無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

漫画投句「パーマン」


 


 

  遠くで呼んでる声がするじゃない方ね。あたくしゃ昭和30年代生まれですので、パーマンと言ったらこちらしか無い。

 でも、どちらも声は三輪勝恵で、主題歌を歌っているのも同じ。昭和藤子テレビまんがは殆どの物が複数制作されているけれど、主題歌歌手が主役の声優という例は白黒時代にはこれだけで、新旧作品で共に主題歌を歌っている歌手も、新旧パーマン三輪勝恵だけ。

 改めて考えると、そんなに合っている声とは思えないんだけどね。でも小原乃梨子とか野沢雅子とかではもっと合ってなかったろう。あの弱々しくも張り切る時は張り切るというパーマンには、あれで良かったのだろうし、だから当時もまったく違和感は感じていなかった。

 

 で、ワタクシはテレビでしか見ていなくて、ずっと後年に大きくなってから単行本とかでは読んだけど、少年サンデー時代は一回くらい読んだ事が有るくらいだった。

 テレビは前番組が同じ藤子不二雄の『オバケのQ太郎』で、不二家提供枠。番組が始まる前に、不二家の標章の花の部分が風車のようにクルクル回り、リンゴンリンゴン鐘が鳴るような音楽がかかる10秒くらいの企業オープニングが有った。一社提供番組ばかりだった時代には、企業OPはごく普通に付いていた。

 オバQに関しては見ていたのは間違い無いし、盆踊りでオバQ音頭がかかっていたのは覚えているが、番組の方はあまり覚えていない。このパーマンもあまり覚えていなくて、ワタクシの記憶にハッキリと残っているのは次作の『怪物くん』からである。

 だが間違い無く全作品を本放送で見ていた。オバQに関しては、有名な最終回、パーマンが一週早く出てくるというのはなんとなく覚えているし、パーマンも最終回の印象は強烈だ。

 と言ってもかなり長い間忘れていたのだが、インターネット時代になり、外国人で最終回を上げている人が何故かおり、たまたまそれを知って再生してみて、驚愕の事実を思い出したのだ。

 

 パーマン最終回こそは、我が原点だった。

 

 三つ子の魂百までとはよく言ったもので、子供の時に誓った事というのは、結構その者の人生全体を左右してしまうかもしれない。

 ワタクシの場合で言うと、物語の『ピノキオ』は非常に大きな位置を占めている。それは自分でも或る時に思い出していたが、そのもっと前に、このパーマン最終回という原点が有ったのを再確認した。

 件のYouTube動画は、たしか抜粋のような感じで、少し短くなっていた気がする。それから当時発売のエルム発売シート音盤にも最終回が収録されていて、YouTube動画を見て話を再確認したくなったのでその時に初めて再生してみたが、それも抜粋された話だった。

  だから、この白黒版パーマンがまさかの商品化決定をした時、最終回が収録されている下巻は、即予約注文した。値段もDVD-BOXにしては安めだったし。

 完全版の最終回を見て、まざまざと当時の気持ちが蘇ってきた。

 そして、ああ、俺の人生を左右してしまったのはこの話だったのだなと痛感した。

 

 簡単に説明するとこんな感じだ。

 みつ夫は世のため人のためにパーマンとして活躍を続ける。だがそのために寝不足となってしまい、学校では居眠りをして恥を掻き、周りの皆に馬鹿にされる。しかし正体は明かせない。そして、いくら人のためになる事をしても誰も正体を知らないから、みつ夫を誉めたり尊敬したりする事も無い。

 段々とみつ夫は、身を磨り減らしてまでパーマンとして活動するのが嫌になってしまう。スーパーマンはそんなみつ夫にパーマンとしての活動の大事さ、誰が誉めなくとも人助けをすることの大切さを説くが、みつ夫には届かない。

 そんな時、重大事故が起こり、多くの人が生き埋めになってしまう。もうパーマンとしての活動はする気が無くなっていたみつ夫だったが、内側から起きる何かに揺り動かされ、マスクを手にして現場へ向かう、という終わり方だった。

 この時、いつもの終了画面ではなく、全制作陣の名前が映画のように次々と表記されるという特別な終わり方で、主題歌が流れる中、雄々しく空を飛ぶみつ夫が延々と映されるものだった。

