無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

「一般人の指摘で改めたら死ぬ病」

産経・朝日は「謝ったら死ぬ病」が治癒したのだろうか 

「謝ったら死ぬ病」というのが有る。

 所謂ネットスラングだが、それだけネット上でよく見かける人々という事だろう。

 ワタクシが二大おりこうさんと言った長谷川豊や小林よしのりはその代表格で、現実にああいう人間が居たら、人格障害とかそういう話なのだと思う。

 しかし、おそらく現実の二人は、もう少し取っ付きやすい人間のように感じる。付き合った事は無いから、本当の事はわからないが。

 言ってみれば、意識してかせずかはともかく、ネット上の人格として別個の物を作り上げているという事なのだろう。

 

 ま、長谷川の方は流石に今後はあそこまでの失態は演じないだろうし(笑)、小林の方も、多少は考えるようになったのかなと感じないでもないでもない。まだわからない(苦笑)。

 愚か者はさておき、流石にマスコミがそれでは困るわけで、ようやく産経新聞が次のような声明を発表した。

 やっとかー。という思いだが、大事な事は、きちんと行動を改められるかどうかであるから、今更遅いだの、なんでもっと早くだのとは言わない。

 あれだけ流布させてしまったものを一刻も早く回収せねばという情況であるから、とても大事な一歩を踏み出したと思う。

 

 中で「生前退位」という言葉について釈明しているが、屁理屈である。

 ワタクシは最初から指摘しているが、分かり易さで全てが通るなら、「今上天皇」ではなく「平成天皇」とお呼びすべきである。

 だが、何故そうしないのか。諡号を与える振る舞いになるからである。

 この認識に関しては、或る程度の知識を持つ者であれば、反天皇の人間以外は、誰しもが首肯できるものではあるまいか。

 

 なのに、何故「生前退位」という、同様に生者の尊厳を毀損するような言葉が流布され、あまつさえそれを指摘する者を「揚げ足取り」と言ってまで改めようとしなかったのか。

 あの頃のワタクシの絶望感は、実は半端ではなかった。日本人の知性はここまで落ちたのかと慨嘆した。

 ワタクシも細かい揚げ足取りとか言葉尻の問題を論うのは好きではないので、そういう事を他人に指摘した事は、まず無い。

 

 だが、「生前退位」はそういう次元の言葉ではなかった。

 だから最初は、すぐに改められるだろうとあまり強く言ってなかったのだが、少しして、それで通す気だと悟った時に、『「生前退位」という言葉はもう使うな!』と、このブログでは殆ど使わない強い調子で非難したのだ。

 しかし今回もワタクシは、何度も書き直して、結局、誰それがこうだという事は書かない事にした。

 

 ただ、傍ら痛い思いをしているという事だけは書いておく。

 自らの過ちを正しもしない人間が、自分の意に反する者どもを殊更に強い調子で非難しても、そんなものは屁のツッパリにもならない。

 そして、旧皇族(個人を指していない)に対して憐憫の情とか惻隠の情とかを微塵も持ち合わせていない畜生のような者どもの言葉に、正義が宿るとも、とても思えない(この辺りに関しては、いずれはきちんと書いておかなければならないだろう)。 

 まして、その両者が同じ者どもだとしたら、そんな言葉にどれだけの価値を見出せるというのか。

 

 朝日も基本的に、「退位」と改めたようだ。

 「退位制度」と表現するのがより望ましいように感じるが、現今の記者の国語力には期待できないという事なのだろうし、「退位」だけでも制度としての話という事は伝わるので、これはこれで一つの改善である。

 二紙が改めた事により、今後も新聞・雑誌で動きが追随していく事だろう。

 無駄に自尊心が高いマスコミの人々にしては勇気ある決断だったろうと評価したい。

 

 では、この二紙は「謝ったら死ぬ病」が治癒したのか。

 この期に及んでもグダグダと屁理屈は並べているし、謝罪の言葉も無いし、病気が治ったとは言い難い。

 やはり、皇后陛下のお言葉という現実が突きつけられたが故の事態なのである。

 それでも改めない連中に比べれば、百億万倍も人としてまともだが。

 だから彼らは、「謝ったら死ぬ病」というよりは、「パンピー(但し運動家は除く)の指摘で改めたら死ぬ病」なのだな。無駄に自尊心だけは高いから。