「生前退位」に現れる知性の絶滅ぶり
ワタクシは、生前帰宅してから生前食事をし、生前ネット閲覧の後に、この記事を生前寄稿している。
さて、いまだに「生前退位」という言葉が無くならないどころか、殆どの週刊誌記事やWeb記事でその変梃な語を用い続けている。
ここまで来ると、元々左翼方面が強いカスゴミ連中であるから、もう意識的に不敬な言葉を日本人の心中に植え付けてしまおうと狙っているとしか思えない。
「生前」というのは、「生きていた頃」という言葉で、死者を振り返る時に用いる言葉である。(まさか仏教用語として用いているわけではあるまい)
思い切り好意的に理解すれば、恐らく「生前葬」とか「生前贈与」という言葉が普通に使われるようになったため、感覚がおかしくなっているのだろう。
だが、どちらも「死」を前提として予め考える事柄である。
退位も譲位も、死を前提としたものではまったくない。現に生きている天皇そのものが行うのが譲位であり、退位である。
現に生きている天皇の意思が関与しなければ「譲位」ではないし、現に生きている天皇もしくはその天皇を排斥しようと企てる者の意思が関与しない場合、「退位」という言葉も不自然となる。
例えば「天皇を退位させる」という用法は可能だろう。それですらも、お隠れになった後の天皇には決して使えない言葉である。
敢えて「生前退位」という事に意味を持たせている場合、今上天皇がもうヨボヨボで、今にも死にそうという想起を伴わせる。
ここら辺でワタクシは、今に至っても表現を改めない連中には、そうした不敬の意識が隠されているのではないかと勘ぐりたくなるのだ。
いかにも自分達は天皇のお膝元と公言している連中まで、いつまでもこの言葉を使っているのは、どうしたわけなのだろう。
ただの成り済ましに過ぎないのだろうか。そういう連中に限って、二言目には「朝敵朝敵」と囃し立てる。まるで差別されるのが嫌で自分から「差別差別」と言い立てる連中と同じ精神構造に見える。
何しろこの言葉は、皇族という事に限らず、一般的な日本語として考えても非常に無礼なのであるから。
老齢の社長で、「生前退社する」と宣言する馬鹿がいるか?
日本中の知性が劣化しているのか、はたまた不敬表明の隠れ蓑となっているのか。
どちらにしても、おこの所業である。
追記:
もう少しだけ細かく解説してみました ↓