてしまった以上、結構な時間を使ってそんな事をする意義も減ってしまった。

 だから、自分の身の回りの実例を挙げて、彼の論旨に少しだけ異を唱えるだけにしておこうと思う。

 かなり私的で卑近な話となるので、ほとんどの人は読む必要の無い話だ。なんて言ったら、そもそも最初からだが。

 

 ワタクシのかつての同僚で、四十代で透析となってしまった人間がいる。

 お定まりのブクブク体型で、正に長谷川が叩いている、典型的な人物像と言って良いだろう。

 彼は元々が飲食店勤務で、そのためか、或いは趣味嗜好で職を決めたのか、食い道楽だった。

 ワタクシが入社した頃、彼は仕出し弁当にまったく手を付けず、店屋物ばかり食べていた。ずいぶん金を持っているなと驚いたが、ワタクシは、その頃は食には無頓着で、会社の弁当を不満一つ無く食べていた。

 だが、その男は現場では結構な発言力を持っており、弁当を替えようと言い出した。ワタクシは今のままでもいいと思っていたが、入社したてだし、とても異など唱えられるものではない。

 ま、実際、年寄り臭いおかずばかりで、ワタクシも食べられる部分は少なかった。

 

 新しく取った弁当屋の弁当には、だから、目からウロコが落ちた。

 こんなに美味い弁当が有るんだーと感激した。寸胴の味噌汁まで付けてくれていた。もう、ずっとこの弁当でいいよと思った。

 だが日が経つと、弁当屋の歓待期間も終わり(笑)、普通の弁当になっていった。でもワタクシは、前の弁当に比べてもはるかに美味かったから、まったく不満は無かった。

 だが、件の男がまた文句をつけだした。

 寸胴鍋の味噌汁まで付けてくれる弁当屋なんて、世の中にどれだけ有るのだろう。

 彼は、それでも不味いと文句を言い、また弁当屋を替えた。

 

 とにかく食には異常に五月蠅い男だった。

 だが、それも元々が食の専門家だったのだから、仕方の無い、と言うか、当然の部分が有るのだ。

 次々と弁当を替えては弁当屋に文句を言い放つその男が、ワタクシには不遜に映ったし、付き合いで満足している弁当を替えられてしまう事に辟易もしていたし、弁当屋の営業に正面から「不味かった」と言い放つ彼が堪らなく嫌だったが、彼の来し方を思えば仕方ない事なのだと思うようにしていた。

 

 私生活でも、やたら昨日は何々を食べたとか言っていた彼は、一目で周りの関心を引くくらいの太鼓腹だった。

 そして彼は、ワタクシに対して辛く当たる部分が非常に多かった。

 この辺は、きちんと描写しようとすれば自伝になってしまい(笑)、とてもブログの一記事では書き切れないのでかなり端折るが、仕事に関してだけでも、彼はかなりの部分をワタクシにやらせようとしていた。

 実は彼は筋の世界とも繋がりが有り、ワタクシは必ずしもそれにビビっていたわけでもないが、ワタクシ自身がそれまでの人生をかなり不真面目に過ごし、きちんとした人々に多大な迷惑をかけていたのを反省しての底辺労働選択だったから、これも罰なのだと甘んじて受け入れるようにしていた。

 

その男がなぜ堕ちたか

 ワタクシが底辺労働を選択した直接の切っ掛けは、NHK総合だったか教育だったか、底辺労働に体験入社した若者と、そこの社員たちとの触れ合いを描いたドキュメントを見て、涙して、これまでの人生をやり直すにはこういう所から始めるしか無いと思ったというのが有る。

 ワタクシも若く、まだ無防備に甘かった。

 底辺こそが、人間の最も底辺なのだ。

 そこにいた人間は、決して美しくもなんともない、むしろ正反対の世界である。

 彼のそれまでしていた仕事の大部分をワタクシに回され、ワタクシは精神には自信が有ったが、肉体はヘロヘロだったので、先ず肉体的に極限となった。

 

 金もむしられだした。

 反抗しようと思えば出来たが、敢えてしなかった。

 第一には、当時のワタクシは人間的に実際に最低の奴で、その男にも不快な思いを多大にさせた自覚が有った。

 第二に、そういうそれまでの自分への罰を自分で科した。

 そして、これが恐ろしい事なのだが、その男にも思い知らせてやろうと思ったのだ。

 

