昭和唱和ショー「浪曲」
Gさん(仮名)「そう言えば、浪曲というものを全く耳にしなくなったのはいつごろからですかね」
ごいんきょ「わしらが子供の頃までは、特にNHKのラジオではたまに浪曲を流してたしな。テレビの方でも、ごくたまにやってた」
G「風呂で唸ってた年寄りもいましたよね」
ご「実際にいたかは忘れたけど、ドラマだの漫画だのでは、よく描写されていた風景だな、そういうの」
G「明治男がいなくなって消えたんでしょうか」
ご「そんな感じなのかな。昭和50年代前半だったか、広沢虎造ブームというのが有って、あれが最後の華だったかもしれない」
G「なんで昔の人は浪曲を好んで聴いてたんですかね」
ご「昔の日本人には、西洋音楽の素養は無かったからな。リズムとか無かったし。そういう素養だと、和風の民謡とか浪曲の方が馴染みやすかったんだろうな」
G「ああ。そう言えば民謡も耳にしなくなりました。次回はこれで行きますか(笑)」
ご「考えとくわ(笑)。
わしが”浪曲”と言って思い出すのは、ど根性ガエル、バカボンのパパ。それに村田英雄だな」
G「村田さんは浪曲師から歌謡曲歌手に転向した事で有名でしたからね。好敵手の三波春夫さんと共に」
ご「ど根性ガエルは、それこそ漫画中でよく銭湯の場面が出て来て、登場人物がよく唸ってたな。恐らく吉沢やすみ本人も好きだったと思う」
G「”和”の世界を楽しんでいる世界観が根底に流れてましたね」
ご「バカボンのパパというのは、テレビの方の”天才バカボン”の中で、パパが浪曲を歌う場面が有ったのよ」
G「はいはい」
ご「あれって、提供会社の大塚グループ社長が浪花節好きだったからなんだよな(笑)」
G「昔の社長さんにも愛好者は多かったみたいですね」
ご「で、村田英雄なんだけど、浪曲さながらの話だと話題になった事が有ったんだ」
G「なんでしょう」
ご「これなんだけど」
G「へぇ~。本人も知らなかった異父兄弟が、受賞の報道で駆けつけてきたんですね。それにしても村田さん、浪曲の世界でも受賞してたんですねえ」
ご「だから三波春夫とよく宿敵視されてたけど、同じ浪曲師出身と言っても実績はかなり差が有って、村田が格上だったんだな」
G「もう浪曲が巷やラジオ・テレビから聞こえてくる事は無いですかねえ」
ご「”浪曲”というのは、歌に乗せて物語を語る、”日本のオペラ”なんだ。かつての日本人は、聞きながら涙したり、ワクワクしたりしていたのよ。
でもそれは、娯楽が少なかったからという側面は確かに有るんだよな。西洋のオペラと違って歴史的に根差す前に衰えてしまったから、このまま行ってしまうかもしれんねえ」
*1:昭和33年7月31日付読売新聞夕刊