漫画投句「田山幸憲パチプロ日記」
Gさん(仮名)「東大中退の異色パチプロだった田山幸憲さんのパチプロ日記ですか。でも、これはエッセイですよね」
ごいんきょ「いや、”パチプロ日記before”という、田山さんのパチプロ初期時代を描いた漫画が有ったのよ。
わしはそれを3巻まで買っていて、早く続きが出ないかなと思っているうちに数年が過ぎて、いつしか続刊は無いんだと諦めていたの。
そしたら最近、検索してみたら全巻無料で読めるという所が見つかって、しかも8巻まであるみたいなんだよね。
たまらず、即読んでみたんだけど」
G「パチプロ日記ももちろん面白かったですが、beforeの方は手打ち時代のパチプロや、田山さんのパチプロになるまでなどが描かれていて、本当に面白かったですよね」
ご「わしも、ここでも書いてたけど、手打ち時代からやってたからね。だから、あの時代のパチプロの話がわかるというのは本当に貴重な事だと、物凄く楽しみに読んでいたのよ」
G「4巻以降は、田山さんの人生で最も華やかなりし頃ですかね」
ご「いや。before3巻は同棲が始まるまでを描いてたんだけど、どうも、そこで終わっていた感じだな。
4巻以降は、必勝ガイドに連載されていた方の、当時現在のパチプロ日記を漫画化したものだったわ」
G「ああ、そうなんですか。でも、あれって田山さんの文章だから面白いんじゃないですかね」
ご「beforeを読めばわかるだろう。漫画担当の人が画力も有って、構成力も素晴らしいから、まったく遜色の無い出来、と言うか、田山さんのパチプロ日記そのままの漫画化だよ」
G「表紙に”読者に最も愛されたパチプロ”とありますけど、ほんとうにそうでしたね」
ご「わしも大好きだったなあ。文章というのは、長く書いていると必ず人間が出てくるからね。田山さんの美学を持った生き方は、本当にわし好みだった。
普通、パチプロというのは徹底的に稼ぐわけよ。でも、田山さんは、パチプロには適正な稼ぎが有るって考え方で、ガツガツしない。ま、ガツガツしない人間だからこそ東大まで入ってもパチプロなんぞに流れてしまったんだろうけど。
一事が万事、そういう生き方で、なんか近いものを感じたのよ」
G「ユーモアとか文才も勿論ありましたね」
ご「『デキた! めくるめく777!』とか、心に刺さる表現が本当に多かったな。頭が良い人は違うというか、真似しようとしても絶対に真似できないね。
パチンコエッセイでまともに面白かったのって、古今東西、田山さんのだけだろう」
G「亡くなって15年以上になるんですね」
ご「まだ54だったんだな。人生もガツガツしなかった。
あの頃は本当に悲しかったけど、今、こうして考えると、ダラダラと70、80まで生きて田山さんらしさを保てたかなとも思わないでもない。
ああした最後は、あれはあれで、やはり田山さんらしいのかもしれない」
G「パチプロ日記が原作という事は、死までは描かれてないんですか」
ご「最後の一話が後日談みたくなってて、関係者が田山さんを回顧するみたいな終わり方になってたな。
本当に良い終わり方で、つくづくこの漫画に関わった人々の技量、何より田山さんに対する愛情が迸って、素晴らしいものだった。その分、読んでいて、また堪らないものが有ったな」
G「田山さんもあなた同様、酒と博打の人生でしたよねえ(笑)」
ご「なんか両方に失礼だろ(苦笑)。わしなんか田山さんと名前を並べるだけで烏滸がましい。
ただな。田山さんは本当に酒も好きだったけど、酒の席も大好きな人でさ。必勝ガイドの読者がよく田山さんに差し入れに行ってたんだけど、その時に、この後飲みましょうなんて言われると、絶対と言っていいくらい断らなかったみたいなんだよね」
G「たまに、そういう記述が有りましたね」
ご「わしはそれを読んでてさ、手打ち時代の思い出話とか聞きたかったから、行こうかなとも思ったのよ。
でも、その頃のわしは今と違って、そんなに酒は好きではなかったのね。それにまだ若かったから、どうも勇気も出なかった。そうこうするうちに亡くなってしまった。
今、断捨離してたらパチプロ日記が出て来たりして、こうやって田山さんの文章とか漫画に触れると、本当にたまらなくなるね。
なんで俺は、あの時に会いに行けなかったんだろう!って」
G「今のあなたは田山さんに近づいてるというか、一緒に酒を飲めれば大歓迎ってなってますがねえ」
ご「本当に、いま生きていてくれていれば、絶対に一緒に飲みたかったのに。
俺は何故、もっと早く酒の美味さに目覚めなかったんだろうと、恨めしく、切なくなったのよ、これを読んでいてね」