無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

漫画投句「夕やけ番長」(梶原一騎・荘司としお)

さらば「稼業」無きヤングマガジン

 例によって今週は休載で、しかもカイジも無かったから、読む気になったのはファブルとロボニート、ハレ婚くらい。

 あと、どうでもいいけど勿体ないから一応は目を通せるのは、彼岸島、中二、でぶせん、監獄学園あたりまでか。GTOは今回ひどすぎだし、渡辺潤は完全に自分の持ち味を見失ってしまっている。

 さすがに、完璧に限界である。

 ヤンマガが無くなったら喧嘩稼業も読めなくなると思い、こんな惨状でも我慢して買ってきたが、いくらなんでも読む気にならないものが多過ぎる。ヲタクに迎合したって売り上げなんか知れているのに、本体まで蝕ませてしまって愚かとしか言い様が無い。

 それとも本誌に握手券でも付けるか?

 どちらにしても、喧嘩稼業が載らない時には、もう買うのをやめる。

 ゴリラーマンが始まる前からだから、それなりに長い読者だった。

 多分、BE-BOPが好きで買っていたと思うが、それすらよく覚えていない。

 そのうちにゴリラーマン、代紋TAKE2と始まると、三大暴力ものが揃った超強力布陣となり、毎週が楽しみになった。この3つはただの暴力ものではなく、きちんとした作家性を持っていた。特に前二者は本当に傑出した才能が有ったと思う。

 更に、湾岸ミッドナイト頭文字Dという二大カーバトル漫画も並んでいたのだから、殆ど無敵だった。

 BE-BOPは抜けたが、暴力とカーバトルというヤンマガ得意の二大路線を総取りするというやり方で、ナニワトモアレが出て来た。

 後継の「なにわ友あれ」が終了した辺りで、ヤンマガも先は確かに見えていた。だが、想像をはるかに超えて劣化が酷い。

 

 これは断じて、作家が悪いのでは無い。

 何故ならば、たまにヤンマガに掲載される新人漫画賞の受賞作は、大体に於いて非常に優れた作品であると、ワタクシも感じるからだ。

 そのような優れた作家性を持つ者たちに、編集部が自由に任せられない。

 一定数売れる事が見込めるような、可愛げな女の子が意味も無く出て来たり、意味も無くパイオツカーデーで意味も無くさらけ出し、意味も無くパンチラする糞エロ漫画か、意味も無く人を殺戮しまくり、意味も無く残忍な描写を連続する糞グロ漫画ばかり描かせる。

 言っておくが、エロやグロが一概に悪いとは言わない。だが、前出の名作群と明らかに方向性が違いすぎる。

 ま、それでも売れないよりは売れた方が救いは有るのだから、売れれば良いのですがね。ワタクシはもう、この年になったら時間も貴重ですし、愚にもつかない創作物と関わりたくない。そうなると金まで無駄になってくる。てなわけで、とうとう卒業です。

 長いあいだ楽しませてもらった。今後も稼業が載っている時は買うし、稼業の単行本は買うけれど、それが無くなった時が本当のお別れであろう。

 

前回の喧嘩稼業

 前回の喧嘩稼業で睦夫の涙の意味が解らない人が結構いたようなので、その辺を解説してみたい。

 と言ってもワタクシは木多でも編集者でも知り合いでもなくて、漫画を買っている偉い人であって、だから木多からそれは見当違いだと言われてしまえばそれまでの話だという内容なのだが。

 

 佐川睦夫は精神薄弱者ではなくて精神異常者として描かれている。

 彼は一見すると支離滅裂な言動をしているが、彼の中では彼なりの論理が構築されており、しかもそれは、彼の無意識(或いは意識)に依拠した世界なのである。

 例えば睦夫が菅野を「父さん」に選んだ事が最も解りやすい。

 菅野は子供時代に睦夫を苛めまくっており、睦夫はまったく無抵抗で、不満も見せなかったが、その記憶は残っていただろう。

 そして、いなくなった「父さん」をまた作らなければいけなくなったとき、菅野であれば屑のような人間であるからいいだろうという意識が働いているのだろう。

 地下室で菅野が開放を求めた時、そうなると殺さなければいけなくなると言ったり、暴言を吐く菅野に、世界はお前を中心に回っていないと言いながら乱打したりと、その扱いは「父さん」に対するものではなく、明らかに菅野本人に対する言動である。