 これは強烈だった。

 話の内容も強烈だったし、その演出法も物凄く格好良かった。

 当時としてはなんてものではない。DVDで今見ても、白黒画面以外はまったく古さを感じない。

 

 大隅正秋おおすみ・まさあき)。

 ワタクシの生き方は、彼に支配されてしまったようなものだ。

 何しろ、ワタクシが溺愛する二大テレビまんが『ムーミン東京ムービー)』も『ルパン三世(第一作)』も、彼の演出なのだから。

 どれも映像も音楽も話も傑出した水準で、そういう人材を差配したのもきっと彼なのだろうから、恐るべき凄腕の演出家だったと思う。

 けれども『ムーミン』も『ルパン三世』も外部の横槍が入り、彼は恐らく非常に不本意な形で降ろされている。特に『ルパン』では、それは大きなものだったろうと思う。

 後に『アニメージュ』のインタビュー記事で、彼はアニメーション表現に絶望したかのような意味のことが有って、ワタクシにはかなりツライ話だった。そして、インタビュアーが大隅ルパンを支持するという意味のことを言った時だったと思うが、「ありがとう」と言ったと書いてあったのを読んだ時には、痛切な思いが込み上げてきた。

 我が本拠ブログは既に千記事を超えているが、その実質7番目という非常に初期の記事に、このムーミン第一作を選んでいる。

ムーミン (1969) - 私的 昭和テレビ大全集

 そこの締めの言葉に、こう書いた。

自分がこういうWeb世界を作っているのも、こうした作品への感動・感謝の思いを形として残したいというのが大きいのでしょう。

  ここで明かしてしまえば、この時はもっと具体的に、ワタクシは大隅正秋氏にこの賛辞を捧げたのである。

 絶望なんかしないでくれと。あなたの作品に勇気を育まれた人間が実際にここにいるのだと。

 初代ムーミンは正にそういう作品だったし、ルパンの第四話「脱獄のチャンスは一度」では男の意地のようなものを叩き込まれた気がする。

 今でも時々、「お前は生まれつき贅沢なんだよな」という次元の台詞を思い起こしてしまう。ワタクシも分不相応に贅沢なのだ。実力も無いくせに、在り来たりやお仕着せや人に頼る事が大嫌いなのだ。

 

 

 パーマン最終回で打ちのめされた幼少期のワタクシは、その後はそんな事などまったく意識せずに生きてきていた。だが、自分の生き方を支配してきたのは、あの話だった。間違い無い。

 概ね、人が外部要因に感化されるというのは、その者が本来持っているものに感応しての事だと思う。ワタクシが生来持っている気性が、あの話で大きく掘り起こされたという事なのだと思う。

 具体的に何がどうだというのは書かないが一応言っておくと、べつにワタクシが影で善行をしているという事ではない。

 そんな事は何一つしていない。募金だって多分、した事が無い(忘れるくらい些細な金額なら有るかもしれない)。ボランティア経験も皆無だ。

 ただ、生き方、考え方そのものに、あの話が大きく作用していたのは間違いが無い。

 

 子供の頃に聞かせる、見せる話というのは、非常に大事なのだと思う。だからワタクシは、明らかな洗脳目的で子供に話をする連中が大嫌いで、そんな連中はなんとかして駆逐してやりたいくらいだ。

 左翼連中にこの手の輩が多い。

 奴らは平気で、子供にイデオロギーまみれの話をする。

 政治的デモに子供を連れて行く馬鹿親もいる。

 いずれも子供自身の人格を尊重しない、腐った連中である。

 特に政治デモなんていうのは、天安門事件を見ても(ああ、これで中国からのアクセスは無くなった(笑))解るだろうが、政権側が突っ走れば暴力による弾圧だって考えなければならないのだ。

 そんな場に大事な子供を連れて行くか?

 要は政権に甘え、国に甘え、社会に甘えた神経だから平気でそんな事が出来る。自分が攻撃している政権を、実は真底から信頼している。親が自分を見捨てる事は無いと高を括って我が儘三昧の、放蕩息子と同じ感性なのだ。

 子供の心には、自在を与えて欲しいものだ。

 どうせ大人の考える事なんて、右だろうが左だろうが欲得まみれでロクでもない次元のものばかりなのだ。

 だからこそ今までに無いまったく新しい物の見方が育つのを期待して、容易に既成概念を押しつけないようにすべきだろう。