無駄じゃ無駄じゃ(?)

すべては無駄なんじゃよ

挿しす世相史「ノーチップ運動」

 「お・も・て・な・し」なんて言葉が、誰も納得できない流行語大賞となった事も有りましたが、あれなどは象徴的な出来事でした。

 本来、流行語というのは世間の人々が自然発生的に使って巷間で流行ったものを言っていたはずですが、それを広告屋がより恣意的・人為的に決められるようにした動きになってしまったという事が、あの頃から特に解り易くなったのです。

 

 それはともかく、日本ではサービスの対価にチップを払う風習が無い事なども、日本独自のおもてなし風景として考えられ易いかと思います。

 ところが実は、昭和の中期頃までは、場所・場合によってチップを払うという習慣は有ったのです。

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 昔の寝台車には、夜と朝に寝台を整える列車給仕というのがいたのですが、その人たちはチップを貰っていたのを、今後一切もらわないと決議したという記事です。

 昭和37年の5月に、新潟車掌区の列車ボーイがノーチップ運動を始めたのがその始まりだと伝わります。それが8月頃までに全国に広まったようです。

 その背景はワタクシにはまだ解りませんが、これをもってして、日本からチップという風習は、かなり減退していったように思われます。

 ワタクシは昭和40年代に寝台車に乗った事が有りますが、たしかに親がチップなど渡していたようには思えません。

 どうも、チップを渡す人とそうでない人への扱いに差が生じたりという問題が有っての事のようですが、そんな碌でもない風習をよくこの時に根絶しておいてくれたと、当時の関係者の努力を称えたいものです。

 

 尤も、金持ち風を吹かす人間の集まりでは、その後も割とそういう場面は有りました。

 例えばゴルフ場ではキャディーに幾らか包むのが当たり前でしたし、タクシーなどでもお釣りは要りませんという場合が割と有り、適当な釣り銭が生じない場合は、わざわざ別に渡したりしたものです。

 ですがこれらも、バブルを経て様々な金持ちの場が大衆化されてしまい、しかもその後すぐに景気縮小してしまうと、そうした事が行われなくなった場合が多いように思います。

 今、タクシーに乗ったりゴルフをしたりという事で「金持ち」とは思わないですからね。

 しかし、ワタクシの子供の頃は、そういうのは金持ちのする事で、だからそういう場に行ったらチップを渡すもの、という見栄のようなものが生きていました。

 

 とは言っても、今でも高級な場所でや応対の良かった人などに幾らか包んで渡すという事は、結構あると思います。ですがワタクシの子供の頃に比べれば、そういう心遣いをする人・場は、かなり少なくなっているように思います。

 しかしどの様な場合であれ、「チップを渡さないといけない」という場所は、特に今の日本には通常存在しませんし、チップが「そこでの常識」という場合も、昭和時代に比べれば絶滅と言えるくらいに無くなっていると思います。

 

*1:昭和37年6月9日付読売新聞夕刊記事