 だが睦夫は、菅野を「父さん」と決めた。睦夫が決めた以上は、菅野は「父さん」なのだ。もし、その決めを崩された時には、「自分に父さんと思わせた者」「父さんである事を隠す者」として相対する。

 しかし、真実は菅野である事を理解できている。あくまでも彼の決めなのである。

 

 弟の徳夫に関しても同じ事が言える。

 自分よりも強く、父さんが自分を落として選んだという嫉妬。

 兄を兄とも思わぬ態度で、どこか見下している徳夫。

 だから十兵衛が自分を心配してくれているかの素振りで「お兄さん」と接してくれた時、この男が弟・徳夫だと彼は決めた。

 だが、強いと思っていた徳夫が十兵衛の前に滅多打ちに合い、涙を流したのを見て、睦夫の中に実の弟に対する感情が芽生えたのだ。

 

 恐らく、これからの彼の論理展開はこうだ。

 真底には弟に対する仇討ちのような感情が有る。

 それに肉付けされるのは、偽者の徳夫を負かした本物の強い徳夫=十兵衛こそが、父さんを自分から奪った憎き相手なのだと。

 積年の憎しみの炎が、十兵衛に向けられる。

 そしてその根底には、徳夫の仇討ちの思いも宿っている。

 

展開予想小説「小説 梶原柳剛流(2)」

 梶原が部屋に入ると、黙って佇む十兵衛の傍らに、白い布を顔に被せられた人物が横たわっていた。

 入江文学が死んだ事を即座に梶原は悟った。

 十兵衛は投げやりな一瞥を梶原に向け、すぐに視線を戻した。

 梶原は静かに横たわる文学に近づく。

 そして真横に位置するなり、心臓をめがけて痛打した。

「な、なにをするんですか!!」

 病院の関係者が大声を上げて静止しようとする。

 

 十兵衛がふっと微かに笑いながら口を開いた。

「心臓にショックを与えれば生き返るとでも思ったか。それとも自分の拳で地獄に送ってやるとでも言葉をかけたつもりか。随分とおセンチなんだな、梶原柳剛流も」

 梶原は胸の内を見透かされ、十兵衛の相変わらずの慧眼に心中で苦笑した。

「馬鹿を言え。俺に斃される前に負けてしまったあまりの不甲斐なさに怒りの鉄槌を加えたまでだ」

 「わざわざはるばるとマカオくんだりまで戻って来た暇人に、お見舞い返しを用意してあるぜ」

 十兵衛が懐から手紙のようなものをベッドの上に放った。

 果たし状と書いてあった。

 

「貴様が屍(かばね)を置いていったために文さんは死んだ。俺がどかしておけば、文さんは死なずに済んだかもしれない。今の俺ではお前にきっと勝てないだろう。だが、俺はお前を…」

 十兵衛は淡々と語り出した。そして、一拍の後、

「ぶっ殺さなければ気が済まないんだ!」と叫んだ。

 「お前が悪いのではない!解っている。俺が悪いのでもない! 文さんが悪いのでもない! 桜井が悪いのでもない! 解っている!」

 涙こそ見せていないが、十兵衛は啼いていた。そして、

「だが、俺はお前を許す事もできない。わかるだろう」と静かに言った。

 

