無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

大谷翔平は史上最高のプロ野球選手

 ワタクシは、ことエンターテイメントに於ける日本人の感性には徹底的に絶望している。

 ゲラゲラ笑う「お笑い」に関してだけは、日本中が明石家さんまの雑談芸によって育てられ、ごくごく普通にこちらの期待した、時には期待以上のツッコミを入れて貰えたりするようにはなった。

 これが『ひょうきん族』からそれほど経っていない昭和60年代とかだと、ワタクシが少し変化球を投げると受けられる人間が誰一人としておらず、ただの変人と見られるか、「お前の笑いはわかんねえ」と吐き捨てられるのがオチだった。

 そこだけは、確かに進歩している。

 

 けれども、もっと見世物の次元になると、途端に昭和30年代のままの荒野が広がるのだ。

 中でも酷いのがスポーツで、更にその中でも群を抜いておぞましいまでに酷いのが野球である。これは戦前のままに近い。

 それも良い面を守っているのなら意義も有るが、どうでも良い面ばかりが意固地に変えられない。

 あまりに悪い面が有りすぎて、論うと一冊の本となりそうなくらいなのでいちいち書かないけれど。

 

 そんなワタクシに、ほぼ唯一の救われるような気持ちを抱かせてくれるのが、大谷翔平の存在である。

 そして今回、ワタクシがやはり絶望視していた日本の記者連中が、およそ初めてではないかという粋な事をやってみせた。

 

 やはり書くと一冊の本となってしまうので具体例を列挙するのは省くが(笑)、日本の野球記者は本当にロクでもない連中で、大リーグ記者がしばしば歴史に刻むような絵になる事は、これまでただの一度もやって来なかったと言ってよいだろう。

 それをとうとう、ワタクシが「おぉ!」と思えるような粋を見せてくれた。

 勿論、大谷翔平という選手が、プロ野球の歴史上、空前の活躍をしたからに他ならないのだが。

 だが、昭和時代の記者なら、それでもこうした発想はできなかったと思う。

 

 例えば戦前の1リーグ時代など、試合数も少ないし、技術的にも今よりは劣っていたから、二刀流で活躍した選手も数人いた。

 だから大谷が二刀流で活動し始めた頃、ワタクシは、投手も守って打つという野球の本来の姿を再現してくれる選手を生きているうちに見る事ができるなんてと、手放しで喜んだものだ。

 だが、どこまでも進歩する大谷は、ワタクシの思い描いた姿など遥かに超越した存在となってしまった。

 こんな活躍、日米のプロ野球史上で存在しなかったはずである。

 それも、これだけ技術が進歩し、試合数も増えた時代になって。

 

 二刀流である以上、彼の記録面での活躍は、ごく限られたものとなろう。

 投手単独なら250勝、打者単独なら2000本安打・400本塁打は間違い無く記録していたに違いない。

 だが、そのどれも越える事は出来ず、通算記録として数字だけ見れば、凡庸な数字が並ぶ事となるだろう。(いずれ投手一本になって選手寿命が長ければ200勝は可能か)

 しかし、今回の表彰を出来るようになった日本人なら、もう安心できそうだ。

 大谷があと数年、今に劣らない活躍を続ければ、資格取得と同時に殿堂入りを果たすに違いない。

 なにしろ、プロ野球史上に類例の無い活躍をした選手なのだから。