無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

昭和唱和ショー「郵便ポスト」

 俺の給料が安いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなアベノミクスが悪いんだ。

 ってな比喩によく用いられるくらい郵便ポストが赤いというのは日本の常識なわけですが、その形状は、ワタクシが子供の頃はかなり異なるものでした。

 その正式名称は、郵便差出箱1号(丸型)と言うようです。

 上のページの丁度まん中へんまでスクロールしていくと、それが有ります。なんと、ほとんど戦後すぐに出来た形だったのですか。

 円筒形なのね。あれは丸みのせいか、どことなく愛嬌が有って好きだったんだけどな。

 で、今でもよく見かける角形は次に出ていて、昭和45年に100通以上投函される場所で替わり始めたんだそうな。たしかに替わり初めの頃は、田舎の方に行くと丸型が残っていたものね。うちの方は東京の田舎だと思っていたけれど、やはり腐っても東京で、100通以上投函されていたのだな。

 今でも確か、江ノ島の方とかでは残っていた気がするから、日本全国で細々と生き残っている円筒型ポストも有るのだろう。郵便局の上位サービス品とかで、ポストをかたどった貯金箱とかよく有るけれど、あれって大体、円筒型だよね。やはりそれだけ人気が有るんだろうね。

 

 その次に出ている3号というのは、角形の第一号。昭和26年に出始めたようです。なのに、ワタクシの子供の頃に円筒形と替わったのは1号って、名付けがよくわかりません(苦笑)。

 当時の新聞でも話題になっております。 

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  円筒形ポストは明治34年10月以来と書いてありますが、上のページでもそのように案内してますね。で、新しい角型ポストは毎駅書状集め箱と同じなんてオチを付けてますが、その書状集め箱も上のページの一番最初に載っております。

 書状集め箱からしばらくは、角型だったのですね。考えてみればそれが自然なのですが、なぜ円筒形になったんでしょうね。

 それは不明ながら、円筒形から角型になった理由は、上の新聞記事に書いてあります。

 収容能力が少なく、差し入れ口が子供には高過ぎるという事だったのですね。たしかに円筒型は背が高かった。でも、それは低くすれば済みそうですが、やはり容積の問題が一番の問題だったのでしょう。

 

 

*1:昭和26年2月18日付読売新聞