 ワタクシが彼の分まで仕事をする。底辺だから、完全無欠の肉体労働である。

 正直、かなり大変だったし、ワタクシは今もその時の後遺症で、原因不明の体調不良を抱えている。

 それでも文句一つ言わず黙ってこなし、会社を辞めるという選択肢も採らなかったのは、明言化する事の出来ぬ自信が有ったからだ。

 こんな事をしている奴には、いずれ報いが来るのだという。

 それは、ワタクシ自身も受けたものだったから。

 

 そんな生活は、二十年ほど続いた。

 こうして言葉にすれば一言だが、二十年間、そのような生活というのは、まあ普通の人間には絶対に出来ない。

 ワタクシのように精神が頑丈で、かなり自分自身に負い目が有って、それを浄化しようと懸命に足掻いている人間か、それこそ神か仏のような人間でなければ。

 演歌歌手がよく苦労苦労と言っていたけれど、たかだか十年も辛抱すれば誰かが救ってくれる苦労だった。歌謡曲全盛のあの頃は。それも、成功すれば巨万の富と地位を得られる世界での話だ。

 こちとら、いつ終わるかとも知れぬ日々で、しかも所詮は底辺労働の職場での話で、ワタクシのような生来能天気の人間でなければ、発狂するのが普通だと思うような環境だった。

 

 でも耐えられたのは、ワタクシ自身がそれまでロクでも無い人間だったのを精算したかったのと、その男には、堪らない美点も数多く有ったからだ。

 ワタクシには真似の出来ない、素晴らしい美点が彼には沢山あって、そうしたところにもワタクシは籠絡されていた。

 決して聖人君子ではないが、無上の善人だった。

 あの明るさ、場を作る上手さ。誰人にでも有る美点ではない。

 無上の善人である彼には、ロクでもなかった頃の名残が色濃かった当時のワタクシが癪に障るのだという事も理解は出来ていた。

 

 そうして理解できてはいても、大変な日々だった。

 だが、変換点は知らぬうちに着々と来ていた。

 その男が、目に変調を訴え始めたのだ。

 ワタクシにはなんの知識も無かったから、ただ狼狽えた。

 後から得た知見を元に端折って言えば、その男は美食による栄養過多でだろうが、目の毛細血管をやられてしまった。結局、片目を失明した。

 

 肉体労働の過半を宛がわれ(実は金銭的な面でも多大なるものが有ったが割愛)、ワタクシ自身も体調を少なからず変調させられながら、「見てろよ。いま俺がこうやっている事が、いずれ形になるから」と思っていたワタクシは、彼が「いずれ失明するかも」とワタクシに打ちあけた時、どう思ったか。

 溜飲が下がったか。そういう人もいるだろう。

 この世に神様はいると思ったか。そういう人もいるだろう。

 ワタクシもきっと、彼がかつてのワタクシのように真底ロクでもない人間だったら、そのように感じて、めでたしめでたしだったに違いない。

 

 だが、先にも言ったように、彼には美点が非常に多かった。あまりに多かった。

 ワタクシは涙した。

 彼を哀れんでではない。

 彼を呪ってしまった自分自身の思いを激烈に後悔して。

  

 不幸中の幸いというか、彼は片目の失明だけで済んだ。

 それでも彼は、働きたがった。なんとか勤められるように社長と間を取り持ってくれと言ってきた。

 ワタクシもお人好しだし、色々と面倒なのも嫌なので、ご希望通りにした。

 だが、とうとう彼は透析を受ける身となってしまい、復職は決して叶わぬ身となった。

 正直、その点に関してはワタクシはホッとした。

 

人の真価は人生の最底辺でこそ問われる

 なにしろ二十年にわたる人間関係だから、とても一つのブログ記事で書き切れるものではない。

 だから煎じ詰めて書いておきたい事は、彼は非常に美点が多く、大多数の人間から愛される部分も多かった事。

 それでもワタクシがその様な関係になってしまったのは、そもそもワタクシがロクでもない生き方をしていた碌でもない人間だったという事。

 ここいらは今後、機会が有ったらおいおい書くことも有るかもしれないが、基本的には読む人がけったくそ悪くなるだけの碌でもない生き方をしていたので、永久に書かないかもしれない。

 とにかく、彼がワタクシに碌でもない行動を執ったのは、ワタクシ自身が当初は碌でもない人間だったからだというのは、彼のためにも、ワタクシのためにも、書いておかないとならない。

 彼も他の多数の人間とは、濃密に良好な関係を築いていたのだ。

 筋がかった人間というのは、そういうものなのだ。

 

