昭和唱和ショー「障子」
Gさん(仮名)「対談形式も一周したようですね」
ごいんきょ「一週経ったから一周した事になるな。洒落ではないから笑わなくて良いぞ」
G(笑わねーよ!)
「今日は”障子”。季節ものですね」
ご「まあ昔はな。わしが子供の頃は障子の張り替え、襖の張り替え、畳の表替え、おせちの準備、餅つきなんかで、そろそろどこの家も忙しくなってくる時分だったな」
G「いま挙げたものも、ここで扱えますね。しかし、障子と言えば思い出すのは、必ず穴が空いていたという事ですよね」
ご「子供が居る家では、障子や襖なんかビリビリというのが通常の姿だったからなあ。女の子の家ではどうだったんだろう」
G「次回は襖にしようかと思いますんで、それまでに聞いておきましょう」
ご「採光のために透けるような和紙を格子に貼った引き戸でな。あの薄い和紙を子供が見たら、指を突っ込まずにいられないだろ」
G「それやこれやで大掃除の時に、襖や障子も貼り替えてたものですがね。外して家屋の外に出して」
ご「でも、わしの家ではやってなかったな。どうせ、わしが破くから無駄だと思っていたんだろう。
それで、この時期になると必ず新聞とか雑誌で、張り替えについての記事が有ったものだ」
G「どんな記事なんです」
ご「要するにコツの伝授だな。糊を少なめにするとか、天気の悪い日にするとか」
G「なんで天気の悪い日に?」
ご「なんでも、乾いてくるに従ってピンと張ってくるらしいんだよな。だから天気が良い日にやるとピンと張った状態から、天気が悪くなるとダランとなってしまうとかなんだろう」
G「上の写真は、子供たちがお手伝いして破ってるんですね(笑)」
ご「そうそう。張り替えの時は全部はがさないといけないから、これこそ子供の天下なわけよ(笑)。手伝ってあげると言ってはブスブスビリビリと破り放題。そんな年の瀬だったな」
G「糊だって、お米から作ってたんですもんね、各家庭で」
ご「それを食べちゃったのが舌切り雀だな。若い人々には、ノリを食べちゃったなんて言っても、海苔を食べたんだとしか思わないだろうな。まさか糊を雀が食べるという想像は出来ないだろう」
G「着た切り雀ってのも昭和語ですかね?」
ご「流石に通じるんじゃないか? 大体、最後の大きなつづらと小さなつづらで、大きな方を選ぶと災いが待っているという、あれ。あれが日本人の心性を決めているという分析がかなり前にネットで明らかにされたけど、確かにわしも自覚あるよ」
G「つまり、あまり欲張った事を考えないとか、そういう事ですね」
ご「ああ。そして、これはわしの仮説なんだが、西洋人の場合は『ああ無情』が舌切り雀に該当する話のような気がする。誰か調べてくれないかな」
G「具体的にはどんな感じで?」
ご「例えば、何かで世間に騒がれた人が死ぬ前に嘘ついてた事をみんなに公表するとか、そういう事例が結構あるんだよな。
それだと『聖書』か。やはり『聖書』だな、西洋人の場合」
G「宗教的な事になると日本人でも別に有りますよね」
ご「うん、そうだな。やっぱり、まだ整理できてないわ」
G(話を混ぜっ返されたまま終わりにしなきゃならないじゃねーか)
*1:昭和39年12月10日付読売新聞