昭和唱和ショー「テープレコーダー」
Gさん(仮名)「テープレコーダーって、カセットのですか?」
ごいんきょ「いやいや。そちらもいつかやるだろうが、やはり先にカセット式ではない物だろう」
G「それって、持っている家は少なかったのでは?」
ご「それが、ウチには有ったんだよねえ」
G「あれ? あなたの家って富裕層でしたっけ?(苦笑)」
ご「浮遊層? ああ、明日をも知れぬ身って事ではそうだったかもな(笑)」
G「いやいや(苦笑)。決してお金持ちではなかったのに、何故そのような物が」
ご「だって、ウチが買ったのは昭和45年頃だもの。多分、カラーテレビを買って、すぐ後に買ったんだと思ったけど。親父がわりと新しもの好きだったんだな。その血は確実にわしの中に流れているが(苦笑)」
G「そうですねえ(笑)。昭和45年だって、決して安い物ではなかったでしょう」
ご「でも、目ン玉飛び出るような金額ではなかったはずだよ。だって、ステレオ一式の一つとして買ったんだから」
G「コンポーネントステレオ、アンプやチューナーを別々に買い揃えるステレオではなく、全てが一つに纏まっているシステムステレオですね」
ご「そう。その今で言うオプションの中に、テープレコーダーが有ったんだろうな。両端にスピーカーが有って、真ん中上部がレコードプレーヤー、真ん中中部がラジオね。そんでラジオの下に下側に開けられる引き戸が有って、本来は空洞。レコードラックだな。そこに収まる形でテープレコーダーが有ったね」
G「昭和45年というと、既に『スパイ大作戦』でテープレコーダーの姿が広く知られていますね」
ご「”このテープは自動的に消滅する”ってやつな。ウチは見てなかったから、その辺の感激は無かったけど(笑)。
ただ単純に、声を録音できる事を喜んでたね、親父は。自分の声とか、わしの声とかしきりに録音してたけど、自分の声が聞こえてくるのは恥ずかしかったな(苦笑)。
あと、九州の田舎から母親の父親、わしの母方の祖父だな、が出て来た時に、”船頭小唄”を歌い残してるわ。あれは貴重な肉声で、是非もう一度聞いてみたいんだけどね。もう機械は無いから、再生機会が無いな」
G「そういう肉親の声って、知っている人間しか興味無いですもんね」
ご「そうそう。恐らく母親の実家に送っても、誰も興味を示さないと思う。実家は母親の弟が継いだんだけど既に亡く、嫁さんの方の家みたくなっているみたいだし」
G「いつ頃できたものなんでしょうか」
ご「これが意外と新しくて、日本で初めて発売されたのは昭和24年の年末なのよ。出した会社は品川の東通工。わかるかい?」
G「小さな町工場ですか。あの辺はそういう町だったし」
ご「そうだな。その頃は正に、小さな町工場だったんだろう。そのうち、ブランドを作り出す。それが ♪ エス・オー・エヌ・ワイ、ソニーなのよ」
G「ああ、ソニーの前身会社ですか」
ご「そう。東京通信工業、略して東通工と言えば、ナリは小さいが技術力はピカイチと知られた存在になっていく。この数年後にソニーラジオを出して、”トランジスタラジオのセールスマン”として、”エコノミックアニマル日本”の象徴みたいになっていくんだがな。広告も小さいものよ」
G「日本も徐々に復興の芽が吹いてき始めた時期なんでしょうね」
ご「松下電器でナショナルの歌を作った時に、担当者がこの機械を引っ提げて松下幸之助に聞かせに行ったらしい。聞き終わった御大は歌には関心を示さずに、第一声、”その機械はどこのや?”と言ったらしい(笑)。勿論、東通工なんて知らない、そういう時代だよ」