無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

動画著作権者と非独自動画の送信者はどうあるべきなのかを考える


聖闘士星矢 放送当時ED 永遠ブルー Saint Seiya Blue Forever (1986 Japanese Sponsor Closing Credit)

 

聖闘士星矢(セイント・セイヤ)動画に付けられた注意文

 少し前、ワタクシのYouTube管理欄に、変な文言がYouTube側から付与されているのに気付きました。

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 最右部下側の、「著作権保護されたコンテンツが含まれています」という部分です。

 今、この動画はきちんと「聖闘士星矢」云々としてありますが、上げた当初は権利者の目を眩ませるために(笑)、「eternal Blue」という題にしてありました。

 本来、この歌は「永遠ブルー」という題名なのですが、英語表記では一般的に「Blue forever」となっているようで、目眩ましのために英語表記にし、しかもそれも、一般的な表現とは変えていたのです。

 ところが、或る日ふと気がつくと、上のような文言が付加されていたのでした。しかも、普通の題にしてから1ヶ月以上経った今でもようやく再生400回という目立たなさだったのに、です。

 要するに、動画の内容をYouTubeの側で、或る程度まで機械的に照らし合わせているのでしょう。どうやら一部の著作権者は動画の構成内容をどこかに登録していると考えられます。動画が上げられた時に、それを自動的に登録された動画と一致する部分が無いかどうか、検証されていると考えられるのではないでしょうか。

 最初にこの文を見つけた時には、少し焦りました。ワタクシは過去に一度、動画を著作権云々で削除された事が有るのですが、その時に付与されていた文言もこういうものだったからです。

 ちなみに今、その欄はこのような表示になっています。

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 なぜ焦るかと申しますと、このような削除の三度目には、当方のアカウントが削除、即ちYouTubeから所払いをされるからです。そのように表示されている動画リンクも世間には多いのでお判りと思います。

 勿論、一つのアカウントを所払いされても再度上げられるようにする方法は有りますし、実際にそのようなイタチごっこが繰り返されているのが現状です。

 

削除の際のYouTubeの姿勢

  ですが、やはり「違法」という形で警告を受けるのは気分の良いものではありませんし、他の人はどうか知りませんが、少なくともワタクシは一定の方針を持って上げているので、心外だという思いも有りました。その方針についても、この稿で後に書きます。

 今は © 表記になっていますが、削除された最初の頃は、異議が有れば正当と考える事由を添えて申請して下さいみたいな内容の文と、抗弁先のリンクが記載されていました。

 つまり、当方が著作権者の許諾を得ているか、さもなくばフェア・ユースの概念に則っているものかというような事です。YouTubeは流石アメリカの会社なので、フェア・ユースでの抗弁を受け付けていました。

 その結果で当方にフェア・ユースなりが認められれば動画を復活させる気が有ったようで、今は最左部の部分が完全に消された画面になっていますが、リンクが生きていた頃は、まだ動画の一場面が表示されたままになっていました。

 その状態は結構長く、少なくとも一年くらいは有ったように記憶しています。

  アメリカは日本よりも著作権に厳しいとは言われますが、しかし、公共に資する文化的な遺産として著作物を考える視点も浸透しているようです(詳しくは調べていませんが)。

 この辺、利益の追求しかせずできず、非常に貴重な文化遺産と思われる音声・動画でも構わず消しまくっている日本の強欲無思想の各種著作権者とは一線を画しているように感じます。

 但し、日本のそうした強欲無思想著作権者が権利を買い取ってしまっているようなものの場合には、アメリカ本国の動画でも、このような一律の削除をされてしまっているようです。

 

フェア・ユース論の前段としてのフェアという概念

 アメリカに於ける「フェア・ユース」というのは、どのようなものなのでしょうか。

 取り敢えずお手軽に、ウィキペディアで調べてみます。

フェアユース - Wikipedia

 要するに、著作物の公正な利用に関して考察する事案という事です。

 ワタクシは常々言っておりますが、アメリカというのは建国の成立そのものが成文化され(アメリカ独立宣言 - Wikipedia)、しかも現存しているような国家ですから、文化に対する考察が磨かれているのだと考えています。

 対して日本は、国家の成り立ちが神話によって示されており、しかもその成立の際には、それまで各所に存在していた豪族たちの伝承してきた歴史を抹殺したと考えるのが自然です。

