無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

博士話「スマートボール」

ヴィクトリアマイル

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 サッパリわからず、どれが来てもおかしくない顔触れという感じだったので、今回は特に深く考えずに買ってみたのだが。

 しかし、いくらどれでも来そうだと言っても、ありゃ考えないよ(苦笑)。 しかも、ショウナンパンドラも外して狙いに行ったし。

 どうせ判らないのだから、ド本命二頭を並べるなんて買い方は面白くないからね。

 結果的には、枠連で買えば問題無かったわけだけれど、そのためには最低それだけで千円は買わないと意味無いから。

 千円も一本で買うなんてお大尽の真似、ワタクシには出来ない。

 

パチンコ回顧「スマートボール

 ワタクシがパチンコを始めた昭和40年代後半では、パチンコ以外の遊戯を見る事は出来なかった。

 しかし昭和50年代半ばになると、電役物が幅を利かせ、その流れでアレンジボール雀球などを扱う店も多少は見られるようになった。その頃、スロットマシンはまだまだ一般的ではなかった。

 取り分けワタクシが度々通ったのが、川崎の銀柳街に有ったと思う店だった。

 今、グーグルマップで探してみたのだが、当時の面影があまりにも無く、何処に有ったのかまるで見当が付かない。

 JR駅前を開発してから、川崎はあまりにも急激に変わり、いま銀柳街をグーグル上で歩いてみても、見覚えの有る店など一つも無い。

 

 ワタクシが川崎に度々通っていたのは、大きな古本屋が有ったからだ。

 だが勿論、そんな古本屋などは見当たらないし、何処に有ったのか、跡すら見当が付かない。

 その古本屋はたしか銀柳街や駅と直交する大きな通りに有って、並びには当時としては大きめのゲームセンターや、質屋が有った。

 忘れもしない、その質屋でワタクシはソニーSL-HF900を買ったのだ。

 ビデオ雑誌での紹介記事を読んで矢も楯もたまらず欲しくなり、夏休みに一夏泊まりがけでするバイトをやって、即金で購入した。

 18万8千円くらいだったろうか。定価が23万8千円くらいだったから、当時としては破格の安さだった。

 バッタ物かと心配したが、どうやらきちんとした新品だったようだ。それも当然で、まだ発売されて間もない頃だ。

 昭和60年の9月頭である。

 

 この頃、古本屋に度々通って資料漁りをしていたのだが、必ずと言って良いくらい、そのパチンコ屋にも足を踏み入れた。

 そこはパチンコ屋と言うには少し違う場所だったが、ワタクシの意識としてはパチンコ屋だった。

 何が違うかというと、そこに有るのはアレンジボール雀球、スロットマシンも有ったかな、何より独特だったのは、2階のスマートボールだった。

 スマートボールも台数は結構有って、20台か30台は有ったかと思う。全てはコインで遊戯する店で、スマートボールもコインを入れると始まるのだが、何枚で1ゲームかは忘れた。

 始まるとガシャッと上の方から玉がゾロゾロと16発ほどだったか、ガラス上を滑って落ちてくる。それを一発一発手打ちで弾いていたのだから、いにしえの手打ちパチンコのようなゆったりした風情が有った。

 スマートボールは鉄球ではないから、パチンコのような電磁誘導が利かない。だから純粋な玉の動きが楽しめて、本当に好きだった。

 だが、穴に入れるのはなかなか難しく、なかなか点数が入らない。一定の点数を超えると、それに応じてコインが上部に吐き出されるのだが、そんな事はそうは有るものではなかった。

 動画を探してみたが、どれも点数が掲示されるものではなくボールが出てくるもので、ガラスがボールで埋まったりしている。そこに有ったものはそういう台ではなく、あくまでも点数で処理していた。

 

 一発一発打てるから、今から考えればかなりゆったりした遊戯だが、決して侮れないくらいに金も使わせられた。

 たしか数時間も遊んでいると、軽く二万円は擦っていたように思う。

 よそではなかなか出来ない遊戯が出来たから貴重な場所だったが、そんな訳で、そうそう遊べたわけでもない。

 パチンコやスロットは運が良ければ勝てるようになっていた時代だが、アレンジ、雀球スマートボールは何れも運より腕の要素が強く、故にワタクシはその店では一度も勝った記憶が無い。

 だが妙に懐かしいのは、今と違って操作されたという納得のいかぬ負け方ではなかったからだろう。

 数年前に江ノ島に社員旅行で行った時にスマートボールの店が有ったが、本当にただ遊べるというだけで、景品交換はしていなかった。

 スマートボールと言えば縁日でよく楽しんだものだが、そちらの思い出は昭和唱和ショーの方でいつか書こう。