無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「ストライキ」

Gさん(仮名)「今回は”国鉄”の巻だと、前回の最後で予告しましたが…」

ごいんきょ「”国鉄”だとだだっ広すぎるし、あくまでも解説したいのは、何故ストが無くなったかだからな。少し考えが変わったのよ」

 

G「昭和50年のスト権ストで、一般人の怒りを買ってしまったという所まででしたね」

ご「時は三木武夫内閣。自民党とは言え、かなりリベラル色の強い人で、半年くらい前に愛国党員から殴打された事件が有ったばかりで」

 

G「三木さんは社会党員からも慕われてましたもんね」

ご「そういうのがガリゴリの右側からしたら許せないんだろうな。時期的に、スト権ストの事も関係しているかもしれない。三木は条件付きとはいえスト権付与も考えていたらしいから」

 

G「でも、実際にストに突入してしまったら、三木さんも締めざるを得なかったんですよね」

ご「世論が反労組になってしまったし、幹事長は中曽根康弘だったから。中曽根は反共だからね。容共的と目されていた三木とは、政治姿勢そのものは遠かった。共に保守傍流の弱小派閥同士だから寄り合っていただけでね」

 

G「中曽根さんと言えば、他ならぬ三公社民営化をやった人じゃないですか」

ご「ああ。巡り合わせというか。中曽根としては、この時の経験も有って、国鉄労組に引導を渡さないといけないというのが有ったんだろうな。当時から三公社民営化の最大の目的は、国鉄労組の脱力化に有るとは言われていたよ」

 

G「国労動労なんて組合が、かなり左翼的色合い濃く活動していましたもんね」

ご「だもの。共産主義を絶対に容認できないアメリカ様を親分に仰ぐ反共闘士は、みんなこぞって三木内閣の弱腰を攻撃したわけよ(笑)。

  そして反共の中曽根が政権を執ると、それまで温められていた三公社の民営化が一気に動き出した。電電、専売はわりとすんなり行ったが、国鉄の民営化は市井の人間まで含めて、反対意見が最後まで頻出していたな。野坂昭如とか左寄りの文化人も反対論陣張って」

 

G「よく実現できましたよね」

ご「土光敏夫の力が大きいんじゃないの。一応、中曽根の前の鈴木善幸が、臨調、臨時行政調査会の会長として白羽の矢を立てたわけだけど。その内閣で中曽根は行政管理庁長官として行革を扱っていたから、中曽根が抜擢したのか、それは分からないが」

 

G「めざしの土光さんですか」

ご「あれだけの財界人なのに、全く華美な生活をしていなかった伝説の経営者だな。行政改革を提言するのに、あんな適任者もいないよ(笑)。自分が無駄な事をしてないんだもの。大企業の経営再建もして。東芝がああなってしまったのは、土光イズムが失われたからだろ」

 

G「うるさい人間が多かったであろう国鉄の労働者も、土光敏夫相手にはなかなか分が悪かったのでしょうかね」

ご「中曽根も徹底的な反共だし、彼らの後ろには瀬島龍三なんていう昭和のフィクサーもいて、これがまたシベリア抑留上がりで、反共を装った転向者とも思われたし、そう思わせた転向右翼とも思われていたし(笑)、本当に鵺のような人物だったな」

 

G「そういう曲者たちでないと、勢いが弱まっていたとは言え、あの複数労組が巣くっていた国鉄に大鉈は振るえなかったでしょうね」

ご「この民営化が実現した頃には、日本はバブル景気に突入していた。電電公社民営化によるNTT株なんてのは、バブル相場の象徴だものな。

  度々のゼネストで左翼陣営が気勢を上げていた国鉄の解体、更には日本経済の浮かれた状況が重なって、労働運動は一気に収縮してしまったのだ」

 

G「なるほどねえ。幾つもの要因が運命的に重なって、日本からストが消えていったんですね」

ご「整理すれば、先ずは75年スト権ストで世論が離れ、それを奇貨とした国鉄解体が企図され、その旗頭に労働側としても叩き辛い土光敏夫が置かれた。行管庁長官から首相として、反共の中曽根が三公社民営化を断行し、それも呼び水の一つとなってバブル経済に突入し労働運動が陳腐化した。ってな流れだな、ザッと言うと」

 

G「でも、民営企業になったという事は、スト権も認められるって事ではないんですか?」

ご「バブル経済から幾星霜。今や経済格差も社会問題化したこの世情で、そういう話もついに出て来たようだな」

 

G「あらー。また鉄道がストで運休するなんて日が来るんでしょうかね」

ご「ま、可能性は薄いと思うがな。当時と違い、今はインターネットで、それこそ生の庶民の声が溢れかえるわけよ。まともな神経してたらそれに耐えられないだろ(笑)」