 ワタクシは特に近年の(日本に対しては黒船以来ですが)アメリカの傲岸ぶりが非常に大嫌いで、度々Web上で攻撃的な文を書いておりますが、少なくともあの311の前までは、美点も多く持った国だったと思っています。

 例えば、民主主義を守るためには民衆の絶えざる精査が必要であると考え、機密文書でも基本的に時を経ての公開が義務づけられています。

 一方の日本では、つい先頃に曰く付きの秘密保護法が成立・施行されましたが、逆に、かなり隠蔽体質の色濃いものだと思います。

特定秘密の保護に関する法律(日米の秘密保護を比較した日本の問題点)- Wikipedia

 そもそも、こうした法律云々以前に、例えば沖縄返還時の交渉にしても、日本の役人はそうした歴史を残そうとはせず、完全に処分してしまい、後からの検証を不可能にしてしまったりするのです。

 日米の彼我の差は、その国家の成り立ちの違いという根っこの部分に象徴できるように感じています。

 こうした体質だから、ワタクシは度々、日本人は民主主義を体得できていないと表現するのです。

 勿論、神話と直結した国家の成り立ちは非常に貴重なもので、世界に誇るべきものだと思っていますが、人の世に生きる我々は、もう公正な世界に向けて舵を取るべきではないかと、ワタクシは考えています。

  ワタクシは今の形での民主主義にも非常に懐疑的というか、ちっとも民主的ではないと思っておりますが、それでもアメリカには理想を目指そうとする気概を時には感じますし、反面、日本の上層部には失望の連続で、いまや完全に絶望視しています。

 多数による検証を可能にしなければ、客観的な反省も、それに基づく発展も、期待できないでしょう。

 アメリカ人は、「フェア(道義的正当性)」という概念をよく用いると思います。

 日本が昭和の繁栄から引きずり下ろされた直接的な契機は日米構造協議でしたが、その切っ掛けとなった日米貿易摩擦の時から、日本はフェアではない、アンフェアだと彼らは攻撃してきたものです。

 アメリカが日本人に難癖つけてきた「フェア」が個別に適当だったかどうかはここでは置いておくとして、公正である事を意識しようという姿勢そのものは、日本人も学ぶべきように思います。

 アメリカの情報公開原則も、著作権事案に於けるフェア・ユースという概念も、まだまだ日本人には遠い存在なのが、ワタクシには非常に情けないのです。

 

 フェア・ユースを考える

 では、上記ウィキペディア記事を手掛かりに、取り敢えずアメリカに於けるフェア・ユースを考えてみましょう。それは、以下のような4点が判断の指針とされているというのです。

  1. 利用の目的と性格
  2. 著作物の性質
  3. 著作物全体との関係における利用された部分の量及び重要性
  4. 著作物の潜在的利用又は価値に対する利用の及ぼす影響

 

 1に関しては、最も最前の判断基準が、営利目的かどうかという事です。

 例えば YouTubeでは動画送信者側で広告を設定し、収入を得る事が可能になっています。YouTuberなどという虚業に憧れる小学生が増えたりの問題も有りますが、ともかく、独自に制作した動画で稼ぐ分には、何も問題は有りません。

 しかし、ワタクシが上げているような、著作権者が歴としている動画でそれをした場合には、明らかにフェア・ユースから逸脱する事になります。

 流石にそうした事は、道義的にと言うより法的に不当と判断される可能性が極めて高いという事は簡単に想像できるので、広告設定している人はまずいないと思います。

 他にも様々な事例が有ると思いますが、アメリカでの判断基準は、「道義的正当性」が根本に有るように感じられます。まさしく、「フェア・ユース」なのです。

 

 2に関しては、機能性に特化しているか、創造性・芸術性が高いかのような事です。

 具体的には、日本でもテレビ欄の内容には著作権が無いと思います。そこに独自の創造性が無いからです。一方で、漫画や小説、映画やドラマなどは創造性が高く、フェア・ユース適用が制限されてくるという事です。

 但し、「利用が極めて困難な絶版などの理由があれば、それもフェアユース成立に有利に働く」というのも、道義的正当性という観点から合致するものでしょう。

 

 3は、使用部分が元の著作物のほんの一部であれば、認められやすくなるという事です。

 但し、流石アメリカは文化考察がきちんとしていて、状況によっては完全複写でもフェア・ユースが認められるというのです。この辺は、現状の日本ではかなり難しいように思います。