 そんな彼には子供が三人いた。みんな可愛い子だった。

 当然、綺麗で気の利いた奥さんも居た。

 片目を失った彼が、それでも働きたがったのは、もう働き始めていた長男や次男、奥さんたちだけに苦労はさせられないという思いだった。

 そして何より、自分自身の誇りだった。

 「俺もまだ、こんなことで終わりたくないんだよ」と何度も言っていた。

 

 だが、透析の身となってしまえば、もう復職は物理的に不可能である。

 人工透析というのは、患者にとっては、長谷川豊が言うような利権では決してない。

 聞いただけで気の遠くなるような、この世の地獄とも思えるような責め苦が半永久的に続く。とワタクシには思える。

 だから彼に「大変ですね」と言うと、サバサバと、「でも、これが俺の仕事と思えばな。寝てれば終わるんだから楽だろ」と言ってのけた。

 その時ワタクシは、真底まいったと思った。自分ならきっと絶望していただろうに、こう言えてしまうその男を、その部分に於いて真底尊敬した。

 

長谷川豊への助言

 ま、正直、ワタクシには長谷川という人間はわからない。

 わからないのにこんな小題をつけてしまうというのがワタクシの浅さという事にしておこう。

 これまで長々と書いてきたが、書き始める前は、ここまで長くする気は更々無かった。

 ワタクシは土曜も出勤だから、午前3時になってもまだ書き終わらないこの事態に途方に暮れている(笑)。

 しかし、一人の人間の人生をいうものを書こうと思ったら、最低限の低で済ませようと思っても、どうしてもこのくらいは書かないと気が済まない。

 ワタクシも高慢な人間だが、どれほど高慢であろうとも、他人の人生には高慢でありきれない。

 それが出来てしまうなんて、「私は人生四十年以上すごしてきても、いまだにガキと同じくらいのバカなんですよ~」と世界中に公言するようなものだから。

 とても恥ずかしくて、まともな大人なら出来ないはずなのだ。

 

 件の彼は、たしかに何も考えずに美食に耽り、運動もせず、きつい仕事すら後輩に回して、その結果として透析の身となった。

 彼が職場からいなくなった後、「罰が当たった」と言った人が複数いた時、みんなそういう風に観ていたのかと意外にも思った。

 人はワタクシより冷徹で、彼の美点を今でも称える人は、ワタクシの職場ではそう多くはない。

 だが、そんな彼も、紛う方無く人の親なのだ。

 美点もワタクシより多く持った、或る意味どこにでもいそうな、ごくごく普通の人の親なのである。

 

 子供がいる前で、「お前の親は自業自得でそうなったのだから死ぬ事が世の中のためになるのだ」と言えるか。

 或いは、極限状況ではそう言わねばならぬ時も有るかもしれない。

 だが、今の日本がそこまでの極限状況だと捉える人間は、これは躊躇無く断言するが、「気違い」である。

 他の大多数の人間に悪影響が顕著な形で及ぶ前に、自身で(もしかしたら)と考えられるうちに、心療内科なりに相談なさるべきである。

 そのくらいに異常な事を、長谷川豊は書いていたのだ。

 

 インターネットは、子供も若者も見ているのだ。そういう人間に少しでも胸を張れる仕事を増やす努力をすべき立場なのではないか、40も過ぎているのなら。

 炎上狙いも、ワタクシは完全否定はしない。

 むしろ、その役割に徹せられるなら、やり方と論旨によっては惚れてしまうだろう。

 SPA連載時の小林よしのりには、そういう魅力が有った。彼も若かったというのも有るのだろうが。

 けっこう前から気になっているのだが、そもそも長谷川は、日本の財政状況を過分に問題にしていて、殊更にがなり立てる。

 まるで財務省の代理人としか思えないが、論点はけっこう多いので、その事はおいおいとやっていく事としよう。

 

 長谷川豊への助言としては、肩の力を抜けよと。

 万万が一、仮に日本が破産したとして、たかが金の問題じゃないか。

 (ワタクシを含む)年寄りはその時、本当に地獄を見るが、あんたが心配しているらしい若者には、むしろそういう時こそが好機じゃないか。

 世界の歴史を見て、国家破産で若者が絶滅した事例が有るかい?

 あまり無用の絶望を大衆に押しつけて、作る必要の無い軋轢を作るものではないよ、あなたが何某かの工作員でないのなら。という事だ。

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