漫画投句「おろち(楳図かずお)」
Gさん(仮名)「今回は、楳図かずおさんが怪奇漫画の巨匠当時だった漫画ですね」
ごいんきょ「でも、これ以後は路線が変わっていくんだよな。少年サンデー連載だったんだけど、これの次は『アゲイン』という漫画で、基本はギャグ漫画だったんだよね。しかも最後の部分で、単なるギャグではなくて、年を取るという事の儚さみたいな事をうっすらと描いて、非常に奥が深い終わり方になっている。そしてその次に、近未来SFで人間劇にもなっている『漂流教室』となるんだ。
路線が変わっていく切っ掛けは、この『おろち』の第6話、”戦闘”を描いてからだと思うんだな」
G「そもそも『おろち』って、どんな漫画なんですか」
ご「ちょっと見、『ヘビ少女』みたいな単純な怪奇物と思っている人も多かったんじゃないかと思うけど、これは心理劇なんだな。
人間の心理の恐ろしさを描いた、少年漫画ではなかなか無い作品なんだよ」
G「サイコホラーみたいな?」
ご「う~ん…、そういう括りでもないな。怖い人間が出てくるというより、誰でも持っていてもおかしくない、人間の怖さが描かれている」
G「は~。今の少年漫画誌では絶対に無いでしょうね(笑)」
ご「その当時の漫画週刊誌って、わりと子供子供した漫画は少なかったからな。少年ジャンプが低年齢層を意識しだして、それで部数は確かに伸ばしたけど、内容はどんどん幼稚になっていってしまった。他誌もそれを追随せざるを得ない感じで、そうなってしまったな。
ま、年代が上の層を狙ったヤング誌を増やしたという事情が有るんだろうけど」
G「大人を対象としたビッグコミックみたいな雑誌と少年週刊誌の間に、ヤングジャンプだのビッグコミックスピリッツだのといった学生層を相手にした雑誌が出て来ましたからね」
ご「でまあ、『おろち』なんだけど、第一話が”血”、第二話が”ステージ”って具合に、或る一つの話を数週間に分けて連載していたのね。で、おろちというのは主人公の少女の名前なんだけど、これが不老少女なのよ」
G「年を取らないと」
ご「ちょっと正体不明の、なんらかの通力を持つ少女なのね。そんな彼女が不思議と関わる人間同士の諍いを見つめて、時には傍観したり、時には介入したりと、読者はそんな彼女を狂言回しとして話を理解する感じ」
G「第一話”血”というのは、いかにも当時の楳図さんですね(笑)」
ご「編集部もそういう期待は有ったんだろうけど、この”血”というのは目に見える物質的な物ではなくて、血の繋がり、血縁という感じだな」
G「ああ、なるほど。それで、心理劇になっていると」
ご「でも第一話あたりは、期待される人間像じゃないけど(笑)、楳図かずおに期待されているような、おどろおどろしい描写も有るよ。でも核は、心理劇。それは第2話以降になると、より顕著になっていく。
そして白眉が、先にも言った第6話”戦闘”だ」
G「戦争の話ですか」
ご「舞台はあくまでも現代。ただ、その話の中心人物である少年の父親は軍歴が有る。
その父親は、家でも外でも、聖人君子のような人間なんだな。それは戦争で苦労したからだと息子は思っていたし、そんな父を心から尊敬していた。
ところが或る日、そんな子の前に隻腕の男が現れて、その子に或る話を聞かせる。それから、その子は父親が本当はどんな人間なのか悩むという話だ」
G「う~ん… ネタバレを意識してるからか、どうもわかりづらいですね(苦笑)」
ご「是非、興味を持ったなら実際に読んで欲しいからな。
言ってしまえば、その父親はガダルカナルの戦場で、隻腕の男に酷い事をして、男は父親を恨んでいたのだ」
G「片腕になったのは父親のせいなんですね」
ご「まあ、そういう事なんだけど、状況がガダルカナルだから。極限の中の極限状態で、平時にはとても考えられない事をしたんだよ。
息子はそれを聞いてしまった。そして平素の父の聖人君子ぶりとの違いに悩む。どちらが嘘なのか、本当なのか。そして或る時、はずみから父親を、その事でなじってしまう。
そして、父親は息子を山に誘う。息子は、ひょっとしたら秘密を知った自分を殺すのではとまで勘ぐる。そんな山で、父と子は、極限の中で真実を見つめ合うのだ」
G「なんだかサッパリわかりません(苦笑)。
ただまあ、ただの恐怖漫画ではない事は伝わりました」
ご「わしには、この父親が聖人君子として振る舞う事が、非常によく理解できるよ。
平時になってから、どれほど自分自身が犯した所行に苛まされてきたか。そして、少しでもそうした苦しみから気を紛らわせる行為が、己を律しながら生きていくという事だったのだろう。
この当時、楳図かずおは、まだ30代半ばだよ。それで、こうした心理を描けるというのは、恐ろしい程の作家性だと思う。『アゲイン』終わりの場面でも、それは表されていたけれど」
G「『おろち』の後、『アゲイン』というギャグ調に一気に移行してしまいますよねえ」
ご「それは『おろち』最終巻で作者も書いていたけれど、一種のやり遂げた感が有ったんだろうな。それで、楳図の中の恐怖漫画家としての種は満面の花を咲かせきってしまったのさ。
そして彼が新たに挑んだのがギャグ調の『アゲイン』で、そこから主役の孫である『まことちゃん』も誕生する」
G「『アゲイン』最後の場面でも作家性が出ていると言いますが、『まことちゃん』はそういうものを完全に吹っ切った、完全無欠のギャグ漫画でしたね(笑)」
ご「楳図自身も何かが吹っ切れてしまって(笑)、その頃から色々と表にまで出て喧しく活動してたなあ(笑)。
普通は年を取ると落ち着くものだが、彼の場合は完全なる逆コースだ(笑)」