 ま、アメリカでもなんでも、そんな場合はそう多くは無いでしょうが。

 また、その著作物の核心部分であれば量が少なくとも成立しづらくなるというのも、これまた正しく道義的正当性にもとるという事で納得いきます。

 

 4は、その事により市場に悪影響を与えるかどうかで、その場合には当然、道義的正当性は無いわけですから、認められないでしょう。

 そして現実的には4が最も大きな位置を占めるという事ですが、これは当然と言えます。

 例えば公開前、もしくは直後の映画の結末部分だけを、例え評論目的であろうが公衆に閲覧可能にすれば、明らかに営業に差し障りますからね。

 

本拠ブログでのワタクシの個人的指針

 先にも書いたように、ワタクシは個人的な指針を設けて、最上部のような動画を上げています。

 また、ブログ活動に於いても意識しています。

 それはアメリカのフェア・ユースという概念を知る前からの事ですが、そう大きく差異は無いように感じています。

 ワタクシも言ってみれば道義的正当性を意識していたのですから、当然と言えば当然かもしれません。あとは国情、文化の違いがどの程度あるかという話でしょうが。

 例えば、ワタクシの本家ブログで度々どうするか考えていたのが、歌詞に関する件です。

 テレビ番組の記憶を呼び起こすのに、主題歌の歌詞は絶大な威力を発揮すると考えられるからです。

 ですが、歌詞は日本の権利者団体に於いて最も威勢の強いと考えられる日本音楽著作権協会が管轄するものが多いだけに、特に注意深さが必要だと考えていました。

 そこで特に創設初期は、あくまでも記憶に基づいての歌詞を書いていました。

 そうすると自然と曖昧な歌詞になったり、部分部分で間違った歌詞になりがちですが、それがフェアユースに於いては3、4を考えた行動となっていました。

 つまり、正当に権利許諾された歌詞サイトや歌詞本などの存在余地を残したわけです。

 たまに歌詞を教えて下さいとか、正確にはこうですよと教えて戴いたりもしましたが、歌詞サイトではないので正確さは追求していませんと説明させて戴いていました。

 

 逆に、これは今でも確としてやっている事ですが、通常では誰も扱わないまま埋もれたままであろう番組の主題歌などは、全文を文献のまま正確に載せたりしています。

 その多くはJASRACですら管轄外であろうと思うのですが、いちいちその確認もせずにやっています。

 フェアユースで言えば1と4を意識しているからです。

 その主題歌を見た人が、少しでも番組を思い出してその番組の事を書いてくれたらテレビ史に資するという考えと、そのような歌詞を商業的に欲している存在は皆無であろうという確信とです。

 反対に、ワタクシの所などで扱わずとも商品化された事が有るような番組歌詞などは、わざといい加減に扱いました。その事はコメント欄でも返答した事があります。

 非常に困ったのは、コメント欄に歌詞全文を書く人が来た時です。好意でやってくれている事はわかるのですが、それは非常に有名な番組で、CDなども発売されているのです。

 しかし簡単に削除してしまうと、埋もれた番組の歌詞を教えてくれる人が、こうした事はいけないのだと思い込んでしまう事を恐れ、かなり逡巡した後にそのままにしました。

 うちは歌詞検索サイトではないという事は何度か公言しましたし、そういう目的でそのブログを訪れる人は殆どいないだろうとも判断したからです。

 これが調子に乗って至る番組で歌詞全文を書きまくってしまったなら、歌詞を知る目的で当該ブログを訪れる人間が増えるかもしれず、その場合はフェアユースを逸脱してしまいます。

 

 更には、番組タイトルのキャプチャ画面を載せる時にもフェアユース的観点で言えば3を意識しました。

 タイトル画面だけなら、それも小さな画面であれば、権利侵害と研究的性格とを天秤にかけて、道義的正当性を損ねないだろうと判断しての事です。

 何も考えず適当にやっているようで、実はわりと計算している部分も多かったのです。

 ワタクシのブログを参考にしたのかどうか(笑)、近年はアメリカのウィキペディアでもあのように、タイトル画面のキャプチャを載せる例が増えている感じです。

 余談ですが、番組名の後に(括弧)付き制作年度を付けて新旧作品が区別できるようにしている例も、アメリカでも日本でも増えてきていると思います。ワタクシがあの形式で記事を書こうとした時に、一応検索して確認した際には、同様の例は見つかりませんでしたから、あれもワタクシのブログが発祥みたいなものだと勝手に思っています(笑)。