 梶原は黙って果たし状を胸にしまうとドアへと向かった。

「承諾したという事だな」と十兵衛が確認するのに梶原は無言で頷くと、ドアを開いた。

「入江を荼毘に付して支度が出来たらいつでも言ってこい。どこへでも行ってやる。連絡先は沢に聞け」

「梶原!」

 部屋を出ようとする梶原に、十兵衛が声を掛けた。

「お前は屍でも馬鹿ねでもなんでも使っていいぞ。お前らしく出来る限り卑怯に来い。俺は正々堂々と戦うけどな」

 梶原が目線を寄越したのに応えて十兵衛は続けた。入江文学が策によって死に至った事が、十兵衛の中に何かを芽生えさせていた。

「モハメド・ラシュワンのように…って、あれは狙いに行って負けたのが本当か…。仮面ライダー…? 加齢臭漂うお前なら仮面ライダーなら判りやすいだろ。仮面ライダーのように正々堂々と戦ってやる。だから勝負はお前の怪我が癒える半年先だ」

 怒りを滾らせた目で十兵衛は睨みながら言った。

「楽しみにしているぞ」 梶原はドアの外へ出た。

 

 

「なんだか嬉しそうですね、梶原さん」

 部屋を出てから歩きながら、沢が尋ねた。

「何故だかわかるか、沢」

「はい。ですが、あんな梶原さんよりはるかに劣る小僧が挑戦してきたのが、それほど嬉しいのですか」

 梶原は胸から先程の果たし状を出して沢に渡した。

「富田流七代目…」

「そうだ。あの野郎、富田流の七代目として俺に果たし状を送りつけて来やがった」

 梶原は堪えられない笑顔を称えて沢に語った。

「わかるか、沢! 親父を殺した富田流が、今度は富田流が梶原に果たし状を寄越したんだぞ!」

 沢はようやく梶原の心中を理解した。

 梶原の胸には、富田流に真剣の果たし合いを申し込んで負け、命を奪われなかった屈辱に死を選んだ父親がいた。

 その富田流を継いだ男が、梶原柳剛流を継いだ自分に果たし合いを挑んできた。

 入江無一の息子は死んだが、富田流は生きていたのだ。

 この果たし合いで富田流の十兵衛を殺せたら、今度こそ父親の無念を晴らせる。梶原の心は躍った。

 

漫画回顧:喧嘩漫画の系譜(2)「夕やけ番長」 

夕やけ番長 1

夕やけ番長 1

 

  前回取り上げた『ハリスの旋風』により少年漫画での喧嘩漫画のタブーが除かれ、実生活で少年時代から喧嘩三昧だった梶原一騎が、本当の喧嘩ってなあこういうもんだとばかりに参入してきました。

 こちらの主人公・赤城忠治も、石田国松同様に背は小さく、しかしスポーツ万能で喧嘩無敵という存在。但し、夕焼けを見ると無性に寂しくなり、喧嘩をする気が萎えてしまうという心根も持ち合わせていました。

 『ハリスの旋風』は、喧嘩は付帯事項で、主として描かれていたのは運動での活躍。しかしこちらは、運動での活躍は殆ど描かれず、徹底的に喧嘩が主体で描かれていました。

 彼の最初の敵は、影の大番長。後に『愛と誠』でも使われた型ですが、どちらもその正体には共通性が有ります。

 

 誰もが怖れるが、容易にその正体が分からなかった影の大番長との決闘は、片腕ずつを縛り合っての逃げようのない喧嘩。

 空手の達人である大番長を相手に、喧嘩名人忠司の喧嘩殺法が冴えるのですが、それが石つぶてから噛み付きから、正真正銘の喧嘩殺法。

 石も噛み付きも『ハリスの旋風』で既に描かれてはいましたが、臨場感がまるで違い、こちらはより殺伐とした描写になっています。

 ハリスの旋風は喧嘩漫画の開祖と言えますが、こちらはより発展させた腕利きの二代目と言えるでしょう。後から思えば、梶原一騎の実生活での幾多の武勇伝を想起して、より凄みを感じます。

 しかし、喧嘩漫画第一号と第二号を描いて少年漫画にまた新たな表現を切り拓いた両者が、すぐに『あしたのジョー』で合作する事になるとは、本当に面白いものです。

 組合せを考えた方は、そういう事も要素に入っていたのでしょうか。とてもそうは思えず、偶然なのでしょうが、だからこそ不可思議です。