 ワタクシは在り来たりに甘んじるのが嫌いなので、今ではWeb全体での標準になってしまったような事を結構先駆けてやっていたりします。

 勿論、偶然の産物も多いでしょうし、他人にはどうでも良い事ですし、自慢に類する事になってしまうので、この辺にしておきますが。

 

動画送信でのワタクシの個人的指針

 ワタクシが初めて動画送信をした動画サイトは、「駄映像掲示板」という自前の動画掲示板でした。2000年の事ですから15年以上も前の事ですか。

 それは対象範囲が非常に限られていたので10アクセスも無かったと思いますが、一応はYouTubeは勿論、日本での画箱よりも数年早かったのです。

 ワタクシに財力と本格的な開発力があれば、間違い無くあの時にYouTubeのような事業をしていたでしょう。

 あれ? この辺になってないか(笑)。

 ともかく、その時から一貫している指針が、動画投稿でも有ります。

 それは、特にフェアユースで言う4に関する事でした。

 市販ソフトになっているもの、またはなるようなものは扱わない。

 扱う場合にはごく限定的にするか、品質を落とす、という事です。

 これにより、権利者の経済的利得に著しい悪影響を与えずに済むであろうと考えての事です。

 また逆に、そのような形で衆目に触れさせる事は、権利者の(経済的な事に限らない)利得を増大させる事に繋がりうるとも考えていました。

 品質を落とすというのは、一番簡単な例では動画の画質を落とす事です。これにより、市販ソフトとの間を逆差別化する事ができます。

 もう少し言えば、レコード再生音声ならデジタル音声との逆差別化になりますし、ビデオテープ再生映像なら、やはりデジタル画質との逆差別化になります。

 ですからワタクシが現在YouTubeに上げている動画は、全てがアナログテープ再生かアナログ音盤再生によるものです。

 

 そういう指針の下、2000年当時に作成した動画を上げた事が有りました。その頃の動画は今とは雲泥の差の画質で、100倍以上は荒いものでした。

 そして、「粗い画質ですが著作権を考えたらこの方が良いので、このままアップします」と書き添えたのです。

 すると、他にも動画は有ったのですが、それだけが狙い撃ちされました。

 動画削除された投稿者には「◯◯様 - 著作権侵害により動画が削除されました 」という告知メールが届きます。

 その内容はこうなっておりました。

放送コンテンツ適正流通推進連絡会 から以下のコンテンツが権利を侵害しているとの第三者通報があったため、このコンテンツを無効にしました:

iitomo samma
http://www.youtube.com/watch?v=g4yL1rABan0

注: 著作権を繰り返し侵害すると、ご利用のアカウントとそのアカウントにアップロードされているすべての動画が削除される場合があります。そのような事態を避けるには、権利を所有していない動画を削除してください。また、他人の著作権を侵害する動画をアップロードしないようにしてください。YouTube著作権ポリシーについて詳しくは、「著作権に関するご参考」(http://www.youtube.com/t/howto_copyright)をご覧ください。

投稿のいずれかが侵害と誤認されている場合は、異議申し立て通知を送信することができます。異議申し立ての方法については、YouTube ヘルプセンターをご覧ください:
http://www.youtube.com/t/copyright_counter

虚偽のまたは不誠実な異議申し立てを行うと、法的に深刻な結果を招くことがありますのでご注意ください。

今後とも YouTube をよろしくお願いいたします。

YouTube チーム 

 上記「著作権に関するご参考」を見に行くと、「権利を侵害せずに著作権で保護されている作品を使用するには?」という項目が有ります。

 それがフェアユースを考慮した説明ですが、そこにこのような事例が載っていました。

著作権を侵害するつもりはない」と表記した 

 削除当時からこのような表記が有ったか不明ですが、とにかくワタクシの削除事例の場合は、これに該当したと考えるのが自然でしょう。

 その真意が理解しづらいのですが、要は例えフェアユースと言えども、権利者の意地・面目を考えよという事なのでしょうか。

 

 

権利者側にワタクシが訴えたい事

 

聖闘士星矢動画に付加された文言の意味は?

 前項で「衆目に触れさせる事は、権利者の(経済的な事に限らない)利得を増大させる事に繋がりうるとも考えていました」と書きましたが、この考え方が非常に判り易い形として発露したのが、近年のニコニコ動画発祥による、一連の『チャージマン研!』の再商品化でしょう。

 あの作品などは非常に極端な例で、全話が完全な形でニコニコ動画に上げられるという、著作権者にしてみれば最悪の状態になりました。

 ところが、それにより閲覧者にイジられまくり、パロディやMADが数え切れないくらいに作られ、放送当時から数十年まったく歯牙にもかけられなかったこの番組が、初めて陽の目を見たのです。

  それだけにはとどまらず、本放送中には皆無だった様々な関連商品が開発され、これら再評価が無ければ埋もれたままだったはずの雑誌掲載漫画までが、まとめられて出版化されました。

 これなどは非常に稀有な成功例で、通常はやはり、番組丸ごとの送信などは絶対に認められるべきではないとワタクシも思っています。特に、デジタル映像の品質そのままという形では。

 しかし、フェアユースを意識した露出であれば、権利者側のためにもなりうるのだという観点は、もう少し意識されて良いのではないかと思います。

 

 さて、冒頭で書きました動画の話に戻ります。

 ワタクシの動画管理欄に記された「著作権保護されたコンテンツが含まれています」という言葉は、どういう意味なのでしょう。

 そのリンクを踏んでみますと、その動画個別の管理画面で、以下のようになっていました。

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 なんと、著作権者がこの動画を収益化しているという事でした。

 しかし実際には、動画再生の際に表示されるのは東映アニメーションYouTubeチャンネルへのリンクだけです。

 実質的には、東映動画は単純な形では収益化などしていないのです。

 つまり、ただ単にこの動画の使用を許可してくれたという事だと考えて良いと思います。

 ワタクシは、推測に過ぎないのですが、日本では違法動画のダウンロード者側までが違法とされたり、TPPによって著作権もどうなるかわからず、同人活動の阻害が懸念されたりもしましたので、東映動画としてファン側の活動を庇護する意味が有るのではないかと結論づけました。

 

東映の表現への取り組み

 東映という会社は、日本の大手映像制作会社の中でほとんど唯一ではないかと言えるくらい、表現に関して覚悟の有る会社だとワタクシはかねてから評価していました。

 例えばビデオソフト時代から、いわゆる注意用語の類も音声を消さずに通したのは、東映が随一でした。

 日本で萎縮されていく一方だったその手の表現に画期的な一石を投じたのは、黒人差別を騒ぐ人間がハシャいでいた頃に『ジャングル大帝』を出版した人々が、巻末に説明の文章を載せて出版を継続した事です。

 それとてもほぼ一年という販売自粛の後の事ですから、もし、或る程度の覚悟を持ってあれを決断しなかったなら、ワタクシ達は手塚治虫作品のかなりの数を再見できなくなっていた事でしょう。

 当時あまりに扇情的に攻撃されていた「ステレオタイプによる表現」は、漫画に於いては常套手段ですし、時代的にも手法的にも、手塚作品にはその手の表現が頻出するからです。

 そのような黒人差別糾弾運動の煽りを受ける形で封印されてしまった作品の一つに、『ジャングル黒べえ』という漫画も有りました。

 ワタクシはその作品について、本拠ブログコメント欄で「商品化はまず無理でしょうね。 東京ムービーがワタクシに版権を預けてくれれば、 ワタクシやりますけど(笑)」と冗談めかして書きましたが、実はこの時、映像会社でできるとしたら東映しか無いだろうなとは思っていました。

 しかし、東映エイケンとか日本アニメの映像集は作ったものの、東京ムービーとはビデオ関連では接触が無かったので、それは有り得ない事だと思ってそこまで書かなかったのです。

 ところが先頃、まさかの東映が、黒べえDVD化を実現してくれたのでした。やはり映像では東映が、存在を否定された作品を掬い上げてくれたのです。

 そして、テープ時代には東映の手では実現できなかった『東京ムービーOP・ED集』も、とうとう実現したのでした。

 自社作品は勿論、エイケンや日本アニメの作品まで網羅的に紹介したOP・ED集を出していた東映は、そういう面でも日本のテレビ史に寄与した数少ない、と言うより、ただ一つの会社だとワタクシは思っているのです。

 

 東映が映像や音声の規制に強い事には、きちんと理由が有ります。

 あの手の規制は、実は利権構造化されてから厳しくなっていったのです。簡単に言えば、イチャモンをつける事によって貪っていた不埒な連中が、現実に存在していたのです。

 そのうちに表現者の側が面倒を嫌うようになり、自主規制も進んで、テレビや映画の過去作は、音声をズタズタにされる憐れな存在となっていました。

 そんな中でも、東映がビデオ化する作品は、大手では随一と言えるほどに規制の無い、ありのままの姿で再生されていました。

 何故、それが可能だったかというと、そうした不埒な連中を黙らせられるだけの背景を、東映は持っていたからでしょう。

 ヤクザ映画路線で大ヒットを連発した東映は、現実にも、その手の人脈に非常に強い人々を抱えていたのでした。

 しかし、東映はそうした力を横暴に使うのではなく(当たり前ですが)、表現を守るために役立て、実際にそういう表現活動を続けていた事を、ワタクシはずっと認識していましたし、評価していました。

 

目指す所 目指して欲しい所

 今回の件が、東映(動画)によるフェアユースへの先導であれば、こんなに嬉しい事は有りません。

 現時点ではその真意を測りかねるので迂闊な事は言えませんが、そうした思いは有ります。

 ワタクシは、「日本のテレビ関係者はテレビの最大の敵」と公言してきましたし、今でも概ねそのような認識です。

 かつて自分達が残す事をまったく意識せず、葬り去ってきた数々の番組にまで恥ずかしげもなく著作権を主張し、YouTubeから抹消されたテレビ史的に貴重な音声・映像素材が、これまで何十と存在します。

 それらは、当時の市井の人々が録音・録画した素材でのみ長らえた、奇跡のような命なのでした。

 アメリカのフェアユース判断にある「利用が極めて困難な絶版などの理由があれば、それもフェアユース成立に有利に働く」という意識も無い日本の権利者団体は、こうした命の敵なのです。

 

 動画を作るということは、例え既成の映像からの抜き出しでも、結構な手間暇がかかるものです。

 そうして苦労して動画を作り、もう無いと思われた映像や音声をみんなが喜んでくれると期待していた所に、前述したような削除案内が来たら、ちょっとした善意でやった人は、もうその気を無くしてしまうでしょう。

 のみならず、そういう事を目の当たりに見続ける人々にも、そういう意識は植え付けられるでしょう。

 そうして陽の目を見なくなった音声・映像の中には、もう日本中に存在しないものだって、きっと有るはずです。そういうものを、ワタクシは幾つも確認してきました。

 

 動画を投稿する側には言わずもがななのですが、横暴に削除権力を振るっている人々にもワタクシが言いたい事は、お願いだからフェアユースを考慮して下さいという事です。

 それは必ずしもそういう人々の害になるとは限らず、利になる場合だって往々にして有るのですし、そもそも存在が絶望視されていた音声・映像には、文化遺産的な価値が有るのです。

 それは、著作権などという些末な権利を超える概念なのです。

 

 更に言いたいのは、そういうものの送信にも権力を振るいたいのであれば、正規にそうした財産を受け付け、公開する機関・手段を設けて下さいという事です。

 そうした事も無く、文化遺産的な音声・映像まで自分達が権利者だからと強弁して、ただ存在を消しまくるのでは、テレビの敵どころか文化の敵そのものでしょう。

 

 ワタクシが上げた動画は、勿論そんなに大形なものではないのですが、一応はフェアユースを意識しています。

 今回の動画で言えば、放送当時の形をそのまま再現する事に、文化的な意味が有ると考えています。

 それを東映動画が承認してくれた事は、こうした問題に絶望感を抱いていたワタクシには、微かな一条の光のようにも感じられます。

 今回の東映動画は直接的な収益は得ていないと思いますが、例えばそれが、直接的に収益が向こうに渡る形式でも、こちらとしては全く問題が無いどころか、新たな解決法が示された思いです。

 こうした方法に、両者の接地点は無いでしょうか。

 

 ネット上に無数に存在するフェアユースの動画・音声……

 非常によく作り込まれたパロディ作品、芸術的な域にまで高められているMAD、もう他では再見・再聴は叶わなかったであろう貴重な文化遺産……

 こうした「命」の数々が、いつまでも安寧に永らえる世界をワタクシは望んでいますし、そのための知恵を英知を惜しまず注ぐ事を、力の有る人々にお願いしたいのです。

 少なくとも横暴に命を削ぐ事は、くれぐれも自重して欲しいと思います。